彌生

自分でも波瀾万丈な人生だと思います、しかし、上を向いてもキリは無い、下を向いてもキリは…

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自分でも波瀾万丈な人生だと思います、しかし、上を向いてもキリは無い、下を向いてもキリは無い、それなら前を向いて生きて行こうと思っています。時間=命です 命を大切に生きて行きましょう。 https://note.com/leal_honest2932 こちらが本来のアカウント

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異次元の少子化対策…幸子と一郎の物語…

2030年、日本は若者の未婚率は60%、国民1人の出生率は0.5人にまで落ちてしまっていた、政府は慌て「難民」を受け入れて雇用などに回したが、ハーフの子供ばかりが増えて「純正日本人」の人口は減少するばかりであった、 「このままでは日本は滅びる」政府は頭を抱えた、そんな時、ある大学の研究室が画期的な発見をした… 第一章 この発見は「是」か「非」か? ○○大学の研究室はこの発見に湧いていた… 「これは大変な発見だ!!!!」加瀬教授は叫んだ!!! 加瀬教授はあるたんぱく質の

    • 私が出逢い系をやってみた感想…

      彌生です… 私は昨年の3月、4月に命賭けの手術をしました… 詳しくはこちらを読んでみてください… さて、2度目の手術は思ったより大変でICUからやっと一般病棟に移ったが、そこはナースセンターの前にある「重症患者」専門の病棟… 毎晩毎晩「死ぬ〜〜」「助けて〜〜」「五月蝿い💢」 「ぎゃーーーーー」と患者は大騒ぎで「安静」になんかしていられません。本当に参りました… そんな時、私のスマホが鳴り「はい、もしもし?」「あっ、俺だけど…」この元夫は昔から名前を名乗らない、いつも

      • 私が本田を許さない訳…②

        彌生です… さて、母は何とか「特養」に入所出来ましたが… まだ土地の名義を変更する事が出来ません… 最初は「法テラス」に行き、弁護士と相談しましたが、どの弁護士も「やる気」が全く無い、1人の弁護士なんか「本田ってゴルフ好きなんだ?ゴルフに持って来いの土地だね〜〜大した価値も今は無いし、本田にあげたら?」とパソコン💻の中のGoogleEarthを観て言う弁護士もいました… 基本「法テラスの弁護士」は「大したカネにもならない案件なんかやりたくない」のスタンスなんですね…

        • 私が本田を許さない訳…

          彌生です… こちらの「彌生の人生…①」に書いた、母の愛人の本田、父の運転手の分際で母と不倫をして、くっついたり離れたりを繰り返し… 私は何度も母に「別れるって言ったじゃない?」と言うと 「お前が悪いからだ!!!!お前が頼り無いから、私は本田に頼るしかないんだ!!!!」と怒鳴られ、何故か何でも「私のせい」にする母… 夫の事業が失敗して、何もかも無くなった私たち一家に見切りをつけて母は遂に本田と「正式」な夫婦になった様です。 それから、私たち夫婦が持ち直すまでの苦労はこ

        異次元の少子化対策…幸子と一郎の物語…

          ナオとマリアの物語…

          彌生です… 今回は私のドイツ在住の息子のナオについて書いて行きたいと思います… 息子はナオといいますが、ナオは不思議な事に高校時代から彼女は全員「外人」か「ハーフ」でした、日本女性に全く興味が無く、アイドルに夢中になった事も無い、親の私からしたら「変わったヤツだなぁ〜〜」だったんですが… 中学からはギターにハマりそれもアコースティック系では無くて「ヘビメタ」ですヘビメタ野郎でした、毎日毎日、お小遣いで買った古いエレキギターをギュインギュインと大音量で弾いていて何度…

          ナオとマリアの物語…

          彌生の人生…③

          彌生です… 今回は私と夫との出会いについて書いて行きたいと思います… 私は何回も自分は「成金お嬢」と書いていますが「お嬢」だから「清純」だった訳ではありません… 先ず、バイトした事すら無いのにいきなり、当時のアパレルの頂点にいる会社に入社したんです、モテない訳がありません、クラブやディスコに行けばその派手なファッションですから、男たちは寄って来ますし、私はまだバージンだったのですが、それが嫌で嫌で、会社の人と飲みに行っても、その手の話しはサッパリわからないので「ちょっと

          彌生の人生…③

          真っ赤な女教師…

          第一章 奇妙な女教師 彌生です… あれは1971年の秋… 社会科の教師が突然妊娠して産休に入り、その女教師はやって来ました… 髪はボサボサ、肩に頭垢が溜まり真っ白になり、何故か膝丈のタイトスカートに何故か「冷え性」なのか、膝丈のズロースを履いていて、子供心に「この人、変な人だなぁ〜〜」と思いました… よし!!!!皆んな聞け!!!!私は吉田だ!!!!🫵 妙に男っぽい喋り方でますます「変な人だ」と私は思いましたが… 教科書は机にしまえ!!!!わかったな!!!! な

          真っ赤な女教師…

          デパス中毒だった私…

          第1章 パニック障害の始まり… 彌生です… 私が初めてパニック障害になったのは29歳の時です… その頃は青山の骨董通りにあるブティックに勤めていて、店長が超変わったババアで、いや?あちらから観たら私が変わっていたのでしょう… 船橋の自宅から2時間かけて通っているババアで「大変ですね、近くにマンション借りたらどうですか?」と言うと ワタクシ!!!!一人暮らしなんかする人間じゃありません!!!!嫁入り前の娘がふしだらな💢💢💢💢😳😳😳😳😳そんな凄い家柄なのに販売員ですか?

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          彌生の人生…②

          第一章 バブル期のデザイナーブランド彌生です… さて、バイトすらした事が無い成金お嬢の私… 何故、数あるデザイナーブランドで「BIGI」を選んだのか?それはテレビでショーケンの「傷だらけの天使」を観て衝撃🫨を受けたからです… 番組の最後のエンドロールに出てくる「株式会社ビギ」の文字… 衣装デザイナー 菊池武夫?誰?この服って何処で買えるの?いろいろ調べ(スマホも無いあの時代どうやって調べたんだろう?) 菊池武夫さんと妻の稲葉賀恵さんが作ったブランドで原宿のあるビルに

          彌生の人生…②

          彌生の人生…①

          第一章 始まり 彌生です… 令和3年3月23日母は永眠しました… 私と母の戦いもこれで終わりました… YouTubeにも投稿していますが… 私は昭和32年に北海道の牧場のお嬢様だった「洋子」という名の母と中国から引き揚げて来た「勝夫」という名の父との間に生まれました… 父は母の牧場の使用人でしたので物凄い反対にあったと聞いております。 母はなんせ牧場の娘、戦時中でも飢える事も無く普通に白米を食べて、おはぎまで食べて紅茶に蜂蜜を入れて飲むというあの飢えた戦時中の人

          彌生の人生…①