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私が本田を許さない訳…②

彌生です…


さて、母は何とか「特養」に入所出来ましたが…


まだ土地の名義を変更する事が出来ません…



最初は「法テラス」に行き、弁護士と相談しましたが、どの弁護士も「やる気」が全く無い、1人の弁護士なんか「本田ってゴルフ好きなんだ?ゴルフに持って来いの土地だね〜〜大した価値も今は無いし、本田にあげたら?」とパソコン💻の中のGoogleEarthを観て言う弁護士もいました…



基本「法テラスの弁護士」は「大したカネにもならない案件なんかやりたくない」のスタンスなんですね…


私はかなり悩み、私の夫がビジネスに失敗した時に助けてくれたM先生に電話をしました…



「おぅ!!!!久しぶり元気」と例によって元気な声でして、相変わらずだなぁと思い、「実はこれこれでして」「ヘェ〜〜それでアンタ勝てると思ってるの?」
「それは分かりませんが、あの土地を担保に借金でもされたら、母の財産は無くなりますし、なるべく良い方向に持って行きたいんですよ」「相変わらず強気だなぁ〜〜」と冗談を飛ばして…

 


「とりあえずは一回事務所に来いよ」と言うので事務所に伺いましたが、皆さま、普通弁護士ってピシッとスーツを着ているイメージがありませんか?M先生はガリガリに痩せていて、いつもジャージの上下、然もそのジャージは毛玉だらけでブカブカで「不審者」の何者でもない笑

 

私の話しを、うんうんと聞いてくれて…



「仕方ねぇなぁ〜〜引き受けてやるよ」😳と言ってくれて、本当に嬉しかったです…


 

「しかし、気持ち悪いジジイとババアだなぁ〜〜86歳と85歳?オマケにセクハラ?気持ち悪い」本当にその通りです…



事務所といっても一人で切り盛りしている個人事務所で、ふと、壁を観ると、たぶん幼稚園ぐらいの女の子が描いたかわいい絵が飾ってあって、「あの絵はお孫さんの描いた絵ですか?」と質問したら「あれはウチの娘が幼稚園の時に描いたやつだよ、娘はまだ結婚していないんだ」と言うから「優しいお父さんですね」と言ったら…


「そうだなぁ〜〜アンタの母親よりよっぽどマシだよなぁ〜〜」と手を頭の後ろに組んでいいました…正にその通り…



次回は私が持っている、資料を全部集めて先生に渡す事にしました…



本当に私ってお人好しだわ、こんな事に関わる事も無いのに、ほかに兄妹がいたら丸投げして逃げるわよ…そう思いました…



家に帰ると娘が顔を顰めて「あんなおばあちゃん捨てちゃいなよ💢親子の縁を切ってよ」と言うが、私は一人っ子、そうも行かないんですよ、分かっては貰えないし…



夫は夫で「あの母親と本田の話しは一切しないでくれ💢」と言われて、本当に孤立無援、ひたすら「孤独感」を感じましたね…



一人っ子って辛いなぁ〜〜染み染み思いました、誰かに助けて貰いたかった…




さて、M先生に借用書やビデオを見せたら…



 
気持ち悪い…とひたすらビックリ🫨然も85歳でセクハラとは気持ち悪いですよね…このビデオも貼りたいですが、notoの機能だと出来ません、残念です…



あの夫婦が気持ち悪いのは、良い年した老人夫婦が「やらせろよ♪」「嫌だね!!!!」「気持ちよくしてやるから♪」と平然と娘の私の前でする事ですね、挙げ句「彌生、お前のお母さんはちっとも俺とセックスしないんだよ」「何言ってるのよ、辞めてくれる💢」と延々とやっているんですよ、85歳で性欲全開って本当に気持ち悪い…



早いとこあの世に行けば良いのにと心から思いますね…



私は本田の妹にも電話して、一部始終を話したら「そんな事言われても、私だって兄に大金貸してるんですよ💢」と、ガチャと電話を切り、妹の息子にも電話したら「セクハラ?伯父さん元気だなぁ」とビックリしていましたね、ある意味、この人たちも本田の被害者でもあるんでしょうが、一言も「すみません」の言葉は無かったですね…




やがて本田との、埼玉の土地を巡る裁判が、始まりました…私は結果報告だけ受けていたのですが、やはり私が「証人」として出廷する事になりました…本田はカネが無いので弁護士は雇わず、自分が出廷していました、M先生が「しかし、あのジジイ気持ちの悪い奴だな、本当に鳥肌が立つぜ」と言い「彌生さん、後はアンタの証言次第だ」と言われました…




私は裁判所に行ったら本田が先に来ていて私を睨みつけるから、私は無視をしました、本田は私が母をそそのかして離婚になったと思い込んでいるみたいですね…




徹底的に無視して、私はかなりな薄化粧に髪は後ろに一つに縛り白いシャツに黒いパンツで出廷しました、裁判官の印象を良くする作戦です…



そして、ドラマみたいに誓いの言葉を言い、様々な質問に答えました…



本田は例によって「俺は洋子が贅沢だから、いつも肉は和牛でうなぎは国産で」と完全なワンパターン笑
裁判長に「それは土地の話しとは関係ないでしょう」と注意をされて、私は「土地を買う時に母が頭金の650万を払ったのは知っていますか?」と質問されたから「全く知りません」と前を真っ直ぐに向いて答えました…



そして本田は私を指差し🫵「このオンナの母親には毎月3万づつあげていた!!!」と怒鳴りるから「あの、夫婦なら毎月3万のお小遣いくらい普通では無いでしょうか?」と言ったら…



またまた「洋子は贅沢で肉は和牛でウナギは国産のしか食べないから生活に困って借金をした💢」の
ワンパターン…



呆れて物が言えません「あの?土地の話しは?」とわざと質問してやりました…



確かに頭金は洋子が払ったが、残りは俺がローンを組んで払ったと、叫んでいました、全く「普通」に喋れないんですね。この男の知能指数はどれだけなんだ?と思いました



やがて、裁判は終わり、私はM先生と話しながら歩いていたら先生がふと…



アンタ、いいオンナだったぜ、惚れ惚れしたぜと急に言うからビックリして…「ありがとうございます」と言いました…



私もふと、先生に質問しました、「先生は様々は案件をこなしていらっしゃいますが、これは因果応報でバチが当たったんだなと思う人はいますか?」と聞いたら…ハハハと笑い「アンタ面白い事を言うなぁ、バチが当たったのは俺だよ、俺こそ因果応報だよ」と笑らいながら言いました…



そしてその場で別れてひと月後「オイ!どうやら勝ったようだぞ」と電話が来ました、私はホッとしました、そして「本田をあの家から追い出すのはまた別の裁判になるんですよね?」「そうだなぁ、居住権というのがあるからなぁ」と言い「でも、2年以内に出て行けと内容証明を送ってやるよ」と言ってくださり、裁判は終わりました…



これで30万ですよ🤷‍♀️安い方ですが…また本田に出て行けと、裁判したら30万掛かりますお金が続きません…




やがて隣のセクハラした奥さんから電話があり、本田が家に怒鳴り込んで来たから警察呼びましたと連絡がありました、どこまでも「人のせい」にするのが好きな男ですね、本田はあの地区でかなりな「変質者」として認識された様でした…




やがて私は夫とは離婚して、娘と2人暮らしを始め、自分でビジネスを始めますが、大変でした、しかし「例え生活保護になっても別れてやる!!!!」との決意は固かったです…

 



本田のこの借用書をみたら平成30年…あれから6年の間にいろいろありました、私は5年後に大病をして2回も手術…




謎の口内炎に悩まされて3年、昨年の2023年の3月に東京医科歯科大で生検をした「白板症」と分かり手術、翌4月には「急性腹膜炎」で、今度は腹を切る手術と実に2ヶ月連続の全身麻酔の手術でしたが、疲れが溜まって身体が悲鳴をあげたんだと思います…



ある日母のホームに電話して「そろそろそちらのホームに母の住所を移したいんですが、もう私は離婚して昔の住所に住んでいないですしね…」と言ったら「そうですね、洋子さんも落ち着いて来ましたし、住民票を移しても大丈夫ですよ」と言ってくださいましたので、ホームに母の住所を移しました…




それから1ヶ月後にホームから電話があり「はい?もしもし?」と言ったら…



「彌生さん、本田という男性が、洋子さん宛に電話して来たんですが、出しても構わないんですか?一応そんな人はいませんと言っておきましたが…」「ハァ?本田から電話?困ります、絶対にそんな人間はいないと言ってください」と言いましたが、住所を移して直ぐに電話とは、常に母の住所を調べてたのでしょうか?恐ろしい、私は震えが止まりませんでした…



大体、裁判が終わって2年も無料であの家に住むのを許してあげていたんですよ?それなのに、わざわざ母の住所を常に調べていた「執念」も気持ち悪い…私は、ホームが管轄の警察署に届けを出して、いつ本田がのり込むかわからないので、見回りパトロールを強化して貰いました…



警察の情けない所はあちらから手出しをしないと動けない所です、よくストーカーに殺害される女性がいますが、あれなんか最もたる所ですよね…



「勘違い」と「怨念」て怖いと思います…



母の認知症は進み、私が行っても、私の手を取り部屋に連れて行って「ちょっとアンタ!聞いてくれる?私の娘ったら私がここに来てから一回も会いに来ないのよ💢酷い娘だと思わない?」ですから…ボケても私が憎いのにも呆れるし「お母さん、私は彌生だよ?忘れたの?」「えっ?彌生?似てないねぇ〜〜」とアホ全開、私の事もかなり忘れた様です…母は時々勝手にエレベーターに乗り違う階に行き、帰れなくなって彷徨っているのを良く見つかっていました…

 


要介護も遂に4になり、自分で服の脱ぎ着は出来るんですが、違う場所に行ったら帰れない、人の区別がだんだんと出来なくなってしまいました…たまにオムツもする様になって来ました、年齢も90超えてしまいましたので、仕方ないと思います…



時はパンデミック真っ盛り、母は遂にコロナになり、1週間部屋から出れなくて刺激がなかったせいか、ますますボケて行きました…



それにしても本田は埼玉の家から一向に出て行かないので、私は嫌でしたが、思い切って電話したら、私への怨み事を延々と話したあと「彌生を訴えて二千万請求するつもりだ💢」と怒鳴るから、私はゾッとしました…



やはり、復讐するしかない!!!!私は決心しました!!!!!知り合いの強面の不動産屋に相談したら「任せてください」と言ってくれてホッとしました、あの、強面ですが、反社じゃないですよ笑 ただ新宿生まれの新宿育ちで元ヤンキーなだけです…



不動産屋は数日間、埼玉の家を見張り畑から帰ってくる時間帯を把握して本田が帰って来た時に若い衆を引き連れて家にのり込みました…



 本田は腰が抜ける程驚き…「じいさん!!!次の家も決めてある!!!生活保護も受給出来る様にしてあるからこれから一緒に行こう!!!!」と怒鳴ったら震え出し「生活保護は勘弁してくれ!!!!」と土下座して「数日猶予をくれ💦茨城に知り合いがいるからそこに行くから」と懇願して、不動産屋は「出て行くならこのゴミ屋敷を綺麗にしてから出て行け💢」と怒鳴られて、書類にサイン✍️する手が震えていた様です…



不動産屋はあまりの異臭に口を塞ぎ、私の認識では綺麗好きだった本田が2年間の間に埼玉の家はゴミ屋敷化していたそうです、トイレの排水口も壊れたのかホームセンターから買って来たサイズの合わないパイプで、水もれが激しく床が腐る手前で、外にある植木等も手入れがしていなくて、酷い状態だったそうです…



やがて、家の中を綺麗に始末するという約束を反故にして突然本田は消えました、家の中はゴミ屋敷のままです、不動産屋もかなり怒っていましたが「彌生さん、あのままでは家は売れないですよ、私が買い取るから、ゴミの始末のお金を○○万出してください、私は170万出しましたからと言われて、またまた諭吉は出て行くばかり…




不動産屋が言うには家の中はゴミ屋敷だったが、母の着物やブランド物のバッグや毛皮や、西武デパートの外商から買った、絵画や掛け軸、伊万里焼きの壺、全て無かったそうです、私は多少は想い出の品があるから手元に置き、後は二束三文でも売ろうと思っていたんですが、全て無い…



本田のヤツ、2年間で全て売り払いカネに替えた様でした、それも腹が立つ💢だいたい、その品は私の父が母に買い与えた物なんですよ、それを勝手に売り払うとはどんな神経をしているのか、本当に許せません…



本当に母には参りましたよ、特養に入れて喜んでいたら、食堂で違うおばあちゃんと喧嘩になり、ぬいぐるみを投げつけたり、他のおばあちゃんは皆んな真っ白な白髪なのに母だけは月に一回くる美容師にカットしてもらい、オマケに白髪まで染めて、それも毎月の施設の使用料に加算され1週間に一度来る「売店」でも、オロナミンCドリンクを箱買いしたりして「個室だから観たい」と言うから小型テレビ買って「オロナミンCドリンクを入れたいから冷蔵庫買って」で小型冷蔵庫を買って、そして入れ歯があるので
施設からは「すみませんポリデントが切れましたから送ってください」ですから、もう毎回毎回腹が立ちました…


そして、何で本田なんかと、くっついたのか?他にも男はいたろうに、もっと真ともな男だったら、私はこんなに腹が立たないんですよ、気持ち悪過ぎます。



やがて、母は2024年の3月に亡くなり、やっと私の肩の荷は降りました、息子はドイツから2回も母に会いに来てくれましたが、不思議と清清すると思っていたのに、今の私はとても悲しいです、毎日毎日、母と父の遺影に線香を上げながら、目を閉じると「悲しい」と思います…





ショパンの「別れの曲」ですが、流石ショパン、本当に「別れ」を描いた傑作ですね、当たり前ですが、まだまだ私の心の中は悲しみで一杯です…






息子はドイツの部屋に母の書いた「習字」を飾りました…
母のホームに2人で行き、母の遺品を始末しながら、2人で選んだ「習字」です…後は私は母が編んだ籐の編みかごを選んで家に持って帰りました…



 

母は昔から手先が器用でホームの「習い事「には本当に熱心に取り組み「習字」「フラワーアレンジメント」「網かご作り」がかなり気に入っていた様です、私は本当は無地が好みですが、これはみんな持って帰り、一番大きな編みかごは「野菜入れ」にして他はメイク用品入れや、コンビニ行く時の小銭入れなどにして使っています…




母が自分のセーターを解いて編んでくれたセーターや帽子この頃は母は私を愛していたのでしょうか?この写真も遺影の横に飾っています…全てが懐かしいし悲しい…




娘は「おばあちゃんは今度生まれ変わったらカメ虫だよ」と真面目な顔をして言うから笑いましたが、私はこんなユートピアにいて欲しいと思います…



そんなある日の事、母のお世話になった施設から電話があり「すみません、本田さんからお母さん宛に手紙が来ていますが、どうしますか?」と電話がありました…「…あの、その手紙には本田の住所が書いてありますか?」「ハイ、書いてあります」「至急送ってください!」そう言いました…



やった!!!!本田の住所がわかった!!!!私は急いで不動産屋に電話しましたが以外や「そうですか…」と乗り気では無かったですね、あの家が売れなくてあてが外れたんでしょうね、もう本田を追求する気は無い様でした…



やがて手紙が送られて来て、中を読んでみると…



洋子がそこにいるのは分かっています、着物などを預かっているので、そこに送りたいのですが、良いでしょうか?の内容で昔の職場の友人と温泉旅行に行った写真も同封してあり、携帯の電話番号も書いてあったので不動産屋へ電話して教えましたが、以前の勢いは無く「分かりました」だけでした、これは私が1人で解決するしかない様です…



いろいろ考え、先ず、手紙を書いて、着物、毛皮等全て返して欲しい事、あれは父が母に買い与えた物なので、あなたには「所有権」は無い事、そして温泉に行くお金があるなら母に借りたお金を少しは返して欲しい事を書いて出しました…



そして、返事が来て、呆れたのは、自分は心筋梗塞で入院している時に、彌生に騙されて離婚した、着物は退院して家に帰ったらも抜けのからで、何も無かった、借金はとっくに返している、これは刑事事件だ、なにもかも彌生が悪い…



ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?(๑•ૅㅁ•๑)



最初の手紙は「洋子の荷物を預かっているから、施設に送りたい」だったのが、今度は「退院して家に帰ったら何も無かった?」しかも手紙の文章まで訛っていて「ミンクのえりまき」が「ミンクのいりまき」なんだ?そりゃ?そして定番の「洋子は彌生に騙された、何もかも彌生が悪い」だと?💢



ふざけんなよ!!!!そっちが母がボケて来たのを素早く察して「公証役場」に連れて行き勝手に「遺言書」を作成して、それは「犯罪」じゃなかったのか?私は気が乗らなかったが、またまた不動産屋へ電話して
「すみません、あなたが埼玉の家に乗り込んだ時は本当に着物とか毛皮とか絵画とか無かったんですよね?」そう確認したら「ハイ!何も無くてゴミ屋敷でした」と言いました…これは本田の嘘八百ですね…



本当は手紙も公開したいですが、最近の事ですし、流石にまずいので敢えて公開はしません…



しかし、私は本田とはこれ以上は戦いません、本当に底辺の人間です、あんなのとあれこれとやり取りするのは自分の「格」を下げるだけだし、メンタルが疲れるだけです、本田ももう91歳です、いつまで生きるやら、最初の妻は本田との生活に疲れて自殺、一人娘は本田を許さず、一切の付き合いは無いし、その内に黙っていてもあの世に行くでしょう…



それにもう底辺の戦いに疲れました…



昨年は2つも大病して、手術に入院、口の中は未だに夜になると激痛で、ドクターが言うには口の中は脳に一番近いので、脳が冴え渡る夜に最も痛みを感じるそうです…


下手をしたら私が本田より先に逝くかもしれません、人の命はいつ消えるか分からないです、入院も2回しましたから、私の「人生観」も変わりました…



人を怨んで生きているくらい馬鹿らしい事はない、そう悟った時、私は母をゆるせました、離婚した夫も許せました…



私の人生は最終章です、時間=命です、時間を無駄にはしたくない、ですからYouTubeやTiktokも始めましたし、ブログも他でも書いていますが、notoを始めたのもチャレンジです…

 

「ウェルビーイングの法則」というものがありますが

 



今「幸せ」についての研究が進んでいます…




幸せな人は「創造性が3倍」「生産性が1.3倍」普通の人より感じるそうです、要するにチャレンジすると「幸福感」を感じるんですね…




日本人は大体、年収が1000万を超えると「幸福度」が下がってくるそうです…人生お金じゃ幸せになれないんですよね…




そうです、人は人、自分は自分で良いんですよ、だから私は「病い」を抱えて、然も「うつ病」なのに、悟ってからは、なんだか毎日が大切だと思うと「noto」にブログを書いたり、YouTube、Tiktok、あとは「絵を描く」これが凄く「幸福感」を感じるんですよ、かなりメンタルが救われましたね…

 

しかし、本田だけは許せません、これは一生変わらないでしょうが、係われば係る程「幸福度」は下がり自分を苦しめるので、あんなゴミみたいなジジイの事は考えない様にしています…



人生いろいろなんです、私は絶対に負けないし、チャレンジは続けて行きたいですね、例え病を抱えようとも「幸福度」は下げない様に心掛けて生きて行きます…





人生いろいろ…


続きます…


#創作大賞2024 #エッセイ部門


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