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えも言われぬ日々を、原動力にする

こんにちは、コンタニです。
noteはだいぶ久しぶりの更新となってしまいました・・・
これをみてくださっている皆さん、お元気でしょうか。

このnoteでは、約6年半お世話になった会社を退職し独立して4ヶ月、近況報告と日々の気づき、そして実は抱えてきていた体調の悩みも含めてnoteにしようと思います。
読んでいると、「割といろんな話題あるんだからそれぞれ分けてnote書けばええやんw」って思う読者の方もいるかもしれません。すみませんw

何となくまとめて一気に書き上げたい気分なので、若干ごちゃっとしたエッセイ風になるかもしれませんがご了承ください。
はい、ぜひできればエッセイを読んでいる気分でw

*このnoteが届いたらいいな〜と思う人
・今人生やキャリアの模索期だな〜、もやもやしているな〜と感じている人
・仕事を変える、会社を変える、独立するなど”転機”があった人
・最近「何かを失った」という実感がある人
・以前と比べて心身や体調の変化を感じている人

まずは近況報告から

6月月初に有休消化が終わり、正式に前職を退職になりました。お休み中は事業アイディエーションのためいろんなことを書き出したり、時々壁打ちに乗っていただいたり、広義のフィールドワークとして地方に行ったり・・・
これまでお世話になってきている方とゆっくりランチでお話ししたりしていました。

前の事業、circleを生み出したときはそれまでの仕事の積み重ねによって、明確に社会への課題感があり、たしかな”問い”がありました。circleの場合は、最終的には多拠点の暮らしのサービスという形の表現になりましたが、「自分の人生を自分で意思決定できない人がこんなにも多いのは何故だろうか?」という問いが自身の原点でした。

でも、今はどうでしょうか。会社を退職し、「自分で事業をまた創っていきたい」という意思だけは確かにあるのに、明確な”問い”がないのです。そのことに、まだ在職中の時から気づいていました。

そこで、下記のような葛藤が自分の中で続きました。

・本来、事業を興していくには、原点として社会への強烈な問いがあるべきだ。それを何故か無くしてしまった今、自分には事業を興す資格が無いのではないか
・あの時のような自分を駆り立てる強烈な問題意識がない。自分は事業を興すどころか、何かをゼロから生み出す創作や表現の原点を失ったのではないか
・そんな今の自分に事業をゼロからまた創ることなどできないのではないか
・そもそもこの心境は一体何故なのだろう。世界は日々前進しており、確実に便利になっており、自分が幼い時と比べると生きやすくなってきているのは確かなものの、それでもなお難しい社会課題は残っている。私が以前から追い求めていた「一人一人が自分で自分の人生の意思決定をしていくには?」という問いだって、別に解決済みの課題というわけではない。世界が進んだからこそ生まれた新しい課題だってある。課題がない社会なんてない、今後もそれは未来永劫あり得ない。でもどうして今の自分には問いがないのだろう?私は何か社会への問題意識というものそのものを失ってしまったんだろうか
・雑にまとめると、年を重ねて大人になって、丸くなったってやつなのか?

まるで角度を変えると一見芸術家のような、アーティストのような自問自答なのですが、本気で悩んでいました。(今も悩んでいないわけではありません)

そして、前職へ転職を決める前のあの時期のように、ぐるぐると自分の中で模索が始まり・・・。それでも気になる本を読んだりいろんな人に少し相談しながら、ある意味もう一度circleの時の概念に自らが入っていくような境地になりました。そしてトランジション理論も再掲。

引用:https://www.creativevillage.ne.jp/category/skillup/knowledge/113303/
自分のnoteでもトランジション理論のこと書いてたりした
https://note.com/yayoi_kontani/n/n00f1a612befb

そんな釈然としない中、何か特別なきっかけがあったわけではないのですが、自然と下記のように考えるようになりました。

・確かに、世の中ではどちらかというと「社会課題を基軸として事業を創っていく」タイプの起業が目立つかもしれない。近年のスタートアップがそうだったから。でも「別に課題解決型じゃないと事業は作れないわけじゃないよ。価値提案型ってのもあるから。ってかむしろ後者の方が多いと思うけどね、前者がこれまで目立ちやすかっただけで。だってSONYとかAppleとかも価値提案型じゃん?」ってそういえば成田さんに言われたな
・前職に入る前は、「世の中の変化に対して後手になりたくない。変化を創る側に立ちたい」って思って会社に入ったな。でも今は、もちろん後手は嫌なんだけど、「変化を創りたい・起こしていきたい」っていうより、「どれだけ時代が進んでも、普遍的に価値があるものはなにか。時代を超えるものは何か」とか、「そういうものを自分は作りたい」っていうムードになっているな。何かわからんけどそんなことを感じている自分がいるな
・事業としてどんなものを創っていくかは全然まだ見えないけども、会社としては急成長して結果短命な会社ではなく、100年続く会社が作りたいな。自分が死んでも残るような会社を作りたい。自分という身が無くなっても、世の中に確かに役に立ち続けて、どこか生活の中にあって、価値を残し続けている会社にしたい。もしかして、ゴールとしてはIPOとかEXITじゃなくて事業承継なのかもしれないな。働き手としてはベンチャーやスタートアップがフィットしてるようには思うけど、作り手としては私は老舗の中小企業を作りたいのかもしれない。(今風で言うと”ゼブラ企業”ってやつだなあ)
・大きいリスクをとって資金調達して、いわゆるJカーブ的に赤字を掘って事業を創っていく経営の仕方は、私にはできない気がするしフィットしていない気がするな。それよりも、着実に一歩ずつ価値を作って積み重ねていきたいな。細々とでも継続を大事にしたいな。私って、年代的にはまだ若いけど考え方は割と古風なのかもしれないなあ
・こんなふうに考えるのも、大学の経営のゼミで「経営で一番大切なのはなんだと思う?継続性だ」という言葉が自分に刻まれて今も残っていたり、日本の大企業の経営史をさらって、その時々の意思決定と変革への闘いの爪痕に触れたからなんだろうなあ
・100年続く会社。着実に積み重ねて結果として社会の役に立っている、地域にも貢献している。それはまさに最初に就職した会社の姿だ。ああそうか、こうやって私は、遠回りしたようで実は同じところに戻ってきたのかもしれないな

というように、自分が思うことに対して裏面を考えていくという感じで、諸々考えていました。

前のnoteにも書いたのですが、前職の上長に「紺谷は、相反する一見矛盾するようなことを、同時に考えて大切にすることができる」という言葉をかけてもらったことがあります。多分なのですが、最初に考えたこと、感じたことが表だとすれば、自分でその裏の面を考える癖があるような気がしました。(ある意味、自己完結的と言えるのかもしれませんが・・・。これが良いことなのかは、正直わかりません。)

そういうようなことを考えながら、ある意味抽象的ではあるが、逆に抽象的なありたい姿が自分の中で先に見えたような、定まったような気がしました。
これらの思考の推移を、一般的には「色々経験して挑戦して、価値観が変わったんだね」と形容するのかもしれません。が、私としては声高々に「価値観が変わりました!」というのは全然違う気がしています。

”こうやって私は、遠回りしたようで実は同じところに戻ってきたのかもしれないな”と先ほど書いたんですが、なぜか、実は最初から見知っていた、どこか親しみのある道にまた戻ってきたなという感覚が近いんですね。不思議なことに・・・。

そんなこんなで、自分がこれからしようとしていること、見据えていることが本当に長期的であり、残りの人生を懸けるのだと、確かに自分は考えていることを確信し、「今すぐに具体的な事業案に落としていくのは難しい、早計すぎる」という判断をしました。

とはいえ、考える、考え続ける機会を一応持つために、自分が目指す方向性にフィットしそうなインキュベーションプログラムに参加することにしました。そして、何かしら具体的に手を動かしていた方が考えも動いていきそうだなという結論に至り、業務委託で受けられる新しいお仕事を探し始めました。

新しい仕事を検討してなんとか始めようとしている図

キャリア系SNSサービスで、自分が興味を持った、良さそうな会社、お仕事に少しいいねを押してみていたんですが、それだけでオンラインでの面談の機会に恵まれ、結果としてオンラインで面談したほぼすべての会社で業務委託のお仕事のオファーをいただけました。本当に感謝感謝です。これも、”まず終わらせなければ始まらなかった”ご縁、機会だと思います。

今は、インキュベーションプログラムに参加しつつ、結果として3つ業務委託のお仕事を受けています。(それ以上受けてしまうと、考える時間がなくなり新しいお仕事だけで手一杯になりそうだったので・・・。)
一つはスタートアップでの事業支援・カスタマーサクセスの業務、残り二つはいわゆる対人支援で、社会人向けのキャリアカウンセリングと、不登校になっている学生が通っているオンラインスクールのメンター業務です。

あまり明確に先が見えない事業準備・自身の模索期間の中で収入が必要だ、というよりも、先ほど書いたように”何かしら具体的に手を動かしていた方が考えも動いていきそうだな”というほうが新しいお仕事を始めることにした理由としては近いのですが、これは考えた通りでした。
6年半いた会社を自ら離れて、直近やっていた、自分が一番前に立ってやっていく事業企画や事業開発とはまた違った仕事をやってみることによって、自分の考えにじわじわと気づくことができました。

・クライアントワーク、サービスのCS業務、いわゆる事業支援の仕事をやってみて
-もちろん今までもクライアントワークのお仕事経験はあるけれども、あくまで事業開発、事業推進の中でやっていたという感じだな。思うと、事業企画に伴って他社や他事業者の方とアイデアを出しながら動いていくって、かなり共創的な動きであり、一般的な事業支援の動き方と全然違うな。
-業務として本格的にやって見て思ったけど、やっぱり私は他の事業を支援する業務じゃなくて、自分で事業開発をしたいんだな。相手に決断を委ねる、行動を委ねることがもどかしい。やっぱり、自分で決めて、自分で手を動かして価値を作っていきたい。人にアドバイスをするのと自分でやってみるのが全く正反対で異なることであるというように、自分で事業の最前線に立ちたいんだな。
・対人支援の業務をやってみて
-前職の時に、ずっとフリーランスの方のキャリアアドバイザーをやっていたから、業務として絞ってやるのは久しぶりという感覚。最近は事業開発、という超全体的な仕事の仕方が多かったから。
-会社の中の業務としてやるので、決められているレギュレーションとかはあるものの、やっぱりこういう仕事向いてるわ。人の人生に向き合う、お話を聞く、引き出す、その人の素敵さ、自分で気づけていない価値に気づいてもらう。前職の時も思ったけど、こういう仕事が私の”天職”なのかもしれない
-不登校の生徒が主に通っているオンラインスクールのメンター業務に関しては、普段の学校の方で馴染めなかった子が、緊張しながら人見知りな状態ながらに、自分の話をシェアしてくれるのが本当に嬉しい。形としては、毎週定期的にたわいのない話をしているだけのように感じるけど、彼ら彼女らにとっては、私という、家族とはまた違った大人、社会人を話せる時間が、本当に大切で、すごく楽しみにしてくれているのがわかる。感じる。

また、インキュベーションプログラムに参加してみていることからも、多くの気づきを得ています。

・インキュベーションプログラムに参加したからといって、必ずしも自分が取り組んでいきたい事業案が固まるというわけではない。プログラムをどんなふうに活用するかはその人次第。このプログラム自体は11月で終わりを迎えるけれども、私自身の考えはそこまでには纏まらなさそうだし、意思決定出来なさそう・・・。
・ただ、いわゆるスモビジ系ともスタートアップ系とも縛りがなく、地域の店舗ビジネスを考えている人もいれば少しソーシャルワーク的?取り組みを考えている人もいれば、theサービスっぽいことを企画している人もいるこのプログラムの、包摂性がなんだか凄くいい。
・参加者は私と同世代の人って感じかな〜と勝手に想像していた。だが、実際参加してみると私は下から数えて3番目くらいw40代50代が多い。本業は大企業勤めです〜という人もいる。
事業を作っていきたい、そう考えるに至るきっかけはそれぞれ違う。もうすぐ定年で、これからは自分でやることを作っていかなければいけない中で〜と話す人も参加者には多くいらっしゃる。その通りだ。でも、どんなきっかけであろうと、自分の手で何か起こそうと考え、行動を起こしてプログラムに参加した。そのことが素晴らしい。そう感じる。
・きっと、起業する・実際に起業したということが本当の意味でのアントレプレナーシップなのではない。自分の手で、自分が前に立って、社会のために皆のために何かを作ろうという意思を持つ。それこそがアントレプレナーシップなんだな。
・このプログラムに参加している方のように、安定した本業があっても、子供や家族がいても、今までの心地よい、一定満足した人生があっても、それでも何か挑戦していきたいと行動できる、40代50代になっていきたいな

まだ、具体的な事業案を固められたわけでもないし、会社を登記したわけでもありません。「自分でやると決めた具体的なアウトプットが出せていない」と自分に対して苦しく思うことももちろんあります。

でも、こうやって書き出してみると、それ以上に多くのことを感じられているし、人として成長できているな、今まで会社に勤めていて目の前の仕事、事業に邁進していた頃とまた違ったステージに来ているな、と感じることができます。

circleをやっていた時の思想、トランジション理論を繰り返し引用しますが、「始めるには、まず終わらせなければならない」のですね。

クリステンセン先生、ありがとう

こういう模索の時期ですので(?)当然いろんな本を雑多に読んでいます。相変わらず図書館に行く日々です。

手に取る本は結局自然と経営の本が多いのですが、一番心に残った本を紹介します。

クリステンセン先生といえば、前noteにも書きましたが『イノベーションのジレンマ』や『ジョブ理論』がとにかくスタンダードですよね。

SNSか何かでこの本に影響を受けたと話している人?を見て、さっと図書館で借りにいきましたが、読みながら冒頭数ページで号泣してしまい、そのまま一気に読み上げましたw

自分なりに、本の主旨と個人的解釈、感じたことをまとめてしまうと・・・

・(クリステンセン先生は)ハーバードビジネススクールで、志を持ち、起業しようと、ビジネスを通して社会に貢献しようとする熱心な生徒をたくさん見てきた。そんな彼らに教鞭をとってきた
・その中には、実際に事業で成功する生徒も多く見てきたし、事業でうまくいかずとも、素晴らしいキャリアを築く人、経済的に成功する人もとっても多く見てきた
でもなぜ?彼らは成功しているのに、中には全く幸せそうに見えない人がいる。成功の裏では、家庭が崩壊していたり、のちに逮捕されたり、心を病んだり、命を落としている人もいる
・自分の教えは本当にこれでいいのだろうか?もっと人生において大切なことを、伝えられていないのではないか
・自分がビジネススクールで教えている経営の考え方は、本当はもっと人生そのものの戦略や歩み、意思決定にも活用できるのではないか?

”キャリアの成功が、仕事の成功が人生の全てではない。”
そんなことを、まだ何も始めていない人間が語っても誰かが鼻で笑うかもしれません。

私は、キャリアの成功が自分の人生の全てだと信じていた時期がありました。
でも、どこかで気づけば、支えてくれている家族の言葉や、お世話になった先輩方の言葉が心の中に温かく浸透して、私は私のキャリアの主人公なのではない、人生の主人公なんだなと、自然にそう考えるようになりました。

どこが変換点だったか?と振り返って考えてみても、あまりに自然な形だったので、正直わかりません。

ハーバードビジネススクールで、イノベーションや経営を教えてきたクリステンセン先生が語りかけてくるからこその、重みがあると思いませんか?
感じるところがある人は、ぜひ読んでほしいです!

トイレが近くなって見えた世界

そしてここからは、この流れの中で(?)私の体調、心身の悩みについて打ち明けるというかシェアしようと思います。
(もし共感できる!自分も悩んでる!と読んで思っていただいた方はコメントや連絡お待ちしてます・・・)

数年前?少なくとも社会人になって前職で再上京してそれ以降になりますが、お腹が弱く、トイレを気にしてしまうことでずっと悩んでいます。悩んでいますというか、もう受け入れて上手く付き合っていく形で日々を送っています。(送っていくことに決めました。)

具体的には、

満員電車や急行電車に乗れない
-人の密度が高く、身動きが取れない密閉された空間にいられない
(閉所狭所も怖くなってきているので、そもそも閉所恐怖症といえば恐怖症になったのかもしれない)
-こういう空間にいると、緊張して呼吸が荒くなってしまう、胃が痛くなってきてしまう(新幹線とか、トイレがある環境ならOK。飛行機も、空間としては決して開けた場所ではないので落ち着くとは当然いえないが、トイレはあるのでまあOKと言える)
移動全般が苦手に
-移動中、落ち着かなくなってしまう
-各駅停車でも、一駅の間の数分ですごく緊張してしまうように、、、
-人に迷惑をかけたくない、人と一緒に移動すると余計緊張するので、移動は原則一人で自分のペースで行うようにしている。かつ時間には絶対に余裕を持って行う
-十分にトイレに行っておいたはずなのに、いざ移動し始めるとトイレに行きたくなる
-電車よりも車の空間の方がまだ個別空間のため相対的には大丈夫だが、渋滞にはまって動けなくなってしまう、信号待ちなどで胃が痛くなるなど、急に緊張してくることも
-車でも、数十分以上の移動だとやはり落ち着かない
-本当はどんどん新しい場所に足を伸ばしていきたい、そんな活発な自分でありたいのに、移動に緊張感があるためにハードルを感じてしまう
・移動以外にも、割と狭い会議室に人多めとか、エレベーターの中など、閉じられた空間は苦しくなることがある(めっちゃ抜けにくい長めの会議や場なども緊張の対象に入るかも)

書いてみて思ったのですが、やはりほぼ精神的なところに近くなってきていると思います。実際には毎日のようにお腹を壊しているとか下しているとかではないです。むしろ実害(?)が出ている日は数える程度です。

ただ、どうしても身動きが取れない、すぐにトイレに寄れない、閉じられている環境だと、緊張して苦しくなってしまう自分がいるということは、紛れもない事実です。

じゃあ逆にどういった環境だと気にせずリラックスしているのでしょうか?というと、

・自宅、家
・(旅行中、出張中であれば)宿泊先
・飲食店(絶対にトイレがあるからw)
・開けた場所、開放感のある場所でトイレがあるところ(オフィス、公園、公共施設など)

こんなところですかね。

前職で事業をやっていた時、地方に出張しにいく、視察しにいく機会が多くありました。一緒に移動してくださる事業のメンバー、地域でアテンドしてくださる方にも必ず事前に話していました。

皆さん、本当に優しく、車の運転自体も上手で、、、お陰様で、その時は実際の移動中にガチ緊張してきてお腹を壊す、途中下車しまくる羽目になる、ということはほぼありませんでした。周囲の皆さんのエスコートが上手だったおかげ(緊張している私を和らげてくださった)だと思います。この場を借りて御礼申し上げます。

家族と一緒に移動するときにも、申し訳ないんですが配慮していただいている日々です。迷惑をかけています。
両親と夫と皆で家族旅行にいく際にも、父が車を運転しながらの旅行だったのですが、「大丈夫、俺もお腹弱いからわかる。いってもらえればどこ走っててもすぐトイレ寄れるから」と機動性の高さと謎の自信(?)を見せてくれました。(父は高校の教員で二種免許も持っており、部活の送迎で生徒を長距離送迎することも多々あるようですw)

別のnoteで書きましたが、私の両親は旅好きで、私を幼い頃から日本全国47都道府県、海外は30カ国以上に連れてってくれました。個人的には、”地を知っている”からこそ機動性高く動ける、突発的なことにも余裕を持って対処できるのかな、という姿を二人から見せてもらっているような気がします。
(あとは、両親とも教員なので、いろんな子どもたちを引率してきているからこその経験もあるのかな・・・。)

夫ともよくドライブでお出かけしますが、こんな私をいつも柔軟にエスコートしてくださいます。
仕事も、リモートワーク中心ですし、その他の部分も自分のペースで予定を組み立てたり移動のスケジュールを立てられるので、ほぼコントロールしながら生活できています。周りの皆さんに感謝しています。

「そんな常にお腹やトイレを気にしなきゃいけない生活、辛すぎるだろ」って思うかもしれません。でも、私はなんでも深刻に考えすぎる、自分を責める性格でありながら、その一方で前向きなので(?)得られることもあるよ!あったよ!って皆さんにお伝えしたいです。

・持病がある、何らかのハンディキャップがある、いろんな背景で移動に困難がある、またはシニアなどで身体的に若い時のようにスムーズには移動できない、といったような人々の生活や心理状況を(きっかけは意図しないところだったが)理解できるようになった。ありありと想像できるようになった
・目的地がある時、電車やバス以外だとどんなふうにいけるのか、具体的に何分かかるのか、どういう道のりになりそうか、昔よりもシミュレーションするようになった、計画的に動くようになった
・その一方で、何かあったときに遠慮なく立ち止まれるよう、時間の余裕も持たせるようになった
・歩いて行ける範囲が広がった(広げざるを得なかったw)、足元の近くの地域に目が向くようになった
・お腹やトイレは気になるけれども、体調維持のことを日々考えて生活するので、逆にそれ以外で体調を崩すことはほぼない(あれ、もしかして私って健康体なのでは?w)

また、自分のペースで自分の足で歩いている時が一番機動性が高く安心できるので、歩ける範囲は歩くようにしようということで歩いて移動する割合が増えました。
また、これは今年から取り入れているのですが、自転車移動だとかなり遠くにもDtoDで柔軟にいけると気づき、すっかり徒歩と自転車中心の都内移動となっています。

今年一番長く走ったのは、自由が丘から後楽園まで自転車で向かった時!
クソ暑い中、13.2kmも走りました!w

自転車も、徒歩と同じなのですが自分のペースで移動できますし、どこかトイレに寄りたい!ちょっとここ寄りたいかも・・・となったらすぐ方向転換できるので、精神的に緊張しづらいんですよね。密空間での移動ではなく、道が開けているというのも気に入っています。道の渋滞も、自転車だとあまり関係ないですしね!もちろん、運動不足の中で運動になるということも気に入ってますし、特に夜風を切って走る気持ちよさもあるなあと思ってます。

自転車移動を取り入れ始めてからは、人生と重ねて(?)下記のようなことも感じるようになりました。

・今までは、どこか出かけるにせよ、目立つ有名なところに行こう・行かなきゃ〜と実は自分も思っていたのかも。でも、移動が苦手になってからは、近くの地域に目がいくようになって、「こんな場所が近くにあったんだ」みたいな気づきが増えた
・自転車で移動してみると、「電車では乗り換え多い、これくらい時間がかかる〜と思い込んでた地域が、実は意外と近い」みたいな発見が多い。First door,second door,third doorの話じゃないけど、実は皆と同じように動いてると遠いな、億劫だな、面倒だなと感じてしまうようになってたことが、自分の足を動かして自分なりの抜け道を見つけられると、実は近いんだという発見といえるのかもしれない
・自転車で移動している方が、電車とかに乗ってるよりも道の大局を考えるようになる。Google Mapが示す細かく曲がる最短ルートより、主要な幹線道路をベースにしたシンプルな道の方が結果として早く到着できる、ということが往々にしてある。これは逆にさっきの例え話と反対になってしまうかもしれないが、人から提示された最短ルートより、自分で信じた大局(王道、スタンダード)、基礎を大切にした方が結果として実は近道なんだ的な。これもなんだか人生って感じがするなあ〜

”そして生活はつづく”

こんな体調の悩みや、自転車での移動を人生観に重ねるやつなんてなかなかいないですよねwすみません。ここまで、長々とした私のエッセイを読んでくださって、本当にありがとうございます。

ここまで書いてきたように、しばらく私のフリーランス生活、人生の模索の時期は続きそうです。

起業すると言って会社を辞めたのだから、事業を早く始めなきゃ。
今の自分は挑戦できていない。リスクを取れていない。
ここ数ヶ月、そうやって自分を責めていました。

でも、お世話になった会社を退職して、気づいたら独立しているわけです。今までやってきたことを活かしつつも、新しいお仕事にチャレンジしています。よくよく考えると、十分挑戦しているなと思いましたw(ちょっと一般的な感じ方とネジ外れてた可能性w)

前の事業をゼロから作った時のように。
キャリアや人生に苦しみ、「人生に正解なんてないんだ、自分で作っていくしかないんだ」とハッとさせられた時の経験が、その後の人の人生と向き合っていく仕事に活きた時のように。
簡単に名前をつけられない、簡単に説明することも形容することもできないような時間や日々こそが、私が何かを生み出す時のかけがえのない原動力になってきました。

だから、あともうちょっと待っていてください。
どれくらい先になるかはわかりませんが、悩みながらも、目先の利益やわかりやすさに左右されず、圧倒的に長期に張れるのが、私の唯一の強みだと、今は思うのです。

むしろ、それくらいしか自分の強みだと思えませんw

このnoteが、今日もえも言われぬ日々を過ごしながら、でも着実に前に必死に進んでいる、誰かに届きますように。







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