愛された孫 2-8(私小説)
高校生になってもお盆と正月は花江の元に家族四人で向かった。千葉の家ではなく、利一郎が立てた群馬の家だ。
花江は基本的には利一郎が遺した群馬の家で暮らしつつ、千葉の家の管理も一人でしていた。病院や母に会いに東京に来たついでに千葉にも立ち寄った。東京に南下した後に東にクッと折れて千葉に向かうのだ。
空気を入れ換え、簡単な掃除をし、草刈りを手配したり、花の手入れもしていたようだ。月一回は千葉の家に行っていた気がする。
夏の帰省の目的は顔出しと墓参りだ。例年通り、日中に群馬北部にある父方の墓参りをして夕方に利一郎が建てた家に到着した。
私と姉がチャイムを鳴らすと、花江が鍵を開けて玄関に出迎えた。
「千花ちゃん、また大きくなったんじゃない」
高校生になりすでに身長は完全に止まっていたが、会うたびに花江はこう言った。
「その服は感じがいいね」
「ありがとう」
私の着ていた黄色と緑の車がプリントされたTシャツを花江が誉めた。姉の服は誉めたことが無いので、花江と私のセンスは近かったのかもしれない。
この時も夕食は寿司だった。群馬は海無し県だが寿司屋くらいはある。花江はちらっと指を舐めてチラシをめくり、上五人前を電話で注文した。
寿司が届くまでの間は、お茶と菓子を楽しむことが多かった。マグカップの上に取っ手付きの茶漉しを直接乗せて茶葉を入れ、ポットからそのままお湯を注ぐ。実家では毎朝、姉か私が急須でお茶を淹れていたので最初は驚いた。だが何回も群馬に行くうちに花江の淹れ方に慣れた。急須で入れた時との味の違いも特に感じなかった。
菓子は夏はスーパーカップのバニラ味が多かった。あとはチョコレートだ。メリーズ、音符マークが描かれて個包装のお徳用チョコ、板チョコ、と種類はその時によって違った。群馬銘菓の旅がらすや七福神煎餅の時もあった。旅がらすは和風の名前だが、味はゴーフルに似ている。甘くて薄い煎餅に、クリームが挟まっていて当時はあまり好きではなかった。少し豪華なゴールド版があり、成人祝いに花江から旅がらすゴールドの大箱が届いたことがあった。内心ぎょっとしたが、食べてみたら美味しく感じた。四年の間に舌が成長したか、やはりゴールドは一味違うのかもしれない。
届いた寿司は私と姉が居間へ運んだ。寿司が五個も並ぶと長方形の掘りごたつの上が一気に華やかになった。漆の椀にお吸い物の粉を開け、ポットからお湯を注ぐ。お茶のおかわりをした時に補充用のお湯は沸かしていたので余裕がある。私がジャージャーとお湯を手際よく注ぎ、姉がお椀を食卓に並べた。
支払いを終えた花江が居間に戻ってきた。キッチンに寄ったのだろう、飲み物と細いグラスが乗ったお盆を持っている。
「本当にもう世話要らずだね」
お盆をテーブルの上に置き、並べられた寿司を眺めながら花江が座った。
花江は父とビールを注ぎ合った。その後に花江が母のグラスにビールを注ぐ。私と姉はサイダーを自分で注いだ。
「乾杯」
グラスをぶつけ合って、私はサイダーを一口飲んだ。甘いものからいきなり寿司には移れないのでお吸い物も飲んだ。
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