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愛された孫 3-3(私小説)

 その日は日帰りだった。館林で電車を待ちながら、あっけないものだったなと意外に思った。
 方向性が決まってしまえば、やる事と出来る事は限られるからそれが良かったのかもしれない。利一郎が家を建て養子問題が出てきた時あんなに離れがたかった中学時代の友人とは、ここ数年でほとんど疎遠になっていた。
 入社前には苗字を変えてしまった方が都合が良いと思った。途中から苗字が変わって、詮索されるのも面倒だ。就職先は渋谷のネット関連企業だった。
 大学入学時には家庭裁判所調査官という道も考えていた。自分が悩まされた家族の問題を解決するために尽力する国家公務員だ。家庭裁判所に単独でアポイントメントを取り、現役の調査官から話しを聞いたりもした。でも結局受検すらしなかった。社会学、心理学等の専門分野を徹底的に学び、大学院まで卒業した人達と張り合う気力は無かったし、離婚、非行、相続といった他人のヘビーな家庭の事情等どうでもよいし関わりたくないと思うようになっていた。
 世界史が好きだったので教職課程も取ったが、教師にはならなかった。東京都の採用試験は記念受験だけした。結局自分のことで手一杯な私には、多感な時期の生徒達は荷が重すぎた。
 新卒で定職に就かないという不安定さは選びたくなかったので、せめて興味のある出版、印刷、ネット業界で就職活動をした結果だった。
 養子問題は七年かかったのに自分の進路は一年程度で決めてしまった。選択肢がどんどん減っていって、最後に一個だけ残るシステムだから仕方がない。
 七年という歳月は自分の内外ともに変化がある。歳を取ればこの変化の幅は縮まっていくのだろうか。

 夕飯は池袋の天龍で父と餃子を食べた。ここの餃子は普通の二倍くらいの長さで、ソーセージみたいに具がぎっしり入っている。店名に銀座を冠しても名前負けしない餃子だった。
 池袋からはバスで帰った。父も私もあまり喋らなかった。

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