雑記 88 Chi fa "falla", chi non fa "sfarfalla".
キ ファ フッラ、キ ノン ファ スファルファッラ。
するのは失敗、しないのは大失敗ね、正直。
これ、イタリアに古くからある諺ね。
映画の中で、イタリアガイドのマルコはそう言った。
あまりに直訳調の日本語過ぎるが、言わんとしていることは分かる。
何かをやろうとして失敗することはある。それは失敗という経験を得て、失敗が次のチャレンジの糧となる。
何もしないことは、何も得られず、何ももたらされず、何も変わりようがないので、「大」のつく失敗である。
というようなことだろう。失敗を恐れて行動しないのでは何も得られない。
これは、映画『フィレンツェラビリンス』の中のひとコマ。原作は『前世への冒険』森下典子著。ノンフィクションである。
自分の前世を探すためにわざわざイタリアまで来てしまった典子に言うマルコの台詞。
前世なんてあるかどうか分からないのだし、生まれ変わりがあるとしても、それが今生とどう繋がるのか分からない。
だが、あまりにも自分に前世があるという素材は、調査に来たイタリアに揃い過ぎていた。
典子は、前世が見えるという婦人のメモを持って、イタリアフィレンツェに飛び、言われた場所を回る。ガイドのマルコの協力を得て、未知だったことが、次々に事実として存在していることを知る。
自分の作とされる秀逸な彫刻。
1400年代の公的機関の納税証明書。
絶版となり、神父の事務所に貴重本として展示されている、非公開、門外不出の作品研究の書。
それはあまりに古く、また存在さえ表に出ず、現代の美術史研究者はおそらく読んだことのないものであった。本を見せてもらいたい、と申し出たが、にべもなく断られた。それでも粘り強く懇願して、相手が根負けし、ではパスポートと交換だ、と。そうでなければ、貸している間、人質を置いて行け、と。
だが、そうして、自分の前世はかなりのところまで辿れ、色々なことが分かったが、果たして自分が生まれ変わった自覚があるかどうか。
やはり、ない、と言うのが、結論、本当のところだった。
ルネサンス時代の著名な彫刻家が、自分であっても、典子には、他人である、としか言いようがない。
生まれ変わることが事実としても、記憶としては100万分の1程度しか覚えていないのなら、それは勘違いや思い込みと区別がつかず、他人の記憶なのである。記憶を持ったまま生まれ変わる人もいるが、大抵の人はそうでない。
だが調査が無駄であったか、というと、そうとは言えない。少なくとも少し世界観は変わった。
Chi fa "falla", chi non fa "sfarfalla".
やらなければ、何ごとも起こらない。
やるのは失敗、やらないのは大失敗。
年の初めにあたり、難しそうなことでも怯まず「やるのは失敗」の道を選びたいと、私も思っている。