雑記 26 7月の薪割り
日記。7月15日。
夜の間降り続いていた雨は朝には止み、友人から誘われていた薪割りを見に行く。
この別荘地に健康上の理由から東京を捨てて移住。彼は12年前から既にテレワークの人だった。難病を抱え、その他にも心臓も腎臓も肺も血管も目も、あまりにもあちこちそれぞれに難しい問題があり、病気自慢をしているようにも聞こえ、悪くないところを探すのが難しいくらいだが、心の在り方は常に前向きで感心する。
言葉遣いは悪いが、これは正体を隠すためらしく、実はお育ちは良く、有名な小中高大一貫校に通っていた。母の計らいで子供の頃高名な画家に絵を習っていたと言うくらいだから、並でない英才教育も存分に浴びた。学生運動に参加して捕まり高い塀のある場所に入ったこともある、とか、色々。
しかし突然に始まった健康上の困難は、普通の生活にさえ影を落とし、空気の良い土地への移住という選択をすることになった。
その彼が、暮れから来年の冬にかけて使う薪を、夏の今から準備中なので、見に来いと言う。
行ってみると、ミズナラの太い丸太が家の敷地の前に何本も転がっている。それを薪の長さにぶつ切りにして、高台にある家の地下室まで軽トラックで運び上げ、薪割り機で薪にする。割った薪は、地下の倉庫に積み上げる。
今日の作業は、ぶつ切りにした木片を運び上げ、薪割り機の横に積み上げるところまで。
木片は、それだけで公園の腰掛けになりそうな直径があり、ひとつ30キロ以上はある。丸太は根元に来るほど直径は大きくなるので、大きいものはひとつ50キロを超す。
軽トラックに詰める塊は10個ほど。重い塊はウインチで持ち上げるが、重い、重くない、の判断の境目は50キロらしい。それ以下のものは、人力で荷台に乗せる。テコの原理を使うと扱いが簡単だと言う。
あたりは鋸を使った時に出たおが屑も散らばり、それらが高原のひんやりした空気の中にほのかに香りを放っていた。
毎年ひと冬で使う薪は、12トン。12年前は20トン使ったが、暖冬の影響で、近頃は12トンとか。
仕事の合間に、地下倉庫下の薪割り機の横手に積んだ木片を下ろして、いわゆる薪に。
12トンの薪を作るのに、10月までかかる。
本日は、仕事関係の部下であろうが、「奴隷」と呼ぶ若い助っ人の協力を得て、軽トラに切り株を積み、地下室までの坂道をローギアでブーブー吹かしガタガタ上り、木片を下ろして薪割り機の隣に整然と積み、の繰り返し。この木片を後日さらに薪割り機で薪にする。
病弱な人がやれる仕事には見えないが、やれるのである。本当にこんな病気がちの細身の小柄な人のどこに、太い丸太と闘い続ける力があるのだろうと思う。
好きなことをやっている時は、何もかも忘れて興じているように見え、別の力が働いているようだ。
薪割りをしている時が一番体調が良い、と言う。
女で言う「ケーキは別腹」みたいなものかもしれない。
昨年の秋には入院して、退院した後無事日常生活できるのかと思えるほどだった。
だから、出来れば、一年中薪割りをしていてほしい。
薪割り、って言ったって、彼の薪割りは機械使うんだよ、と、知らない人は、大変じゃないでしょ?みたいなことを言っていたが、何の何の、塊ひとつ軽トラックの荷台に乗せるだけだって、どれだけの腹筋力が要るか。
ハァ〜、とか、へえ〜、とか、感嘆の声を出す以外手伝いらしいことは出来ず、ひたすら感心して過ぎた午後だった。