歳をとるって

最近になって感じるのだが、自分の好きな事がうまく説明できないというか、自分の好きな事に対して半信半疑になってしまう事がある。

これは自分自身が働き出してからなのか元々の性格である心配性が悪化して心配病という病気にジョブチェンジしたのかわからないが、それとも凝り固まりガチガチに築き上げられた根暗という壁がそうさせているのか。
いろんな説が俺の中で囁かれている。
正直言ってめんどくさい性格だ。
だから友人に「変な拗らせ方をしている」と言われてしまうのだ。

俺は、今地元の図書館で書いている。このご時世、例のコロナ対策のおかげで隣同士が仕切によって区切られているので、人目を気にせず執筆できる。
そしてこの図書館はすぐそばに公園やテニスコートも隣接している市民の憩いの場()になっているので、今現在の時刻の夕方には部活動に勤しむ学生の姿や、チャリンコを乗り回している小学生、犬の散歩をしているおじさんやおばさん。小さな子どもを遊ばせながら、会話を楽しんでいるママ友さんなど様々な年齢層が見られる。

そして、今俺が座ってる席の前では、テニス部の中学生か高校生かわからない女の子3人組が、楽しそうにソフトテニスのボールを打っている。
素人目からしても上手ではないが、楽しそうにボールを打ち返しラリーを続けている。ボールがあっちに行ったりこっちに行ったりとして、見ている側からしたら「大変そうだな」と思うが、実際にラリーをしている彼女達の顔はニコニコと笑顔だった。
仲の良い友達とするこの何気無いラリーが楽しいのか、はたまた一緒にできて楽しいのかそこはわからない。少なくとも今の俺には到底できない、瑞々しい笑顔だった。

思えば、俺も高校生や中学生、小学生の頃は毎日友達とバカやっていた。小学生、中学生の頃はサッカーボールを追いかけながら、駄菓子を買い食いしながら、友達の家でゲームしながら、高校生は、部活でバスケットボールを追いかけたり、部室で学校で禁止されているケータイをコソコソ出してパズドラやモンストをしたり、好きなバンドの話に華を咲かしていたり、常に笑顔があったし、これからも笑えていられると思っていた。

こうして自分の青春を振り返りながら勝手に胸が苦しくなる現象に名前をつけたい。
どうしてあんなに楽しい日々があったのか。今思うと、何もない田舎で毎日何か楽しみを見つけていた学生時代は本当に貴重だった。
世間から見たら俺の青春は灰色だったが、あの時は毎日腹が捩れるほど笑ったし、嫌な事も悔しい事も色々あったが、結局最後には「まあ、よかったんじゃないの」と言えるものになった。

今まで後悔ばかりでも、最後には『なんとなくだけどよかった』って思える事が歳をとる事なのかな。

久しぶりに行った地元の図書館で、俺が高校生の頃密かに好きだった職員さんは見かけなかった。
もう辞められたのか、それとも今日は休みなのかわからない。
少しだけ残念だと思う気持ちに封をして、この記事を終わりにしたい。

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