日本は学歴社会なのかどうか?
「日本はまだまだ超低学歴社会から,低学歴社会になったくらいだからね。」
10年ほど前に,70歳のある教授に言われてびっくりした。
この低学歴社会とは,学歴を評価する度合が低い社会という意図でした。弱学歴社会と表してもよいかもしれません。日本の都市部にいると小学校受験や塾に通う学生の姿を目にして,いい大学に入ることを強く願う風潮があるのだから,これは学歴社会なのではないのか?と私は思いました.
この一言を言われたのは,実は当時私が博士号を取得して、ポスドクをやっている際のことです。私が
「来年から会社で働くんですよ、親にやっと働くのかって小言を言われたんですよ」
そんな話をした際でした。先生は,その際に私に「日本はまだまだ超低学歴社会から,低学歴社会になったくらいだからね。親世代なら、そういう感覚はしかたないよ。」と励ましの意味でかけてくれた言葉です。
日本が低学歴社会とはどういうこと?
先生の説明を要約します。博士号を取得して28歳前後で働きはじめることになります。日本では親不孝とか,穀潰し扱いしてくる人もいますが,これは先進国の中ではむしろ日本のほうがイレギュラーだそうです。今では私もそう感じます。グローバルには28歳で働くこと,あるいは20代後半や30代で大学で学ぶことは別に遅くないということです。日本は修士進学率も,特に博士進学率がとても低く,特に文系の大学院進学率は世界的にも極端に低いといです。そのため,日本は他の先進国に比較して修士や博士などの高学歴者が少ない,特に会社では学部卒者が優遇され,(最近では修士卒が優遇される場合も増えてきていますが)博士卒は優遇されない,様々なことを自腹で学んだ人を優遇しない,超低学歴社会ともいえるということです。そうなると,まるで修士課程や博士課程に行ったいったことが無駄な時間、なんなら足踏みより後退して社会に取り残されているんじゃないかと、そういうふうに親が誤解してしまうのだろうということです。
あれから10年たった今でも,理系修士卒が一定の分野で評価されるようになってきましたが,それでも学部あるいは修士修了者の新卒一斉採用主義はかわらない状態です。一度働いた後,大学院に戻る人も極めて少ないままです。10年前は終身雇用ももっと強く求める人も多,学部卒で一早くいい会社に入ることを至極として学生も親も考えていました。今でもそういう価値観の親世代は多いとおもいます。
なぜ、日本は修士や博士を評価しないのか?
なぜ、日本は修士や博士に進まないのか,あるいは価値を評価しないのか?このことについても,お考えを説明してくださいました。それは「日本人は投資という概念嫌いだというのが理由の1つと考えられる」とのことでした。今はほぼ銀行預金で金利なんてつかないけど,それでも銀行にあずける人が多い。銀行預金が安心というよりは、投資に対して言葉にできない不安や嫌悪感があるからではないでしょうか。今の大人の世代は投資について学ぶ機会がなかったからだと考えられます。この投資の考えかたは,単にお金を増やすという意味ではなく,単純な積み重ねではなく将来を見据えて、複利的に先々に生きる何かにチャレンジするという概念として、投資が苦手という行動形態にもつながると考えられます。 つまり,まずは大学を出て,今いい会社,今人気の会社に入ることを目指してるということです。未来もうかる会社とか,将来自分で何をしたいとか,何で稼ぐという長期的目線、投資の目線を持ちにくい社会的な雰囲気があるという指摘です。
人生100年時代になろうとしているのだから、22歳まで学ぶか27歳まで学ぶかの5年間、博士号をとるかどうかの違いが、将来にわたる選択肢や収入、チャンスにどれほど影響するか考える人が少ないともいえます。もちろん日本では,博士課程も給与がでることはほぼなく,大きな金銭的負担となるため,様々な事情で進学できにない人も多いでしょう。私も奨学金や様々な補助金がなければ進学できませんでした。その高度な教育に対しても社会構造が門戸を閉ざしているという点でも低学歴社会と言えるでしょう。高校時点の成績により,難関と呼ばれる大学に入れた人,入れない人を分断して低学歴社会といいたいわけではなく,学びたい人が学べない,そして学んだ人が評価されない社会を低学歴社会と指摘されていました。
日本では,20代後半になると,学んでいる人が急激に減ります。大学院に入りなおそうとか,大学で授業1つだけでも履修しよう、学ぼうという人が社会人では超少数派です。そうなると大学生より年上で学んでいる人に対して、同族じゃない、異質というイメージにつながり、自分らと同じではないなら間違いだ、良くない、不安だと思ってしまうのかもしれません。
さいごに
大多数が正解とは限りません。もちろん少数が正解とも限りません。世界と日本を比較する必要もないかもしれません。様々な理由で学べない人もいます。しかし、努力をして学んだ人を評価して、その知識を社会に還元していくことも、日本の発展につながる1つの可能性ではないでしょうか。