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ASDグレー娘の学校遍歴 その2(どの学校がいいの?編)

試行錯誤の繰り返し  

最近、発達障害の子供に私立受験を勧める広告をよく目にしますが、ここはよく考えた方がいいと思います。配慮という点では、今は公立学校の方が手厚かったりするからです。

知的好奇心が強い子供、勉強が苦ではないという子供には良いかもしれませんが、うちのムスメは勉強が嫌いだとはっきり言っていたので、成績重視の私立は向いていませんでした。

小さな私立は利益重視だった  

小6で診断に繋がった当時は、情報が限定的でした。そこには、公立が良いと言う意見はなく、特性がある子は私立の中高一貫校が良いというものが多く、うちもついつい慌てて飛びついてしまいました。

入った私立中学では、最初の1年はクラスも少人数で、友達にも恵まれ順調に見えました。しかし、入学僅か1年で東大合格者が出た辺りからどんどん成績重視へと方向転換していったのです。

勉強についていけない生徒は辞めてもらって結構という姿勢が影響して、成績が下がり始めたムスメは2年の2学期から行き渋るようになりました。相談室登校をお願いしましたが、ムスメを見られる人がいないという理由で帰されるようになりました。教室に行けないムスメへのサポートはほとんどなく、迎えにくるよう電話がくるようになり、結果転校する事にしました。

地元の公立中学は、全員が同じ小学校から上がっていて、ムスメが私立へ行ったことを知っている状態でしたので、人の目を異常に気にするムスメが戻りたくないのも分かるので、中3に上がるタイミングでフリースクールへ行くことにしたのでした。

発達障害専門のフリースクール

フリースクールは二つの学校を検討。一つは発達障害専門で特性の子供の対応に長けていましたが、学力は低くグレーがいない学校。もう一つは発達障害に限らず様々な理由から不登校になった子供が通う学校で、グレーっぽい子が沢山いる感じでした。

どちらも何度も足を運び確認しましたが、娘が選んだのは、前者の学力的にかなり低い発達障害専門の方でした。成績がどんどん落ちて底辺だったとはいえ、私立でしたから完全に合っていないと思いましたが、ムスメはそうではありませんでした。学力の低い学校は始めて優越感に浸れる魅力的な場所に思えたようでした。

特性を理解してくれたのは、もう一方のフリースクールも同じで、授業は中学のおさらいから始められるシステムがあったので、彼女には良いと思ったのですが、体験授業を受けたムスメは頑として拒否。

授業中もスマホが許されていたり、容姿も派手な生徒がいたりしたので、超真面目なムスメには自由があり過ぎるのが許せないと言うのでした。

勿論よくよく話し合って、私の意見はしっかり伝えましたが、ムスメはこうと言ったら聞かない正確ですし、すぐ親のせいにするのが板についていましたから、彼女の選択を尊重する事に徹底しました。まあ結果的に、そのフリースクールは約1ヶ月で辞めてしまったのですが… 高い勉強代でしたが、特性上自分と似ているけれど、自分よりもっと上行くクラスメイト達にうんざりして自分から辞めたいと言ってきたのです。

毎日のように学校でのうんざりエピソードを怒りながら聞かされました。それまで学校のことなど家でほとんど話さないムスメでしたし、自覚にも繋がったので、私はなんだか楽しく聞いたのを覚えています。

ムスメにとっては自分と同じ特性ゆえ、気持ちが分かるもの、許せないもの、様々な視点から特性を見ることができたようで、僅か一ヶ月でしたがいい勉強になったようでした。

勉強に関しても『楽をすると人間ダメになることが分かった』と言ってきたのもこの時でした。

何事も経験しないと分からないというのは、一般でも言うことですが、特性持ちだと更に更に成長に時間がかかるのでした。

だからといって、行きたくないと言っていた地元の中学にはすんなり行くはずもなく、強い思いこみやこだわりやプライドやコミュニケーションの読み違いなど、困った特性にはこの後もまだまだ振り回され、親にとってもなかなか辛い時期でした。特にうちはモトオも同じ特性で、この時もムスメを応援するどころか見下してきたので本当に辛い時期でした。

公立中学に救われた

もともとフリースクールは認可された教育機関ではない為、書類上の在籍は地元の公立中学校になるのです。

なのでフリースクールへ入るには、地元中学にも入学の手続きをしに行かなければならず、中二の三月、私は一人で地元中の校長先生にお願いの挨拶に行きました。

発達障害とその特殊な家族、特にASDのモラハラ夫の話しにかなり理解ある校長先生で驚きました。ですが、その後1ヶ月でフリースクールを辞めたので、六月から実質も通うことになったので、再度挨拶に行くことになりました。その校長先生が出てくるとばかり思っていたら、なんと4月から新しい校長先生が赴任していらっしゃってて、校長室に通された私は恐らく「誰これ?」という顔をしていたんでしょうね。新しい校長先生はバツの悪い顔をしてましたから。

三月に会った校長先生が感じの良い人だったので、違う校長先生が出てきた時には流石に不安になりましたが、話をすると新しい校長先生も理解のある方でした。やはりトップは大事です。

入学すると、その校長先生は更にすごい人だということが分かりました。校長先生自ら相談室へよく顔を出し、娘と話をしに来てくれたのですから驚きです。娘を気にして相談室に顔を出してくれた先生は他にも沢山いて、それによって娘は本当に少しづつですが目に見えて変わっていきました。子供の成長には親以外の目が必要だとつくづく思いました。勉強だけでなく、人と関わるという意味で学校は行く価値があると強く思います。

結局、娘が教室でクラスメートと授業を受けれたのは数回だけでしたが、相談室の先生や担任の先生、学年主任の先生、図書室司書の先生、スクールカウンセラーに教頭先生に校長先生と、たくさんの先生方にいろいろな形で関わってもらい、娘も担任の先生に勧められた公立高校を受験すると決めた程、やる気を少しづつ出し始めていました、

娘のこの状態は、実は家庭の問題、つまり元夫も大きく関わっていたのですが、そんな娘の大切な時を狙うかのように元夫は暴走はエスカレートさせていきました。彼の不機嫌や無視に、私がひるまなくなったからですが、元夫は受験直前に家を出て行き、娘は挑戦することなく、落ちた時の選択肢だったサポート校へ行くことに決めたのでした。

元夫が調停で、娘の進路について言ってきたこと

高校受験を翌月に控えた12月、元夫は突然家を出、すぐ離婚調停を起こしてきました。弁護士を立て、理由は私から精神的虐待を受けて鬱になったからということで、医者の診断書まで付けてきました。

私が娘の行き渋りの支援や高校の選択に奮闘していた間、彼は家族を捨てる準備を着々と整えていたのです。お陰で私は娘のことを考える間もなく、急に離婚調停の準備をしなければいけなくなりました。自分のことしか考えられない勝手な元夫への怒りは、憎しみへと変わりました。

こうして2月から始まった調停でお金のことを決まる際、彼が娘の進路について言ってきたことがこうでした。「娘には公立に入れる頭があるのに、こんなに高い授業料の高校へ行く事を自分は許していない。なので、そんな知らない高校の学費は払わない。娘はずっと学校へ行っておらず、今は高校に行くよりも中学で留年させるべきだ」と言うのでした。

調停員からこれを聞いた時は、耳を疑い動揺して何度も聞き返したのを覚えています。けれど、言われたのが調停で良かったとも思いました。こんなことを家でしかも目の前で言われていたら、私はきっと頭に血が上って倒れていたか、彼に殴りかかっていたでしょうから。そんな事にならなくて、本当に良かったと思います。

発達専門の通信制高校 サポート校というところ

楽することを目的に入って失敗したフリースクールの経験から、娘が次に決めたのは同じく発達専門の学校でした。サポート校というカテゴリーになり、いろいろありますが、そのサポート高校は、学年ごとに1、2組は進学クラス、3組は就職、4組は知的有りの就職クラスと学力別に分けられていて画期的でした。

彼女が自分で選んだ学校でしたから、片道1時間半の電車通学もほとんど休むことなく通いました。演劇部にも入り、委員会の役も率先してやるなどして、少しですが友達もでき、勉強以外充実した学校生活を送っていました。勉強が嫌いなのは変わらずで、これに関しては本人のやる気次第なので、学校に任せることにしていました。

発達傾向の子供の多くは、やはり不登校気味になるので、多くが学校に来ない状況になります。この学校は、学校に来ない生徒に担任が電話し、学校に来るよう密に連絡を取ってくれると定評があるようでした。不登校の生徒の保護者には喜ばれているようでしたが、問題は先生が授業中にもその電話を取るらしく、キチンと学校に来ている方の授業が中断していたというのです。娘は家に帰ると疲れから、よく学校であったことなどを話すのを忘れるので、そういうことを知ったのは2年の2学期頃でした。

つまり娘のように毎日登校出来ている生徒は問題ないので放ったらかしだったということです。成績が落ちたことを相談しても心配なら塾を検討してみては、と普通の学校が言うことを普通に言われ、なにか悶々としたものを感じました。

そこへコロナが来て、行事が全て消え、授業もない状態になると事態は一変。高2の娘はネット依存のように家でだらだら暮らし、卒業後の話をすれば怒り出すようになっていました。年が明けいよいよ3年という時に、娘に学校の話しをすると流石に危機感を感じたらしく、転校する事を決めました。実は私もその時まで転校など全く考えていなかったのですが、一緒に役員をしていた方が突然転校したことがきっかけになったのでした。

娘が頑張れる学校

この春、高3から通っている今のサポート高校は、生徒一人一人に担当コーチがつくシステムがあります。イベントや授業もオンラインが定着しているお陰で、コロナの影響が最小限に留められている感じがいいところです。

面倒くさがりの娘に小さなことからいろいろ挑戦させようと関わってくれるので、本当に有難く、この間は清掃活動のボランティアに誘い入れてくれていました。
娘は「面倒くさいから一度は断ったけど、もう1回コーチが誘いに来てくれたから、やってもいいと思えた」そうです。本当に面倒臭い人です。

親の私も娘のコーチと学校のシステム内で気軽に連絡が取れるので、進学希望なのに勉強が嫌だと家で怒って困るという矛盾した悩みにも、進学コースに誘って勉強するよう娘と話をしてくれたり、娘が自分からは絶対に参加しないであろう苦手な英語のキャンプに誘い入れてくれたり、この学校に来て他人からのサポートの重要性を感じない日はないくらいです。

お陰で腰の重い娘も他人に背中を押してもらうことで、少しづつ前向きに頑張っているように思います。

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