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死ぬまで絵を描き言葉を綴る

絵を描いています。
油絵を描いています。10cm*10cmのキャンバスにほそぼそと色をのせた作品です。販売を念頭に置いています。

大学の同級生、自分を含めた6人でグループ展をやることになった。大学生になり校内で絵を描くスペースがあるわけでもなければ、校内で絵を描きたいとも思っていない。家でほそぼそと、誰にも貶されず否定されない世界で絵を描いていたいからだ。高校生の時から考えていた「個展」は、今もやりたいと切に考えている。
高校生のときは描き途中の作品は美術室で保管、描き終わったら廊下に展示という形だった。美術室に授業や掃除でやってくる生徒は絵の途中経過をこっそり見ることができる。大学生になって、そのことを伝えてくれる人が増えた。絵が変わっていく様子が楽しかったと。非常に嬉しい。わたしも発表のスペースに困らなかったし、廊下で展示ということは同じ学校の人、もしくは客人程度しか私の絵を見ない。もちろん誰もダメだしなんてしないし、前向きな言葉だけをかけてくれる。それが心地よかった、それが絵を描く理由にさえなった。ただ美術教師にはダメだしされたことがあった。嫌ではなかったが、事細かに指導された絵は愛着が湧かないのだ。あくまで自己満足の範疇でいて、それを理解してくれる人達が、わたしの世界を買ってさえくれたらそれでいい。そこに無理に押し入ってくるものはおそらく私ではないのだから。
そんなふうにして高校では絵を描いていたように思う。

大学生になり、絵を気軽に発表できる場所が失われてしまった。それに自分の絵の途中経過をこっそり覗く人もいなくなってしまった。非常に悲しい。そんな中フリマをやりたいと言っている学生を見つけた。初めはフリマだったが、情勢や人数の関係もあり最終的に知人のギャラリーを貸してもらうことになった。しかも無料。展示の呼称も決め、チラシも作った。初めは業者にチラシを発注する予定だったが、どんどん期日は迫って来、結局コンビニのコピー機で印刷したものを配った。はじめからかなり変化を遂げた展示になりそうだ。だからわたしは個展への気持ちがより強まった。

個展のタイトルをいくつか考えている。

「元気でやってます」
「いい人になりたい」
「ひとり」
「ありがとうございます、元気でやってます」
「ずっと死にたかった」
「お手紙」

出身高校にビラを配りに行った時、込み入った話はしなかった。物腰の柔らかい女性教師で、スラッと細長い印象を受ける。髪も伸びていて、会話の中で私の性格を知っている前提の、テンポいい笑いをつぶやいてくれた。しかしそれだけで終わってしまった。でも自分はかなり満足している。ただもう少し話がしたかった。だが、私から話すことなんてもうないな、そう思った。何故だろうか。
少し日を置き考えた。結論はこうだ。
「お互いに元気で生きている生身の姿を見れただけで安心した」
これに尽きるな、と。
人は死ぬことを知っているから、死んでいない姿を見てほっとする。会えない期間、本当に生きているかわからない。だから心配する。
もし個展をやるならば、お世話になった人にお手紙を書く感覚で、「わたしは絵を描き言葉を綴って生きています」と安心してもらいたいのだ。それと共に、感謝も伝えたい。高校の時、私の描きかけの絵を見ていた人達は、わたしの生身の姿がなくとも、わたしが生きているとわかっていたはずだ。絵は時に、わたしの分身になる。

死ぬまで絵を描き言葉を綴る、死んだらわたしではない誰かがわたしの絵を描き言葉を綴る。そうしてわたしは生きていきたいと思っている。

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