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対話したいのは、信じ合いたいからだ

実はここ最近ストレスが溜まっておりました。

自慢できることではないのですが、本業の方では、自社のサービスを成長させようという強い熱量はなかなか持てず、けれども楽しくやれてはいました。

自分のことを気にかけてくれるキャリアも在籍年数も長いベテランの先輩が、いろんなことに首を突っ込みながら前に進もうとアイデアをどんどん出されていて。

そんな性質だから仕事をたくさん抱え込んでは足取りが重くなっているのを見て、共同で進めるプロジェクトでは自分の方でどんどん主導で動かしてその人の負担を軽くしたいと動いています。

「ありがとうございます」と言ってもらえるのが嬉しくて、プロジェクトが完了したらともに労い合って。その関係性こそに名前をつけるのなら「楽しい」がふさわしかったわけです。




かたや、同じように忙しくするマネージャーの方は抱えるご自身の荷物を下ろすように、自分に仕事を振ってくれました。

「ぜひ、あなたにやってほしいんです」そう託してもらったプロジェクトには困難な道ながらも結果を出してほしいと言う願いが込められていて、その狭き門を突破するために、与えられた役割以上に奮起し滞りなく完了に導いていった。

共に労い合う未来を見据えながら再度声をかけると「何のこと?そんなに時間使わなくてよかったんですけど」と告げられ、落胆した。あっ、そうか、本当にただ荷物を下ろしたかっただけなのか。期待した自分が浅はかだっただけで、そもそも何を期待していたんだろうか?と自分に問う。

それ以降、その人と同じくするプロジェクトでは、全く力が入らなくなりました。頭を働かせようとしても働かない。そもそも思考が拒否をしていて、ものづくりをしようと手を動かすことを躊躇う自分の身体がそこにいる。

期待して裏切られたなんて言葉では片付けたくなくて。

自分にとってはもう「信じ合える」の先にしか、ものづくりがないんだと思っています。

仕事であれ何であれ、お願いされて精一杯応えて、その姿勢を相手が感じ取ってくれて感謝なり向き合ってくれて、嬉しくなってもっと応えたくなって。

応答であるし、これこそが対話と呼べるのだと思うのです。




ずっと、不思議だったんです。

八々として関わらせていただいた方たちへのものづくりは、何度も何度も思い返したい思い出のような、素晴らしいものづくりなんです。

なぜだろう?とその答えは出ていなかったのですが、やっとわかった気がします。対話を主とするオンラインサロンに所属しているメンバーの方からご依頼いただき、その方の紹介で別の方が、そのやり取りを見て「いいな」と思い、他のメンバーの方からも。

対話をベースとしている関係性には、すでに信頼し合う向き合い方が備わっていて、だからこそものづくりに身が入る。いえ、良き関係性こそが良きものづくりをさせるんだと思うのです。

その前提に立ってみると、信じ合えない不誠実な関係性であるならば、そもそもものづくりはできない。火のないところに煙は立たないように。

生活をする上で、経済・社会において、そんな綺麗なものづくりばかりではやっていられないかもしれないけれど、もうそんな不純な関係性では自分はものづくりができない心と身体になってしまった。

実は昔からそこにあって、時を経てやっぱり自分の中でかけがえのない価値観で、何も変わっていなかっただけなんです。




そう捉えると、信じ合える人たちと繋がって、その関係性を携えて、ものづくりへと昇華していきたい。

それはきっとどれも素晴らしい思い出になるはずで、それだけで一年が埋め尽くされたならば、もうそれはそれは幸せで溢れた日々になるはずだから。




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