捉え直す、を繰り返して
前回「自己紹介をし直すと」と言うテーマで書いたけれど、それは他者に対してというよりも自分に対しての方が強いのもしれない、と思ってのいまです。
大抵、こんなささいな「いま向き合わないと消えてしまうもの」をどうにか残したくて、書いている気がします。
消えそうな儚いものだから、大切に守りたくなる。そこに、名前のつけられない感情が働く。
今日は、そんなお話を。
ということなのかもしれません。なんだか固く見えてしまいがちですが、例えばそれは人と話すときに目を見て話そうと意識して相手に向き合うことだったり、いつもより大きくゆっくりと話すことを心がけるということだったり。
もともとの性分としてはものづくりの「作る」ことよりも「滞りなく進める」マネジメントの性質が強いから、やることをタスクとして箇条書きにして、その日に終わるだけ終わらせて、翌日は残ったタスクを終わらせてまた洗い出して…の繰り返し。
そうして連綿と続く日常を送っているとプロジェクトは滞りなく進むけれど、優先順位の高いタスク・必須のタスクは優遇され、そうでないとりとめのないタスクは実行されることなく消えていく。
プロジェクトファースト。プロジェクトを進めるための最適化、必要なこと。けれど、自分にとってはどうでしょう?と問いかけてみたいのです。
リモート中心の働き方において、顔ありのオンラインMTGでは、想像以上に話し手の声を聴いてくれます。話す方がバタバタとしてしまったら「もう一度どうぞ」と、周りがざわざわと騒がしい場合は「落ち着いたらでいいですよ」と。
なんだかオフライン以上に、相手の補助によって自分の話すが成り立っている。話し方が下手になっているなと思っていたのです。
そうしてリハビリのようにstand.fmで話してみたら、それが露わになってきて。言葉が詰まりやすい、同じ単語を使いがち、感情的になると早口になってついて行けない、などなど。
そう、いま猛烈に話すことを捉え直していて、それがなんだかとても面白いのです。
独自な観点ではありますが、話すことはやっぱり身体が関係していて、のどが痛ければ話せない、咳が出れば言葉がつっかえる、乾燥していれば声が出づらい。
息を吸わないと大きな声は出せないし、多くの単語を短い時間の中で話そうとすると、リズムゲームのように音が合わなくなる。
おそらく今までは無意識だったものが、オンラインMTGで相手がサポートしてくれていたことが、一人で話すことによって気づけたのです。
昔、硬式テニス部に所属していた頃、鏡を見ながら自分のフォームを見直したり、動画を撮ってもらい、自分のおかしな動きを観察したのに近い。
こう捉え直してみると、話すこともスポーツと同じで、国民全員参加のスポーツに改めて向き合って練習している感覚にもなってきたのです。
だから楽しい。昨日よりももっと上手く話せるようになりたい。何を話すか?とは全く別の、孤独な闘いであり楽しみ。
書くこともそうならないかな?と目論んでいます。
まだ実現できてはいないですが。