向こう側から来た男
街外れの小屋に一人の老人が住んでいた。
「おじいさん!今日もお話を聞かせて!」
子供達はよくこの老人から話を聞かせてもらうのが好きだった。
「お前たち、そう何度も何度も来てそんなにわしの話が聞きたいか?」
「うん!だっておじいさんは若い頃たくさん旅をして来たんでしょ?サーカスにいたこともあるって。」
一人の子が言った。老人は黙っていた。
「ねえねえ!サーカスに入る前はおじいさんは何をしていたの?どうしてサーカスに入ることになったの?」
子供達が一斉に質問したので老人はもみくちゃにされながらも話すことにした。
「わかった。そんなに聞くならば話してやろう。しかしわしが話すことは全ておとぎ話、どこまでが本当かはわからんぞ。」
窓の外には一つしかない月が輝いていた。
男が生まれたのは、たくさんの大陸が点在する惑星の一部だった。どこで詳しく生まれたのかは本人も覚えていない。
いや、思い出さないようにしていた。大陸には様々な国があり、幸福で豊かに暮らしている国もあれば地獄のように危険な国、貧富の差が激しい国など色々あった。
その惑星からは太陽が3つ、月が4つ見えたし、人間以外の生物も人間と同じように言葉を話したりした。
生物にも単なる犬や猫といったものだけでなく、今の君たちの世界には存在しない妖精やモンスターと呼ばれるような生き物も住んでいた。巨人や龍なんてそこらじゅうにいた。
男は若い頃から旅をしていた。わけあって自分が住む国にはいられなくなったのだ。簡単に言ってしまえば男はその世界では絶対にあってはならないことをしたのだ。
盗みと人殺しである。それは別の国から男が住む国に仕事として以来があったからなのだが、男が住む国ではそれは絶対に許されないことだった。だから男はオンボロの乗り物に乗って長いこと大陸の旅をし続けた。
大陸には車やバイクなんてものじゃなく、それはもうたくさんの種類の乗り物がある。皆その大陸に住む者なら誰でも使えるエネルギーによってそれらは動いている。
他にも自由に使えるエネルギーによって大陸には魔法が発達した国、高度な科学技術が発達した国がたくさんあった。
男は確かな技術を持っていたので、国々で悪いこともやったし人助けもして憎まれたり感謝されたりしながら旅をしていた。
格闘や犯罪に近いことから、病気を治したり護衛をしたり、武器の修繕、調達から楽器を作ることなど様々な仕事をした。
そうやって男が旅をしてから長い年月が経ったある日、男はいつものようにオンボロの乗り物に乗って林の中を走っていた。
視界が開けたとき、国が見えた。規模はそんなに大きくないが少数の一族で治めているのであろう国だった。男は乗り物を止めると自分を迎えてくれる国であるかどうか調べ始めた。
最初に男が出会ったのは1羽の鳥だった。男の膝ぐらいまでの高さで二本足で立っている。鳥の種類は…おそらくこの世界の君達に言っても聞いたことがないだろう。この世界ではまだ発見されていない鳥だ。
「キュ?」鳥は男を見つけるとじろじろと眺め回して「キュー!」と叫んだ。鳥の声と同時に国の人達が姿を現した。
その国は鳥と人間が混ざった種族の国だった。
「旅の方、よくぞ来てくれたな。」
国の代表はまだ10代ほどの見た目のあどけなさが残る少女だった。吸い込まれるような赤い瞳、頭には鳥の顔の帽子を乗せている。いや、もしかしたら帽子ではなくそっちが「本体」なのかもしれない。
国に住む者は皆人間そっくりに見えて体の一部が鳥だったり、鳥そのものだったりした。顔が鳥の者から背中に羽が生えてる者もいる。
「あはは、いやぁ、ちょっと乗り物が故障しちゃって、迷ってたんすよー。」
男が笑って言うと国の代表である少女が言った。
「ふむ、そうか。おい、この者の乗ってる機械を治してやれ。」
「えっ!いいんですか?」
「代わりに頼みたいことがあるからな。」
少女はにやりと笑って男に顔を近づけて来た。
「そなたは、人間だな?」
「ああ、確かにそうですね。俺は人間です。」
少女は納得すると林の奥の方を指差して言った。
「ここより更に奥の林を抜けたところに我々とは全く別の種類の生物が住む国がある。その国は力はさほど強くないがずる賢く群れを成す性質によって強大な壁を築いた。その壁の向こうにはお前と同じ人間たちが壁の外の世界を知らずに生活している。」
男にとってそれは初耳だった。国はこの大陸だけじゃなく、他にもあるというのか。しかもこちら側の世界を知らずに生きている人間たちがいるなんて。
「ですが、なんでその林の奥の国の奴らは壁なんて築いたんです?」
「くだらない理由だ。一部の人間を管理し監視するため、だそうだ。奴らが思いついたあらゆる実験を試すために使っている。」
「まあ大変なこって。」男には単なるおとぎ話としか思えなかったが非常に興味深い話ではあったので、とりあえず聞いてやることにした。
「その世界では生まれつき人間が使えるエネルギーの力を奪い取り、自信が無くなるような教育をさせ、永遠に人間が持つエネルギーを搾取し続けるのだそうだ。」
鳥の帽子を被った少女は男を見て言った。
「そこで、お前に頼みがある。お前に奴らの国に潜入してもらい、なんとしてでも一人でも多くの壁の中の人間を救い出してもらいたい。」
堂々とポーズまで決めて少女は言った。ずっと話半分に聞いていた男は初めて大きな声を出した。
「はいぃぃ?いやいや!それはいくらなんでも無茶ではないですか?そもそもこの世界にはあなた達も含めて偉大な魔法や錬金術やエネルギーを使える者がたくさんいるでしょ。そいつらの力を借りたらいいんじゃないっすかね?」
しかし少女は首を振った。
「いいや。壁の中の人間が自分から全てに気付かない限りどうしたって我々の力は効かないのだ。人間が存在を否定するかどうかで全ての存在は証明される。だからこそ奴らと同じ人間のお前が必要になる。人間には人間をぶつけんだよ!」
最後のセリフは一発決めてやったぜ、と言わんばかりに得意そうにしている。
「頼む。謝礼はいくらでも出す。今夜はここに泊まって好きなだけ食っていけ。」
男はその言葉に態度を一変させた。
「わかりました。やってみましょう。」そして鳥の国の女王と握手をすると言った。
「やっぱり自分の欲望には素直になるのが1番ですね。」
オンボロの乗り物は少しばかり手入れされ、林の奥を進んで行った。乗り切らないほどの宝石や食べ物や旅に必要なものを乗せて進んでいくと、ドーム状の建物がぽつぽつと並ぶ都市が見えた。そして道沿いにドームの向こうに見えるものを見つけて運転していた男は言葉を失った。
「なんっだこりゃあ、、、、。」
それは巨大な巨大な壁だった。乗り物を止めて壁に近づき触れてみるとものすごく冷たい。危うく低音火傷するところだった。「これは、氷か?」
「そこで何をしている。」
「あーっと、俺はちょっと旅を、してて、道に迷ったんで壁沿いに進んでたらつい触ってみたくなって…。」
声の主が視界に入った途端、男はぞっとした。「そいつ」は今まで男が見たどんな生き物よりも恐ろしかった。身長は男よりも少し高く、手足も長い。
それは爬虫類型のモンスターだった。鱗のある皮膚に渇いた瞳。まるで男のことなど虫のようにしか思っていなさそうなのに、どこかで強い強い憎しみのオーラが立ち込めているのが伝わってきた。
モンスターは男の話を最後まで聞かずに「どこから来たのか言え。」と言った。
「この道の向こう側からですよ。ねえ、今夜泊まれるホテルは…。」
「壁の向こうから来たのか、外側から来たのかを言え。」
「外側ですよ!今夜泊まれるところはないんですかね?」
「確認しなければならない。」
そう言うとモンスターは男を乗り物ごと網にかけ、引いていった。
「ねえ!ちょっと!これどこに連れて行かれるの!」
モンスターが引くのに従って都市で一番巨大なドームに近づいてきた。道行く者達を見て男は気が狂いそうになった。ここは爬虫類型の生物の街だった。皆二足歩行で歩いたりしているが、顔はワニのようだ。中には頭が異様に長い人間に似た生物もいたが、表情は変わらずまるで機械が歩いてるみたいだった。
実は誰にも言ったことがなかったが男はヘビが苦手だった。だからバレないようにしていたが本当は気絶寸前だったのである。
巨大なドームに入っていくと、それはもう男が見るに絶えない生物がうじゃうじゃいた。天井には巨大な旗が貼られており、リンゴにヘビが巻き付いたようなデザインだった。
「ひ、ひぇぇぇ。まさか俺食べられるんじゃ…。」
するとドームの中央、ステージ上になっているところに何もないような空間から一匹のモンスターが出現した。カメレオン型だろうか。
「これより第19950320123666回目の会議を開始します。」
カメレオン型のモンスターは焦点が合ってるのかわからない眼鏡をかけると何かの端末を開いた。
「我がR共和国の次の計画について意見のある者は…。」
すると男を引き連れてきたモンスターが手を上げた。
「壁沿いに移動している人間を見つけました。」
モンスターが言葉を言ったのと同時に1億は超えるほどの視線が刺さるのが男にはわかった。獲物を狙うような目から渇いた感情の無い目まで男が向けられたくない種類の全ての視線が注がれる。思わず悪寒が走った。
「壁の向こうから許可なく来た人間は即刻始末すると決まっています。壁の外から来た者でも今までに来た者は生きて帰れないか記憶を消して仲間になるという方法でした。こいつは、どうします?」
とんでもないところへ来てしまった。男は一瞬あの鳥の国の女王を恨んでやろうかと思った。
カメレオン型のモンスターはぺたぺたと足音を立てて端末を手にしたままステージから降りると男に近づいて来た。今度こそ気絶するかもしれない。
「もちろん速やかに記憶を消して大陸のどこかに放つのが最前、ですが今回は少し変更しましょう。この者を利用するのです。」
「はぃぃ?」
「次の計画にあなたが協力してくれるのなら、自由にしましょう。」
「はい!協力します!するから殺さないでー!」
男は必死に懇願した。
「あなた、得意なことは何かありますか?」
「もちろん!乗り物の運転から一通りの格闘、護身術、病気や怪我を治したり、武器の整備から楽器を作ることまでそりゃあ必要とされることならなんでも!こう見えて子供の頃は神童と呼ばれてたんですよ?あら!っていうか、あなたよく見たらかわいい顔してますね!」
「……な、なんですかあなたは。」
カメレオン型のモンスターは呆れながらも男に住む場所を用意するよう手配した。
男が宿泊施設の部屋に荷物をまとめていると窓際に1羽の鳥が止まった。鳥は他の気配がないことを確かめると男に声をかけた。
「おい、うまくいったのだろうな?」
実はこの鳥は鳥の国との通信機になっていたのだ。男は余裕な笑みで答えた。
「ええ。あのモンスターのタブレットから読み取れましたよ。R共和国。どういうわけか毎年計画を立てて壁の向こうで実験しているみたいですね。」
「なるほどな。ま、くれぐれもこちらの作戦がばれないようにな。」
男はこくりと頷いた。
次の日から爬虫類型の生物が住むR共和国での訓練が始まった。彼らの話を聞く限り、彼らは歴史的に自分達を不愉快にした者の始祖である人間に対して非常に強い恨みを持っているようだった。
だからこそ人間に復讐するのが自分達の使命だと信じていた。男も最初は何匹かのモンスターに嫌がらせを受けたが、長い旅で世渡り良く付き合っていく術を知っていた男はそんなに傷付かずに済んでいた。
彼らは特別な能力を持っていた。「透明にする」ことである。自身の姿だけではなく、近くにいるものや人間の心の隙間に忍び込んで、その人物が一番大切にしている考えや自己のアイデンティティといったものを次第に透明にしていくのだ。透明になった人間は自分への評価が下がったり次第に無気力になって「何者でもなくなる」。
また彼らはあることをないことにないことをあることに歪めることも得意だった。簡単に言ってみれば嘘つきだったのである。壁の向こう側では常識とされているようなことをまるでおとぎ話のようにでっちあげて壁の中の人間に教えていたのである。まさにカメレオンである。
しかし壁の中には異常なまでに彼らを信奉している人間も一定数存在していた。それは特に壁の中での政治家や科学者、有名人といった存在だった。彼らの言うことを聞いている限りそういった人間には永遠の富が与えられるのだ。
男に任された仕事はそういった権威ある者達の護衛やそういった者たちにとって都合の悪い情報を流したり知ってしまったりする者の証拠を消すことだった。例えば氷の壁の向こうには大陸があるなどということは、決して一般に知られてはならない。他にも兵器の整備などが任されることもある。
訓練が終わり、男が壁の隙間の開けた部分に船で送られることになった。極寒で遠くまで見えないほどの吹雪に覆われた氷の大陸だった。船が止まり対岸で待っていたのは壁の中の人間だった。おそらく外の世界を知る側の関係者だろう。しかし彼らはやってくる爬虫類達に怯え、媚びへつらうような態度だった。男への対応も恐る恐るという感じだった。
しかし男には言うなれば二重に仕事があるのでそれは構わなかった。
壁の中の国々は男が旅をして来たどこよりも男が知っていることとは反対だった。
人間には生まれつき人智を超えた能力などなく、人間以外の動物とは意思の疎通が取れなかった。更にいくつかの男が知っているような動物は空想上の生物として教えられていた。
売り出されている食べ物の大半には人間の進化に取って妨げになるようなものが入っており、医療にもそういったものが組み込まれていた。壁の外側では既に発展しているテクノロジーはまだ人間には不可能なものとして少しずつ小出しにしているようだった。
一部の権力あるものだけが富み栄えるようになっており、男の仕事の大半はそういった富裕層の護衛だった。特に「果実の同盟」という集会には世界中の大手企業や要人達が数多く参加していた。
といっても「果実の同盟」そのものは自由や博愛を掲げ、遠い未来に達成されるという「世界存続計画」のために動いていたのであるが、その中の半分がR帝国の爬虫類を信奉しており、爬虫類の生命エネルギーとなる人間の負の感情を集めることに尽力していた。
実際男も見るに絶えない儀式を目の当たりにしたり、富裕層のために自分の手を血で染めるようなこともしたが、これも仕事だと割り切っていた。それよりも鳥の国で契約したことをどのように実行したら良いかを考えた。
この壁の中にいる人間をどうやって壁の外へ連れ出したらいいのか。下手に動いたらR共和国の奴らに消されてしまうだろう。男は考えに考えて文明のテクノロジーを使うことにした。インターネットという通信手段を使い、この世界の仕組みや偉い者達の「計画」のこと、また氷の壁の向こうのことなどをおとぎ話であるかのように流すことにした。その場合全く真実全てを書いてもきっと誰も信じないだろうから彼が知っている事実とほんの少しの嘘を織り交ぜて流していた。
こんなことで何か変わるだろうかとも思ったが、本当に全てを知りたいという強い意思のある者しか壁の向こうと繋がれないだろうとも思った。壁の中の一般人はそれはもう、向こう側の者達とは全く意思の疎通が取れないぐらいには爬虫類達に「教育」されていたのだから。
男は頼まれた役目によって壁の中の「世界」のあちこちを移動できた。それまでの乗り物はこちら側の人間にはまだ見慣れないものなので男は不効率な車を運転して移動していた。
それでもやはり、「旅」は男の気持ちを明るくさせた。
「世界の果て」と呼ばれる南国の海岸沿いでは眠たそうなアザラシが男を見つけて驚いていた。珍しく意思が通じる人間だったからである。男はアザラシの隣で焚き火をしながら、海の向こうで鯨が潮を吹くのを見た。
「俺の故郷にいるような動物をここに住む人間が見たら、」
そういって焼いたお菓子を食べる。
「みんな気が狂っちまうだろうな。」
天まで続く階段沿いに商店街が並ぶ東の大陸に来た時は驚いた。男は壁の中の人間には基本的には見えないようなモノが「見える」のだ。
天までたくさんの種類のスピリットや妖怪といった類いのモノが行き交っていたのである。
思わず男は話しかけていた。
「ちょいと、ここらへんはそういった霊性の高いところなのか?」
「確かにそうだね!だけどボクらは単なる旅行!本当に霊性が高いところはあのシマグニさ!」
そう言って木綿のような生き物は空に飛んで行った。
「世界のヘソ」と呼ばれる山のある広大な大地を車で走っていた時のことである。その日は仕事の関係でその大地の立ち入り禁止区域とされている場所にある巨大なワープトンネルを使ってきた。このトンネルはR共和国と繋がっていたのだ。
その区域に侵入する一般人がいたら取り締まり、仕事が終わったので車を走らせていた。
突然酷い豪雨に見舞われた。地平線の向こうまで何本も連なって見える稲光が夜の大地を明るくさせた。まるでその光は龍が怒り猛っているようだった。少しだけ鳥の国の女王と爬虫類のボスが戦っているような想像をした。
どちらにせよこれだけ酷い雨だと車も前には進めないので山の裏にある洞窟に車を止めて休むことにした。洞窟の中を見るとその土地に住む部族がいたが、男が事情を話すと快く泊めてくれた。
「お前さんはあのシマグニの出身かい?」
部族の長が聞いた。
「いえ、もっとずっと遠くからです。」
「そうかい。お前は顔立ちがあのシマグニの人間と似ているからわしはてっきりそこから来たのかと思ったよ。」
「旅をしてるとよく聞きます。そのシマグニってのはどんな国なんです?」
「不思議なところだよ。とても長い歴史の中、一つの一家が変わらず続いている。800万もの神様が住んでいて、どんな天災に見舞われても滅んだことがない。国民も皆心優しくて世界を守るために戦ったのだ。」
「戦う?誰と?」
族長は男が仕事をしている組織がある大国の名前を口にした。「ふーん。」男はシマグニに興味を持ち始めた。
朝になり、雨が止んでいた。洞窟から出て世界のヘソと呼ばれる山の裏側を男はじっくり見てみようと思った。
そこには人間の脳味噌のような模様がぽっかりと浮き出ていた。
壁の中は思った以上に何もないわけではなかった。世界各地に男が来た大陸の一部だった痕跡がよく見られた。
地面に描かれた巨大な絵、三角形の墓、神殿の跡などこれらは壁の外のエネルギーで作られるものだ。またいくつかの山々は巨人の顔や巨大樹の切り株のように見えた。
その昔文明が滅ぶほどの災厄をR共和国、果実の同盟が起こしたのだと自慢していたやつの護衛をしたこともある。
「ちょっと待ってよ!これじゃあ今までおじいさんが今までしてきた旅の話と一緒じゃん!」
子供達は一斉に喚き立てた。
「まあ聞いておれ。」
老人は構わず先へ進める。
***
しばらくしてから男がシマグニに行く機会がやって来た。その国の中にはR共和国を神として崇めている教団があった。そこで武器や兵器の調達や責任者として行って欲しいという依頼だ。
国に降り立った時、男は非常に懐かしい気持ちになった。なるほど聞いていた通りものすごい数の壁の中の人間には見えない「モノ」達が住んでいた。800万と聞いていたが、そんなわけはない。もっといるように感じられた。
「なんなんだ、ここは…。」
男は指定された山奥の宗教施設にやってきた。その教団はR共和国と特別な繋がりを持った「先生」によって運営されていた。
信者たちはR共和国のことをどうやら死後自分たちが行ける神の世界だと思っており、先生が行う儀式によって見られるR共和国のモンスター達を霊体トカゲ様などと言って崇めていた。
「お気の毒なこった。」
男は武器というものでもなく、儀式で使うような機械を整備してやったりした。それ以外の暇な日は山から降りて町の方へ行き住民と仲良くなって行った。
男にはわかったことがある。やはりどこまで行っても人間は人間だ。壁の外側の人間も、中の人間も、あらゆる国々の者も教団の信者も、町の人達も皆誰かを愛しいと思ったり、家族の無事を願ったり、未来が平和であって欲しいと願っている。
そんな人間に強い恨みを持ち、能力を奪い管理しているR共和国に男は次第にうしろめたい気分になった。しかしもうこのシマグニの人間は完璧に教育され尽くしてしまっていた。
真面目で善良なシマグニの人間は与えられた情報もそのまま吸収してしまう。こんな人達に男が出来ることはもうないのかもしれない。
それでも男は鳥とした契約を忘れないようにした。情報をネットで流すだけでなく、出会う子供達によくお話を聞かせていた。子供達は純粋に物語を受け取ってくれる。全てをおとぎ話だという前提で聞かせていれば何も怪しむこともない。鳥の国の女王も言っていた。
「特に人間の子供のイマジネーションは非常に凄い奇跡を起こすことがある。子供達のイマジネーションが膨らめば膨らむほど、存在しないことになっていたあらゆるものの存在が証明されるのだ。」
確かにそうだ。子供達は男のおとぎ話に男でさえ見落としていた何かを付け足していくのだ。まるで最初からそれがあったかのように。
「なかなか上出来だな。」
ある晩、誰もいなくなった教団の儀式の後を片付けていた時のことである。祭壇の中央の鏡に小鳥が止まっていた。
「なんか久しぶりですね。ここであなたに会うとは。」
「しかし油断してはいられないぞ。もうじきこの教団は計画を追行するだろう。」
「もしかして、世界存続計画のことです?」
「歴史の一部としては、そうだろう。だがそれが行われることはこちらにとっても都合が悪い。私はそろそろサーカスを呼ぶことにした。」
「はあ?サーカス?」なんでそこでサーカスが急に出てくるのだろうか。
男の疑問には答えず、鳥は一瞬羽ばたいて言った。
「おいお前、生存したかったら列車に乗れ。お前にはもうその道しか有りはせん!」
そう言うと鳥は窓の外へ飛んで行った。
「えええ〜?」
男はわけが分からずその場にへたり込んでしまった。
次の日、異様に目をぎらつかせた先生が儀式の開口一番にこういった。
「世界はピースフルに革命されるしかありません!我々が幸福を手にする最後のチャンスです!」
先生の合図とともに信者達が一斉に手をピースの形にして掲げた。
先生は改めて男に近づくと尋ねた。
「あなたは本当に色々としてくれるので感謝しています。そこで改めてお聞きしたいのですが、科学兵器の扱いには長けていますか?」
「……ええ、一通りね。」
男の答えに教団の先生は喜ぶと施設の地下に男を案内した。
防護服に着替えると、そこには同じように防護服を来た信者達が何かの薬品を非常に厳重に運んだり実験したりしていた。
「一体何ですかこれは?」
「革命のために必要な薬ですよ。これを世界に降り注げば善人は生き残り、悪人は粛正されるわけです。最後の審判を行うのは我々なのですよ!あなたにはこの薬をばら撒く装置を作っていただきたい。」
「………!」
きっと爬虫類に唆されたのだろう。この薬は吸ったら身体に異常を来たし、最悪の場合死に至る猛毒だと男はわかった。そもそも信者達も防護服を着ている辺り、自分達も生き残れるという保証はないのだろう。こんなものがばら撒かれたら大事件になってしまう。男は「先生」に言った。
「いいでしょう。しかしこの地下の責任は全て自分が取ります。俺が許可しない限り誰も立ち入らないでください。」
男はこの毒薬がどうしたら表に出さないようにできるかを考えた。しかし解決策など思い浮かばず、日は過ぎて行った。1ヶ月経ち、教団にサーカスがやってきた。
信者の子供達が施設のロビーに集められ、一人の大人がニコニコと話している。
「今日はみなさんのためにサーカスがやって来てくれました!」
男は鳥が話していた奇妙な言葉を思い出し、物陰からみていた。
そして…。
***
「それでどうなったの?」
子供達の質問に老人は話したくなさそうに難しい顔をした。
「……散々だったよ。とにかくいいことから良くないことから色々とね。男が今までにしていたことはなんだったのかと思うようなことをされまくったからね。」
「ふーん?」
***
男は全てが終わり、旅立とうとしているサーカス団長に向かって言った。
「なあ、実は俺が世話になった鳥が生存したかったら列車に乗れって言ったんだ。それってこの列車のことかな?」
サーカスの団長はそれはもうとびきり眩しい笑顔で振り向いた。
「その通りさ。ところで、キミのできることはなんだい?」
***
「ミラーボールサーカスでの旅はわしにとって一瞬の夢のようなものだった。団長は本当に手のかかる人だったが、あの人はそうじゃなきゃいけなかったんだろうな。最後はこの町に降りることになったが、結果的にわしはこれで満足しているよ。」
「今度はサーカスの話を聞かせてよ!おじいさん!」
「おお、今度な。」
すると、子供達のうちの一人が心配そうに言った。
「今度って、だけどおじいさんは…。死ぬのは怖くないの?死んだらどうなるの?」
老人は微笑んでその子の頭を撫でた。
「さあなあ。君はいい子だからきっと天国に行けるよ。わしは……きっとあのセカイに行くんだろうなあ。団長があれだけ存続させたかった世界に。そうしたらまた、みんなで幸せに暮らすんだ。」
「やだよ!まだ行かないで!」
「まだ行かないよ。だけどわしは死ぬのは怖くない。わしの魂はきっと、この世界が終わっても、ミラーボール団長に続いているんだ。そしてきっとまたお前たちにも会いに来るさ。」
「なんの話?わからないよおじいさん。」
老人は黙ってまた子供達の頭を一人ずつ撫でた。夜の灯りに誘われて、1羽の小鳥が窓辺に止まった。