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音楽シリーズ 星々の記憶 第9回 カンザキイオリという星

ごきげんよう、YAYAです。

今年最初の音楽ブログになります。今回もボカロPさんの記事になります。

私が高校生の頃、歌詞を全曲ノート(紙の方)に映し書きしていたのがカンザキイオリさんでした。

その頃のとにかく毎日が辛くて死にたい、でも生きていかなければならないという気持ちを全て言い当てているような歌詞だったからです。

普通ボカロというと人間離れした機械的な声、という印象がありますが、カンザキイオリさんの歌詞は人間の感情を生々しく描いていて、まるで叫びのような歌という印象があります。

最初に聴いた曲は「命に嫌われている。」でした。
その時自分の好きなドラマのキャラクターに死亡フラグがあって、実際そのキャラは死んでしまったわけなんですが、この曲を聴いている時になんというか気持ちが昂ってしまった記憶があります。(恐らくこの曲を聴いて好きな作品やキャラに重ねた人はたくさんいると思います。)

その後にあるMADで知ったのが「君の神様になりたい。」でした。今だったら言うのが恥ずかしいぐらいなのですが、あの頃の自分が歌やダンスをやる時に考えていた気持ちと一番重なっているのがこの曲でした。ある意味カンザキイオリさんの音楽に「共感」してしまったのですね。

それでこんな曲を作る人が他にどんな音楽を作っているのか、youtubeやニコニコ動画を遡って聴いてみました。するとどれも人間味のある悲痛な叫びが感じられる楽曲ばかりでいつのまにか歌詞を全部メモしていました。

カンザキイオリさんの歌詞は辛い時の自分の感情と向き合って向き合って自分の中の臓器を全て取り出して並べたかのような生々しさがあります。
だけどどれも句読点がありそれは誰かに向けた手紙であるかのようであり、また歌詞からもわかるようにその誰かを救いたい、だけどそれさえも自分のエゴであることの懺悔に満ちていて辛く苦しいものでありながらも孤高に戦うヒーローのような優しさに溢れています。

だからこそ巡り巡って誰かの心に響き生きながらえる作品となっているのでしょう。

現在カンザキイオリさんは小説を出版したりアーティストへの楽曲提供をしていますが、根底にある死生観や社会への反抗を受け入れつつも誰かに寄り添おうとする姿勢は変わっていないと感じます。

今日もカンザキイオリさんの音楽は「共感」した誰かの心を救い、命を繋ぎ止めているでしょう。

以上、YAYAでした!また今度!

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