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奈良に住み30年ではじめて、三輪山に登拝できたココロのうごき

こんにちは!
和咲~yawara~ の真田知子です。

結婚を機に奈良に住み、はや30年が経とうとしています。
わたしはいままで、年始以外の日常でさほど、神社や寺院にお参りするということがありませんでした。

ですが、手あての仕事をはじめてからは、
やはり住んでいるところへの感謝の気持ちや、
自分や家族の心身を保てていることのありがたさを
おかげさまの想いでもって、伝えたいと思うようになりました。

畏怖の念で、行動にできない

ところが、、、畏怖の念といいますか、
わたしが参らせてもらっていいんだろうかと、
氏神さまへの一日参りも、習慣化するのにとても時間がかかりました。
やっとこさ、参る道中でも、なにか怖さがこみ上げてきて、
小走りで通り過ぎたり、鳥居の前で、もじもじしたりして
「なんなんだろうなぁ~(;'∀')」と
自分でも怖さの正体がわからなくて。。
手あての師匠に「氏神さまにお参りしてもいいでしょうか」と、
小さい子どものような質問をしてしまいました(汗)

お参りに最適な環境

わたしが住んでいるところは、ありがたくも
橿原神宮や、大神神社があって、
お参りをさせていただくには、とてもいいところ。

全国各地から参拝者が絶えない 大神神社

以前住んでいたハイツの窓からは、三輪山が見えていました。
でも、大神神社に参る機会はあっても、
三輪山に登るということはなかったのです。
登ろうという気持ちすら、起こりませんでした。

登拝へ ココロが動く

それが、三輪山に登拝したという友の投稿を見て、
登拝…できるんだ。ということを、
長年、奈良に住んでいてはじめて、知りました。

三輪山は、山自体がご神体。神さまそのもののお姿。
登拝するには、敬けんな気持ちで臨まなければなりません。
ここでまた、謎の怖さが出てきます。

はじめは、
「いま喪中だから…」
「登れる体力があるんだろうか…」
という心配。
じつはこのことを思っているときにも、
なにか自分のなかで、
本当に思っていることじゃないような感覚は、持っていました。

それよりも深いところで、
「わたしがご神体に入らせてもらってもいいのだろうか」
という懸念があるなと、気づいたのです。

ついに登拝

「登ろう」という友のお誘いを受けて、
登るのか、登らないのか、、、
まだ迷いがありました。けれども、
”あなたの主はあなた” という
友の言葉に勇気づけられて、登らせていただくことにしたのです!

当日は、それでもまだ「山の麓まで行って、佇んでいるかもしれないな」
という気持ちも、どこかで持っていました。
ところが、受付をすませて三輪山の入り口に立つと
そんな気持ちはどこへやら。
一緒に登る方たちに続いて「登らせていただきます」と
意気揚々と、登り始めました!

地図の左上部 12 狭井神社で受付けをして いざ登拝!

登拝してみると

はじめから急こう配が続き、
普段とくに運動などしていないため、
足の筋肉がはやくも音を上げ始めました。

「これは途中で引き返すかも(;'∀')」と
弱気になりましたが、自分のペースを守って、
身体に「まだいける?ちょっと休む?」と聞きながら
頼りになる杖と共に、ゆっくり登りました。

三輪山の中は、撮影禁止です。
すれ違う方たちとのあいさつ以外、
私語も極力慎み、ただただ身体と会話しながら、ひたすら登る。

みんなから遅れてついに頂上に着き、ひとしきりその景色をみて、
言葉になりませんが、感謝の想いだけは、お伝えしました。
実は、はじめここが頂上と知らず
まだ先があると勘違いしていて「よし、また登るぞ!」と思っていました。
それくらい、気持ちには余裕がありました。
途中、大きな木があって、そこで小休憩してからというもの
疲れた身体や、くじけそうな気持ちが
その木にとても癒されたことが、すごく印象に残っています。


わたしが、参らせていただきました。
ご神体に、登らせていただけました。
清々しい想いで、下山しました!

登拝後のお楽しみは 三輪そうめん すごい弾力!とろろと共に おいしい~♪ とろろめし大和さん
天ぷら一人前…? これ200円??


やっぱりアイスは別腹 王道のチョコバナナ

怖さの正体は、、、

この畏怖の念、怖さの正体ってなんだろう?
わたしなりに考えて、はっと気づいたことは、

「あなたは自然体で生きているのか」

ということを、問われているからかもしれない
ということでした。

いまのわたしは、
何十年と生きてきた間に、形づくられた自我を
すこしずつ脱ぎ捨ててはいるものの、
「まだまだだなぁ」と自分で思っているから
まだまだな自分の姿を
大自然の前にさらけだすことに、怖さが出てくるのかなぁと
自分なりに思ったのでした。

それが正解なのか、間違っているのか
いまとなっては、もうどうでもよくなっていて
「昨日より今日、よりよく生きたい」
ただそれだけ、大切に想い馳せて
生きていこうと思っている、今日このごろです。

病気平癒といわれるお水を お土産に
より自己成長できた 三輪山登拝でした!












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