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紆余曲折

小学生の頃は小説家になりたくて、中学生の頃はお医者さんになりたくて、高校1,2年生の頃は薬剤師さんになりたくて、今は京大の農学部にいる。

小学校は普通だったけれど、中学校は荒れていた。窓ガラスが何十枚も割れたりするし、廊下の時計はガラスが割れて針が捻じ曲がっているし、靴箱は金属製なのにバットか何かで下半分が壊されているし、1時間に何回も火災報知器がいたずらで鳴らされていた。

勉強してるのなんておかしい、という雰囲気だった。ヤンキーが持て囃される世界で、先生もヤンキーのことを贔屓にしていた。

授業は誰も聞いてなくて、みんな好きな方を向いて喋っていた。ヤンキーがいつも授業の邪魔をしていた。先生もやる気がなくて、適当に授業を進めて雑談していた。

ちなみに中1の遠足先で同級生のヤンキーが暴れたせいでうちの学校はその後出禁になったらしい。結構有名なお寺だったんだけどなぁ。

そんな世界から抜け出したくて、高校は家からちょっと遠いところにした。近くにもわりと賢いところはあったんだけど、誰も知り合いがいない学校に行きたかった。どこの高校受けるの?っていろんな人に聞かれたけれど願書を出すまで秘密にしていた。

無事志望校に受かった。
卒業の日、別れが寂しくて泣くことはなかったけれど、この環境から離れられると思うと嬉しくて涙が出そうだった。
卒業文集には将来の夢をお医者さんとかいた気がする。なんとなく人の役に立つ仕事につきたかった。

高校生になった。
高校で1番最初に驚いたのはみんなが黙って授業を受けていることだった。中学ではノートを取るペンの音が聞こえるなんてあり得なかった。なんだか嬉しかった。

高校は毎日が楽しかった。行事もいっぱいあるし、友達もみんな優しくてちょっと変わっててでも賢くて面白かった。中学の頃とは大違いだった。

この頃はぼんやりと薬剤師さんになりたかった。周りの医学部志望との熱量に差を感じてお医者さんになりたいという気持ちは薄れていた。でもなにか人の役に立つ仕事につきたくて、薬剤師さんになりたかった。

高2のとき、祖父が亡くなった。祖父の亡骸を見て、人の命と向き合うことが怖くなった。病院薬剤師になりたかったのだけど、人の死を身近に感じる世界で生きていく自信がなくなった。そうして私は薬学部を志望することをやめた。

京大農学部のオープンキャンパスに行って楽しかった記憶が残っていて、なんとなく京大農学部志望に変えた。

高校の時に行きたかったのは応用生命科学科だった。なんとなく生化学がやりたかった。生物をミクロな世界で見るのが面白そうだったから。

でも中学と違って高校では勉学は振るわなかった。模試の判定はいつもE判定だった。

京大を受験したが案の定落ちた。一応2点差落ちだったけれど落ちたという事実に変わりはなかった。

ありがたいことに浪人をさせてもらってもう一度受験した。現役の頃は京大一本だったけれど、浪人は後がないので私立は早稲田と明治と同志社と立命館、中期は名市大の薬学部、後期は福井大学の医学部に出願した。

あれ、農学部志望じゃないの?って思われるかもしれないが京大の農学部以外に興味はなかった。それで過去の将来の夢だった薬剤師と医者につながる進路が選べるような学部に出願した。まだ人の死に向き合えるような覚悟はなかったけど、京大に落ちたら諦めて頑張れる気がした。


京大農学部に受かった。第4志望の学科に。
最初は嬉しかったけどちょっと落ち込んだ。
大学の勉強を楽しいと思えるか不安になった。

でも授業が始まってみて、そんな心配は杞憂だったとわかった。授業を受けるうちに木材の有機化学に興味が湧いてきて、そういう研究がしたい!と思えるまでになった。

今はこの学科に来て正解だったと思っている。なんならこの学科に来るべきだったとさえ思っている。

描いた将来像通りには行かなかったけれど、人生どうにでもなるものなのかもしれない。

中学生の私に伝えたい、勉強をするのが変じゃない世界もあるんだよと。

高校生の私に伝えたい、志望通りには行かなかったけど興味を持てる分野が待ってるよと。

将来の私は大学生の私にどんなことを伝えたいと思うのだろうか。


追記

2回生の私へ
木材ではなくきのこの研究をしています。
もうすでに思っていたのと違う道を歩み始めました。将来がたのしみですね。
4回生の私より



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