11月3日(日) 織田有楽斎の真実
旅するなごや学「織田有楽斎の真実」は、
有楽ゆかりの国宝刀を所蔵する名古屋刀剣博物館にて、織田有楽直系の末裔にして茶道有楽流17代宗家の織田宗裕先生と、破天荒な切り口と現代的な感性で歴史や武将を描き、有楽の小説も手掛けた小説家の天野純希先生の対談形式で和やかに幕を開けました。
最初は有楽に逃げ足の速さや世渡りの上手さといったネガティブなイメージを持っていたと語る天野先生、作品にするにあたり深く調べて彼を知るほど、茶の湯にかける情熱や、行動の根幹に名声よりも大切なものを守りたい気持ちを感じ、印象が変わっていったのだそうです。
小説の中の有楽は、将としての才知溢れる兄信長と自分の違いに悩み、利休との出会いで茶の湯に道を見出します。
一方で有楽が配下の助けを借りながらも手柄を立てていた記録がある事も、刀傷の残る愛用の鞍のお話を交えて織田先生が語ってくださいます。同じ織田家でも家系によって少しずつ家紋が異なるお話や、織田家は桔梗(明智家家紋)が禁花である事、同様に浅井家では胡瓜(織田家家紋)を食べない事といった、歴史好きが思わず納得してしまうお話も興味深かったです。
休憩を挟み、お話は有楽流茶道へと展開していきます。武家茶道は家元制度が無く、ゆるく継承されてきたと語る織田先生。帯刀して点てる前提の所作や、キリリと背筋を正す立ち振舞のお話は、平和な世でも武家として自らを律する誇りを感じます。
精神面では「質素でも心を込めたもてなしを大切に」「茶道は極まりなく、創意工夫を続ける事」などが伝承されているそうで、形は違っても利休と同じ考えだったのではと話す織田先生。
お客様も歴史や茶道に造詣の深い方が多く、
「有楽が何度も茶会日程の確認の手紙を招待客に送った記録が残っていますが、茶会を成功させたい美学がそうさせるのか、茶会を政治的な密会の場として重要視していたのか」という質問に、
「茶会当日に忘れ物をしない様に持って行く茶道具のメモ書きもたくさん残されていますから、くどい性格の人だったのだと思います」という直系子孫の屈託ない答えに、会場からは温かい笑いがおきました。
心配性で用心深い一面があるからこそ、本能寺でも生き延びられたのかも知れませんね。
「有楽は政治的利用価値といったしがらみを抜けて、純粋に茶道を追求したかったと思う」と語る天野先生。そうした野心の無さや天下人達とのバランス感覚も、乱世を生き抜けた所以なのかも知れません。
「美味しいお茶は、どんな風に出しても美味しいと私は信じている」と語る織田先生。どんな形でも真心のこもった本当に良いものは相手の心に届くと、私も信じています。
苛烈に華々しく生きた信長は語り継がれる名を残し、野心とは無縁に血筋と茶道という文化やもてなしの心を繋いだ有楽、形は違っても確かに時を超えて受継がれ、我々の心に届くものがあると思える、美味しいお茶の様なひと時でした。
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レポート:近藤加奈子 写真:Jassi
■レポートしたプログラム
■旅するなごや学
■やっとかめ文化祭
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