教える真似事
最近数年振りに「ハイキュー!!」熱が再来しており漫画を読み返している。何この漫画、最高にアツいんだけど。
その中にこんなセリフがあった。
「ーー俺は他人に教える真似事を始めてからしばらく、選手に俺と同じ事、或いは俺がやろうと思ってできなかった事をさせようとした。
でもある時、奴らはどう考えてるのか気になった。
奴らは俺じゃ無えし、俺の駒でも無え。その当たり前の事に気付いて、その日から教える事が真似事じゃなくなったんだ」(烏飼繋心)
塾講師をやっている自分にはとても印象的な言葉だ。
私の中で「教える」ことは自分の頭の中を「再現する」ことだ。だから自分の経験の中で効果的だと思ったことを優先的にさせているし、それに基づいて教えている。
恐らく教育に携わる人(特に受験関係)の多くがこういった考えを持っているだろう。もちろんこれも間違いではないはずだ。
だがこの教育に「生徒の意志」は介在しない。
「生徒の意志」を教育に組み込むことほど難しいことはないだろう。そもそも組み込むという態度自体が誤った考え方かもしれない。
ハイキューでは烏飼コーチが日向の、半ば無謀と思える強化版・変人速攻の実現を否定せずに受け入れ、彼らの意志を尊重し練習させた。
結果として(もちろんフィクションではあるが)、日向影山は新しい変人速攻を完成させ、青葉城西や白鳥沢へのリーサルウェポンとなった。
これは生徒の意志を尊重した教育を描いている訳だが1つ疑問も思い浮かぶ。
「そもそもこんなやる気ある生徒はいるのか」ということだ。「生徒の意志」もくそも彼らからのアクションがなければどうしようもない。
恐らく、我々がまず考えるべきことは、やる気を出す土壌を作るということだろう。
生徒がやる気を出しやすい環境を作り、もしやる気を出した時にやりたいことを自由にできるようにしてあげる。
ハイキューで言えば、武田監督や、澤村たち3年生がこの動きをしている。
当たり前のことだが、少なくとも私は最初から気づくことはできなかったことだ。
あー、俺って塾講のセンスすらもねーなと思いつつ、新たな気付きを与えてくれたハイキューが益々好きになりました。終わり