小説 開運三浪生活 61/88「精神論」
二次試験本番はあっという間にやってきた。
それなりの努力はした文生だったが、道のりの長さをあらためて感じるばかりだった。化学は知識を足せば足しただけ学力が伸びる実感があったが、数学は三角関数と極限と行列の苦手意識をいまだに覆せずにいた。
数学の世界を理解するのに必要な、先天的な何かが自分には欠けている気がした。高校時代にはぼんやりとしていた苦手意識に、かえって輪郭がついてしまった格好だった。偏差値は40足らずから50手前まで確かに伸びたが、根本的な何かが不足していた。
試験の前の晩、母親から電話が来た。
「文生、ごはんちゃんと食べたのけ?」
「食べたよ」
「広島だからって生の牡蠣とか食べてないけ? 駄目だよ、牡蠣は当たるんだから」
「食べてない。つーか買ってない。そんな金ない」
「明日、本番だね。頑張ってね。持てる力全部発揮して」
「…………」
「緊張なんかすんじゃないよ。あんたは出来るんだから本当は。本来の力発揮すれば必ず受かる。お母さん祈ってっから」
「あのね。そんな力んだからって解けるほど甘くないんだよ。勉強した分の力しか出せないんだよ。勉強して、頭に叩き込んで、貯めた分しか学力は発揮できないんだよ!」
「じゃあその貯めた学力、明日存分に発揮しな」
「…………」
文生は親の精神論が鬱陶しくて仕方なかった。そして、己が脳の貯蓄の少なさに、また暗い気持ちになるのだった。
二次試験は不安とともに始まり、不安を残して終わった。初めて広大を受けた昨年とは違い、まったく手も足も出ないというわけではなかった。だが、C判定だったセンター試験の結果を補えたかどうかはかなり怪しかった。
なかでも心残りだったのは、数学の極限の問題に迷いを残したまま時間切れとなったことだった。化学は概ね解けた(ように自分では思えた)だけに、もしかしたらとんでもないミスをしたかもしれないと思うと、何とも言えない後味の悪さが残った。
三月八日の正午過ぎ、合格通知がアパートの自室に届いた。文生はハサミを取り出すのももどかしく、玄関でビリビリと封書を切り開いた。
――やっぱ。そうか……。
予感は裏切らなかった。
――よし、後期でリベンジすっか。
ある程度覚悟していたので、意外にも切り替えは早かった。
後期の科目は英語と数学。数学には不安しかなかったが、英語は中本の英文解釈の講義で鍛えられたので、多少の自信はあった。センター試験対策しかしてこなかったので準備不足の観は否めないが、そこはどうにかするしかない。
それ以上に問題なのは、定員百名の前期募集に対して、後期は二十名とかなり少なく、当然ながら競争倍率が跳ね上がることだった。広大よりも偏差値の高い京大や九大を前期で受けて落ちた猛者たちが参戦するはずで、競争が激しくなるのは自明のことだった。
その日の昼下がり、母親から電話があった。それまでも正午以降何度か着信はあったが、無視していたのだった。
「…………文生、どうだったの?」
「うん、後期で頑張る」
「ああー……」
「……」
「——なんかそんな予感したんだ。お母さん、一気に肩の力抜けちゃった……」
「んじゃ、忙しいから」
母親が泣きに入る前に、文生は一方的に電話を切った。試験はわずか四日後の三月十二日。確かに時間はなかった。そのくらいの事情はわかってくれないと困る、とこの親不孝男は思った。
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