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小説 開運三浪生活 8/88「押し入れ解禁」

四月も二週目に入って、ようやく文生は新しい生活リズムに慣れてきた。と言っても緊張感は相変わらずで、朝アパートを出た瞬間から帰宅するまでのあいだ、心は常に休まらなかった。ずっと気を張らせながら、黙々と講義を受けるだけの日々が続いた。たまに貫介と学食に行ったり、滝沢駅近くにある貫介のアパートに帰りがけに立ち寄って小一時間ダラダラしたりする時間だけ、文生は言葉を発した。

文生が在籍する公共政策学部は法学部と経済学部と社会学部のいいとこ取りをしたような学部で、二年生の文生が履修したのは英語や第二外国語をはじめとする教養科目に加え、「〇〇経済学」や「社会〇〇論」といった文系科目だった。それはそれで何かしら面白味のある学問のはずだったが、先月まで数学や化学に重きを置いて受験勉強に勤しんでいた文生の頭には、彼なりの向上心という傘雲がいまだにかかっていた。教員がどれだけ刺激的な知の光を彼の頭上に浴びせても、プライドでくぐもった脳には届かなかった。それどころか、自分が招いたはずの現状に対する不満の雷雨が降り続けていた。

――なんで俺はこんなとこにいるんだ。
――俺は広大に行きてえんだ!
――俺がやりたいのは環境問題だ。理系だ。
――俺の居場所はここじゃねえ!

脳内でのひとり語りは、現状に対するネガティブな思考をいっそうエスカレートさせていった。

――予備校にかよった一年間、本当なら、無駄にしたくねえな。

――帰りてえな、広島に。

部屋でひとりになると、文生はスナッパーズの『太田川』をよく流すようになった。去年も広島のアパートで何度も何度も聴いていた曲だった。太田川は、広島市内を流れる六本の川からなる水系である。この曲を聴くと、川相塾広島校別館の裏手を流れていた太田川水系のひとつ、京橋川のキラキラした水面を思い出す。去年、階段の踊り場から文生が何度も見とれた光景だった。

「帰りてえな、広島」

文生は声に出してつぶやいた。ラジカセから、音量小さめの太田川がリピート再生される。少しだけ空いた部屋の窓から、わずかに湿った風が草の匂いを運んできた。盛岡の夜は、ようやく本格的な春だった。

ある夜、県大から帰った文生は勢いよく部屋の押し入れを開けた。「念のために」広島から持ち込んでいた、去年の川相塾のテキストをついに引っ張り出したのである。

――なんだかんだ、俺は一年間努力をしてきた。そこは自信持っていい。
――結果は駄目だった。けど、努力したぶん偏差値は上がった。この経験はデカい。
――その努力を、今度はちゃんと昇華させてやりたい。

文生は三度目の広大受験に突っ走ろうとしていた。ほとんど執念しかなかった。向こう見ずな行為に、自分で酔ってもいた。だが、親との約束で復学した以上、講義に出ないわけにもいかなかった。そもそも、予備校に行っても合格できなかったという冷厳な事実がある。今年どれだけ努力を上乗せしたところで、受かる保証はないのである。そのくらい、広大の総合科学部は文生にとって難関だった。

だったら仮面浪人するしかねぇ――と、思考視野の狭いこの男は考えた。まずは広大に入らなければその先の人生はない、とまで思いつめていた。だが、講義に出続けながら受験勉強するということは、仮に結果が駄目でも県大という保険があることを意味する。言ってみれば、逃げ道である。

文生が暮らす八畳間の隅には、床の間然とした畳半分ほどの板敷きがある。広島から持ち込んだパイプ式の机と椅子がこのスペースにうまいことはまったので、文生は蛍光灯を取り付けて勉強場所とした。机も椅子もかなり簡易なもので、消しゴムを使うたびに机はガタガタ揺れるし、椅子は面が小さく座り心地はよくない。それでも実際に腰かけてみると小さな書斎に自分がいるようで、自然と背筋が伸びる気がした。

――ここで努力して、広大に受かって、人生変えてやる。

文生はひとり意気込んだ。

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