小説 開運三浪生活 58/88「窮地の二浪生」
幸い、翌日は土曜なので講義はなかった。文生は正午過ぎにずるずると布団から這い出た。全身の倦怠が弱まった代わりに左脇腹の掻痒はますます強まっていた。広島駅前のデパート「エールエール」に入っている大型書店のフロアに皮膚科があったのを思い出してトボトボと出かけて行った。
皮膚科は土曜の午後でも受診できた。医者は五十代か六十代か判らなかったが、とにかくシャキシャキと喋る女性だった。
「タイジョーホーシンだね」
昨夜からさらに赤味を帯びた患部を一目見て、女医は即答した。初めて聞く病名だった。
「帯状と書いてタイジョウ。ほら、ここ帯みたいに赤くなってるでしょ」
「――ダニじゃ、ないんですか」
「違う」
簡潔に否定して、女医は意外な質問をしてきた。
「身近に赤ちゃんとかいる?」
「え? い、いないです。独り暮らしなんで」
「帯状疱疹はね、もともと身体の中にいたウイルスが、免疫が低下することでまた出てきて悪さするの。家族に赤ちゃんがいて水疱瘡になるとそこから伝染ったりもするんだけど。あなたは水疱瘡にはかかったことある?」
「えーと……あ、あります」
「そのときのウイルスが身体に潜んでたのね」
皮膚の症状なのに飲み薬だけ処方されて、文生は帰途に就いた。いまひとつしくみを理解しきれていないところが、所詮理系向きではない文生の頭脳レベルではあったが、病名が解ったのはよかった。
(俺、いつの間にか弱ってたんだな……)
確かに後期の講義が始まってからのここ二、三ヶ月、平日は充分な睡眠をとっていなかったし、週末は昼夜逆転気味で、生活のリズムはひどいものだった。質的な意味での受験勉強生活は甚だ薄っぺらいものだったが、それでも文生は、身体を壊してまで難関校に挑もうとしている自分が途端に可哀想に思えてならなくなった。
服薬の効果なのかそれとも若さゆえの回復力なのか、文生の体調は順調によくなり、湿疹のほうも二週間後には跡かたなく消え去った。思い返してみれば、特段免疫が下がるほど身体が疲弊していたわけでもなく、なぜ帯状疱疹などにかかってしまったのか不思議でならなかった。
文生が川相塾の広大オープン模試を受けたのは、ちょうど帯状疱疹明けのことだった。広大の出題傾向に精通した川相塾広島校の講師陣が練りに練った問題が出題される、まさに仮想広大入試と言える模試だった。
果たして、手応えはよくなかった。解けたのは基本的で配点の小さい枝葉みたいな問題ばかりで、数学の証明問題や化学の高分子化合物になると自分でも(これじゃ駄目だわ……)と判るくらい、まともな解答が書けなかった。
十二月に入り、さっそく広大オープン模試の結果が返って来た。
広島大総合科学部理系受験の前期日程は、D判定。
後期はE判定。
自分の現在地を嫌というほど突き付けられた格好だった。毎日毎日なんとなく抱いていた不安がはっきりとした数値になって現れると、さすがに暗澹たる気持ちにはなった。