小説 開運三浪生活 19/88「竜馬幻想」
その頃、文生の心を突き動かしたのが坂本龍馬の伝記だった。もともと小学生の頃から伝記物が好きで、古今東西の偉人を経て辿り着いたのが幕末だった。坂本龍馬その人だけでなく、時代を動かしていった(と、されている)維新志士たちの潔さに文生はいたく感じ入った。
――カッコいい、こういう人生。
命をなげうって日本のために行動する志士たちの姿に感動した文生は、そこまで劇的な人生でなくても、いずれ広く世の中の役に立つ人間になりたい、と昂奮の中で大風呂敷を広げた。それまで文生は、大人になったらどんな仕事に就きたいかなど考えたことがなかった。単に目の前の勉強がヒトより少しばかり好きなだけ。あとはH高の理数科に入って、多分どこかの国立大学に進んで、その上にあるらしい大学院とやらに行って、それできっと何かの研究者になるんだろう……そんなぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。
将来とるべき進路として文生の頭にまず浮かんだのは、当時紙面を賑わしていた環境問題だった。文生にとって身近な環境問題は森林破壊だった。それまで当たり前にあった地元の小さな山が土台だけ残して姿を消し、工場に変わってしまった様を文生は目にしていた。ショックであり、不自然で理不尽なことに思えた。そんな社会は変えねばならぬと思った。世間に広く役立つって、こういうことじゃないか。よし、俺は環境をやろう。大学で環境問題を勉強しよう。こういう時の決断は速かった。吟味もしなければ相談もしなかった。
そうと決まれば、ともかく理系の学科に進まなくてはならないと文生は考えた。そもそも理数科に入るのだから、大学も理系に決まっていると思った(実際は二年生になると理数科のなかで理系と文系に分かれるのだが、中学生の文生は知らなかった)。だが、肝腎の理科を面白いと感じたことが一度もないことに、本人は気づいていなかった。試験前の暗記で結果的に点数は取れていたが、それだけのことだった。
そういえば、勉強が好きになり始めた小学校二年生くらいの頃、母親がよくこう言っていたのを文生は憶えている。
「大学って理系と文系があって、理系のほうが難しいんだってね」
近所の物知りからの受け売りなのだが、この言葉は幼い文生の脳に深く刻みつけられた。
「じゃあボク、理系に行く」
以降、文生は二十年近くにわたって理系への憧憬に縛られることになる。