小説 開運三浪生活 52/88「真夏の徘徊」
夏期講習も終わりお盆に入ると、さすがに予備校も休校になった。が、浪人生に休みなどあるべくもない。母親から帰省の可否を確認する電話が来たが文生はにべもなく断った。
友人たちとはメールでの数往復があった。広島に来てからも2週間に一度は連絡を取り合っている野田は、この夏は都内でアルバイトに明け暮れると言う。中部地方の総合大学に通う木戸は、サークル内でできた彼女と旅行するのでお盆の帰省は見送るとのこと。県大の同期だった貫介は、例によって夏季休暇の間まるまる岩手県南部にある実家でのんびり過ごすとのことだった。
高校と浪人一年目で偏差値30代だった文生の理系学力は、川相塾の前期の講義を受けたことで数学はなんとか40代の中盤に、暗記項目が多い化学は50手前にまで伸びていた。記述模試の度に白紙で答案を提出していた高校時代とは打って変わり、今の文生は手応えを持って回答できていた。
と言っても、広大合格にはまだ全然足らなかった。夏期講習では「広大理系対策」と銘打たれた集中講義を一週間受けたが、数学では三角関数と微分積分と極限がついていけなかったし、化学では有機がからっきしだった。学力を合格ラインに少しでも近づけるには、夏にみっちり鍛錬する以外なかった。
休校になって文生がたちまち困ったのは、勉強場所の確保だった。アパートの一室にこもっていると、身体が寛ぎを求めるので勉強にどうにも熱が入らなかった。たまらなくなった文生は、炎天下に涼と机を求めて広島駅前のデパート「エールエール」に向かった。
各階に配された休憩用の小さなテーブルで問題集を開いてみたが、居座ったら居座ったで、キンキンに冷えたエアコンの冷気に耐えられなくなり、よくて三十分しか滞在できなかった。他の客や店員の眼も気になった。喫茶店で勉強する習慣もなかったし、懐事情も厳しかった。
広島に住んでいるくせに日頃はまったく近寄らない八丁堀のエリアまで脚を伸ばした文生は、市立中央図書館の自習室にも行ってみたが、時すでに遅く、すでに満席となっていた。昼下がりに座れるほど甘くはなかった。市内を駆けずり回り、文生はすぐ汗だくになった。
アパートへの帰り道、潮の匂いに乗って子どもたちの話し声が聞こえてきた。
「わしゃあのう!」と自分語りを始める小学生。
「謝らにゃいけんよ」と弟を諭す幼児。
街にはお盆ならではの騒がしさがあふれていた。夜が更ければ遠くからバイクの暴走音が聞こえてきた。湿った空気と、荒々しい活気が広島の街に流れていた。それでもはっきりと流れる夏の爽やかさを、文生は感じていた。