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小説 開運三浪生活 10/88「さよなら文明」

小学校三年の春、文生の視界からテレビが消えた。


「フミオ、何回言ったらわがんの。もうちょっと離れて観な」

ある日曜日の夕食終わり。文生は三つ下の弟、武登とテレビアニメを眺めていた。

「そうやって朝から晩までよっぱらテレビばっか観てっから、視力落ちたんだっぱい! それ以上眼ぇ悪くなって、眼鏡なんかかけるようになったら、ああもう大変だ……。向かいのあきちゃんの時みたくいろいろ言われるわ」

「よっぱら」とは、何かに没頭している様を意味する、福島県南部の方言である。語源はおそらく「酔っ払う」であろう。ちなみに「あきちゃん」とは、近所に住む文生と同い年のおとなしい女の子のことで、ある日突然大きな眼鏡を着用し、近所のおせっかいすぎる耳目を集めていた。女の子なのにこんな幼い頃から眼鏡なんてなんとまあかわいそうだということで、大人たちが影口をたたいているのを文生も目にしたことがあった。

確かにこの頃の文生は視力が落ちていた。小学校に入学した頃は2・0あった視力が二年生で1・2となり、三年生に上がるとついに1・0を切って0・7まで落ちていた。猫背だからだとか、薄暮の中で照明をつけず机に向かっていたからだとか、軽度の近視である父親の遺伝だとか種々の原因が挙がったが、最終的に母親はテレビを主犯と断じた。

「んじゃもう、テレビなんか観ない!」

ほとんど、売り言葉に買い言葉だった。反射的に口から出てしまっただけのことである。自分から言っておきながら、文生自身も発言に責任を持つ気はなかった。

「ああ、それはいいことだわ、フミオ」

予想外の賞賛を口にして、母親はテレビの主電源をブチっと切った。横で一部始終を眺めていた武登が絶句していた。文生とはいえば、眉を逆八の字にして顔を上気させ、押し黙っていた。父親と言えば、いつもどおり我関せずを決め込み独り寝床に向かっていた。


文生は頑張った。一週間、テレビを観ずに持ちこたえた。めし時にはあえてテレビを背にした席を陣取り、視界に画面が入らないよう努めた。おかげで武登がテレビを独り占めにしていた。

あの日以来の日曜日だった。夕食を食べ終えた文生は、武登と一緒にテレビにかじりついていた。先月放送が始まったばかりのキテレツ大百科のエンディングが流れていた。すでに父親は居間から姿を消している。

「にいちゃん、この歌詞、何て言ってんの?」
「アレルギー・オーマイガッド」

兄の思い込みの説明を、武登は信じた。このあとの世界名作劇場を見たら、日曜は終わる。なんとなくの寂しさが文生を包み始める時間帯だった。

「フミオ」

気がつくと、洗い物をしていたはずの母親がテレビの横に立っていた。文生はしまったという顔をしてテレビから視線を逸らした。憤怒六割、失望四割といった表情で母親がこちらを見据えている。

「もう観ないっつったっぱい」

反論の余地はなかった。確かに言い出しっぺは彼自身だった。


その日から十年、文生はテレビを観なかった。



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