5年前の教え子と、再会した日
5年前に埼玉で教えていたときの教え子と、再会した。
教室に通い始めたころ、口より先に手が出てしまい、小学校での人間関係に悩んでいた彼。
それが今や、通信制の高校に通いながら3つの会社で働き、貧困格差や教育問題に関心を持ってプレゼン大会で賞をとる、まぶしいくらいに生き生きとした高校生になっていたのだ。
飛び込みでいろいろな人に聞き取りをしてフィールドワークしちゃうたくましさと、沖縄の広がる海と空を見て「地球がまるいってよくわかるー!」と叫んじゃうピュアさが同居している高校1年生。生まれ持った感受性をのびのびと解放させていて、自分の居場所を見つけられたんだなあよかったなあ、と本当にうれしい。
5年前当時のことを彼はよく覚えていて、うちの教室でSST(コミュニケーションのトレーニング)を受けたことが今につながっている、と話してくれました。特に、相手のことを尊重しながらも自分の意見をしっかり伝えるアサーションが、仕事の場面でも生きていると。
「教育」(最近はこの言葉があまり好きではないけれど)って、短期的にはなかなか成果は測れず、ずっと先になってからその子に影響を及ぼすというような、長期的な側面がある。
当時は教えながら確信をもてない部分もあったけれど、こうして本人の口から役に立っていると言われると、しみじみ嬉しい。それも、「自分に合わない場所で頑張って適応するため」ではなくって、「自分のやりたいことをやるため」に、活かされていたから。
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最後に、私の話を聞いてもらった。私が今働いている学童クラブの子どもたちについて。
繰り返し手がでてしまう子のこと、ある子をターゲットに仲間はずれをする子がいること、そしてその子も学校では苦労していること。わざと大人に反抗的な態度をする子。
「わかる」「自分もそうだった」と頷いて聴きながら、自分の場合は…と当時の気持ちや行動の理由を教えてくれて、「そうだったのか〜!!」と発見することがたくさん。女の子の世界の大変さは自分が経験してきたからわかるけど、男の子も大変なんだな。
一見「問題行動」とされる行動の背景には、狭い世界で自分の居場所を見つけようとする子どもたちの事情や悲鳴が隠れているのかもしれない。
今は苦しくても、殻をやぶって自分らしくいられる環境を見つけられるように、子どもたちに寄り添って見守っていきたい。そんな勇気を、もと教え子からもらったのだった。
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