明日目を覚ましてもいいのかな
生きることは当たり前じゃないという言葉を耳にする、言いたいことは分かる。今日を生きたかった人がいるのも、それがかなわなかったひとがいるのも。
でもそんなの生きてる僕らのエゴだ。死にたくても頑張ってる人がいる、もがいてる人がいる、死ぬタイミングを失ってしまった人もいる、だから生きるとか死ぬとかが重要ではなのかが分からない。生きていることに感謝できるようになるにはまだ時間が必要だ。
僕はまだ死にたくない、でもどんな些細なことでも僕を押し殺さないと生きていけないのなら死んだ方がマシだと思ってしまう。ひねくれてるかしら、子供だと笑われるのかしら。ご飯を口に運ぶ時、浴槽に浸かるとき、生きてていいのか分からなくなるあの自己嫌悪に嫌気がさす。今はただひたすら家の周りを歩いてる、1周目は懐かしさによって新鮮に感じられたがそれ以降はただの背景と化してしまってつまらない。僕は音楽を扱ってそれを受け取ってもらう時に自分がおかしいとか、世界がブリキに見えてつまらないとか、無性に感じる孤独感とか邪魔な雑念を高揚感と音でかき消すことが出来る。
僕は存在してていいのだと錯覚したままで居たい。あわよくば感謝も懺悔も後悔もすべて散らかしたまま、僕が僕として在ることに疑問を持たず毎日生きてることが当たり前だと思えるようになりたい。明日目を覚ましてしまってもいのかな。
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