決して眠らない魚の見る夢
年内に、創作中のプロット草稿をアップデートするぞ!と意気込んでいたけど、書きあぐねている間に大晦日(´Д`)~考察を来年に先送りメモします。
行き詰ってるのは…
物語の後半。「貨幣経済」の復活に心血を注ぐイメル、その光に魅せられるカント。光がもたらす闇を直感的に嫌うキナ、キナを助けるニタイ。結果カントはイメルと決別する。のですが、その決意がまだ見えません。キナは引き金であって、決意の「核心」はカントの中に在る。カントとキナの生い立ちや旅で出会う人々、その暮らしの中にヒントは散りばめられていて、それらが核心につながって決意を促すのですが、それが何なのか分からない。
で、他の作品を参考に考え(気分転換し)てみた。
『おちょやん』の大阪編が面白いのは、布石の密度が半端なくて、描きこまれた多くの要素、それこそ道頓堀の町ぐるみで千代を助ける共鳴感と、登場人物たちの覚悟、これが核心。カッコいいですよねぇ。『鬼滅の刃』は、鬼殺隊の各柱に設定された動機の素直さと、鬼にしわ寄せされた人間の屈折の対比、その美しさと構造の強さが核心でしょうか。そして、NHKの『岸辺露伴は動かない』第2話。森山未來の志士十五役も見応え充分でしたが、意識に棲みついてしまう言葉というアイデアが核心ですね。なるほど〜。
無理やりキーを抽出して『星降るまち空のふもと2080』を悩んでみる
・共鳴感:
諏訪地域国の人々は、「貨幣経済」の復活に賭けるイメルの夢の中にあって、カフェや和菓子屋さんという日常的な余剰生産を楽しみ、街には次世代を担う子供たちの声が響いている。市民は「貨幣経済」に疑問を持たない。読者も、前半の自給自足生活よりも諏訪市民に共感するでしょうね。カントとキナは、読者を含めた共鳴感に対峙しなければなりません。大丈夫かな。
・覚悟:
ニタイは、役割と計画を嫌い、キナは、所有と貨幣に直感的に反発する。これは、覚悟ではありません。イメルは、「貨幣経済」の格差等、負の側面を知ったうえで確信犯の「覚悟」を持っている。カントは、そんなイメルに共鳴しながらも役割と計画、所有と貨幣を「覚悟」を持って拒否する。その「覚悟」の核心は何か。「貨幣経済」に対する違和感だけじゃ弱いよね。
・対比と構造の強さ:
基本は、前半の「自給自足・贈与経済」vs 後半の「貨幣経済」。実は、縄文と弥生の価値観の対比になります。カントは、縄文的ムラ社会に育ちその価値観を後にして、弥生的国家社会を目撃しそれを拒否して外に向かう。ノマド的価値観?でしょうか。定住(縄文 vs 弥生)vs 遊牧 。ノマド的価値観がどうもつかめていません。「外に向かう」こととうまくつながるかな?
・意識に棲みついてしまう言葉:
「貨幣価値」(プライス)って広く人類に感染した「意識に棲みついてしまう言葉(概念)」のひとつなんじゃないでしょうか。お金の価値に置き換えて考える。こんな不自然なことが、世界の人種や民族や文化を超えて、交換や流通が可能なのは、本質的に人間への親和性が高いとともに、同時にもう一方で、ニュートライズする強い忌避感をも生み出している気がします。それは、プライスレスな価値として身近に在るものかもしれません。
本年もいよいよ終わり。
テレビでは、東京で1,300人超のニュース速報が流れています。
お読みいただいた皆様に、来年がよい年になりますように。
物語のはじまり(第二草稿版)
世界は「貨幣価値」で担保されていた。黄金や石油、水や食糧、核兵器や軍事力といった物理的な「モノ」ではなく、「所有権という金融データが、ネットワークを飛び交い移動し続けること」で支えられていたのだ。それはまるで、高速で泳ぐのをやめると鰓(えら)呼吸ができずに死んでしまうマグロのように。ネットワークを失った世界は窒息し、貨幣価値は蒸発した。
死という眠りが訪れる最期の平穏に至って、魚は初めて夢から醒める。
「鰥(クワン)は決して眠らない魚だ。世界は、こいつが見ている夢だそうだ...眠らない魚を眠らせ我を目覚めさせよ」(佐藤史生『打天楽』より)
2020年12月31日