本の棚 #119 『ざっくりわかる日本史の授業』
『ざっくりわかる日本史の授業』
富増章成
30代にして歴史を学びたくなる。
それは鹿児島にきていることが
大きく影響していると思われる、
もっというと西郷どんがそうさせている。
生誕の地から始まり、私学校、洞窟、南洲墓地と巡り
その生き様を感じることができた。
よくよく考えると、それほど昔のことではないのだ。
時代は変われど、そのなかに変わらない何かがある、
それを歴史を通して学べたらと思う。
ざっくりでいい、興味があるところだけ
掘り下げたらいい、そうだ、学ぼう。
−−−−−−−−−−−−−−
「和を以て貴しと為し...」の「和」は、日本人の心の源である
役人や豪族が守るべき心構えを示した「憲法十七条」に書かれた一文。
これはあの聖徳太子がつくったとされる。
これが現代に続く日本人の民族性であり
世界的にも珍しいのではないか。
コロナ禍において、この民族性が
裏目に出ることもあるかもしれない、
しかしながら、この「和」の精神は
尊いものであり、誇りであると思う。
律令=中央集権
腕力で国を治めるのではなく、知恵で国を治めるという仕組み。
7世紀以降、中国を参考にして
律令体制が整い始める。
「中国4000年の歴史」というのを
幼い頃冗談で言っていたけど、
やはり中国から学ぶことは多かったようだ。
歴史的には大先輩なわけで
魏志倭人伝とかは、
中国の人が日本人をみて書いた伝記で
それがなかったらその頃の日本人のことは
歴史の教科書に載せれないんじゃないか。
ありがとう中国さん。
「もうこのへんでよか…」
話は飛んで飛んで、明治維新。
西郷どんの最後の言葉だ。
西南戦争で戦い続けること7ヶ月、
どんな気持ちで自害したのだろうか。
私学校の壁には今でも当時の銃弾の跡があり
城山ホテルにいく途中には
西郷どんが隠れていたとされる洞窟がある。
現場にいながら、歴史を学ぶことは
一番効果的ではないかと思う。
最後は大久保利通さんと対抗することに
なってしまった西郷どん。
そんな日本の歴史を動かした
大男二人の生誕の地が
なんと徒歩数分の距離だなんて
鹿児島にこないと分からないよな。
西郷どんも見たであろう、桜島とともに
歴史の勉強を終えるでごわす。
−−−−−−−−−−−−−