#エッセイ 『数字で説得、そして数字に踊る?①』

   先週の日経新聞で米中のGNPが逆転せずという記事が出ていました。日経新聞のかつての予想では2022年から23年にかけて米中が逆転すると予想をしていたそうです。この数年来のコロナ禍による世界の経済停滞や、ウクライナ戦争などが原因と書かれていました。そしてこの先の両国の経済成長の予想曲線が破線で示されていました。その表ではこの先も米中の逆転は無い予想になっており、それを見て『ほほー・・そんなもんかね・・』と分かったような顔をして新聞を閉じました。

   その記事については、それはそれなりに一応理解をしたつもりなのですが、そのことを考えながらふと違う事が頭の中をよぎりました。今から十五、六年から二十年くらい前でしょうか、世間ではよく『数字で語れ!』というワードが政治や経済の雑誌等で流行ったようなことを思い出したのですね。テレビの中の評論家や研究者、果ては時の経営者たちが口をそろえて『数字を使って・・』とか、もしくは『数値で・・』とか言っていた事をよく覚えています。その理由は数字で語れば誰もが具体的なイメージをして納得ができるからだ、という理由だそうです。極めつけの決めセリフは『数字はウソをつかない!』でしたね。その当時の“デキる奴”の殺し文句ですね!本屋に行けば平積みの棚にもそんなことを題名にした新書や経済雑誌が置いてあったと記憶しています。

   この数字を使った話というのは、実の事を云うと未来の展望に対しては結果的には嘘をつく道具になってしまっている場合が多いのではないかと思ってしまうんですね。上に書いた米中のGNP逆転の話ですら、日本を代表する新聞社を以ってしても外しているのですからね。予想を立てた当時には、その道の専門家たちがいろいろな数値を知識を使って分析したはずですよね。でも結局は外しているんですね。僕の経験と勘で云うならば数字を使って人を説得する事ができるのは過去の出来事ぐらいだと思うのですね。『現在の状況はこうである。なぜなら過去はこうでした。その間にコレコレがこういうなったからです・・』という論法なら数字は強くまた正確性をもって説得力が出てくると思うのですね。でも未来の事はほとんど当たらないと思っています。今日ここでいろいろな専門家が出てきて来年の日本の景気について予想したとしましょう。何人もの意見が出揃えば、それはその中の一つか二つの予想は当たるとは思いますが、その他多くは全部外れると思っています。そうなるとその当たった話もたまたま当てたようにしか思えなくなりますね。上の米中の話でも、だれが戦争と世界的に流行をした疫病を予想に組み込めるのでしょうか。そりゃ無理ですよね・・・。
    また逆に過去の出来事に数字を使って説明し、ちゃんと納得させることが出来るのにも条件があると思っています。それは説得する人とされる人がその話の内容において、お互いに同等レベルの知識を持っているか、もしくは経験を積んでいるという場合ですね。大した予備知識もなく説明を受けてしまうと、『ようわからんけど、なるほど!そんなもんかぁ・・・』というようになってしまいますね。よく分かっていない事を相手に悟られたくなければ、分かったような顔をして相手の話を聞いちゃうなんて事はありませんか?僕にとっては上に書いた日経の記事ではまさにそんな感じですね。

   これを日常生活で考えると、やっぱり会社の中でこの数字にまつわる話が多いですね。僕がこっそり思っている事なんですが、会議などで出る数字を使った説得や説明はちょっと無理なことが多いような気がします。会議では数字を基にした理屈を並べた話がほとんどですが、時にはその説明で感情にまかせて言い切ってしまう人はよく見かけます。そんな時は大体が逃げ口上なのですが(笑)、その迫力で『おおーよう分からんが・・そうかぁ~』という雰囲気になって、会議の出席者を無言にしてしまうなんて人は時折見かけますね。僕にはとてもできない芸当です。そんな時に使う数字では理屈なんて吹っ飛んでいます。先立つ感情で場を支配しちゃうんですよね。『さっきの数字はなんだったんだー!』と叫びたい気にもなるのですが・・。じゃあ数字って何だよ?と考えてしまします。
   ただし、数字を使って絶対に当たる未来予想が一つだけあります。それは人口問題ですね。今年の日本人の出生数は未来になってもその数は変わりません。毎年積み上がる数が出そろえば基本的にはその人数は変わりませんよね。だから未来の国の人口だけは正確に分かります。多少減ることがあっても増える事はありません。だからそれだけは正確にわかりますね。以上より日本の人口は確実に減ります!ですが、ここからが怪しい話になります。では未来の日本において、その減った人口で国がどうなるかという事は、予想してもそれはおそらく当たらないでしょう。その大方の予想は基本的には悲観的な事になると思うのですが、もしかしたら技術革新で乗り切れるかもしれませんし、また大方の予想通り経済規模が縮んで国が衰退するかもしれませんし・・。果ては人口減で得をすることだってあるかもしれませんしね!

   数字で語るという事は、現在手元に与えられた過去の実績をベースにして、それを見た人の知識と思考に肉付けをする行為だと思います。よって予想を立てる人が基本線としてどういう方向性の思想を持っているかという事がその後の話の内容に大きな影響を与えますね。言葉を変えて云うなら、数字を使って世界を客観視する努力は主観的な思いに留まって、結局は共有の出来ないものになりがちである、といった感じがしますね。近頃あまりにも数字を使った予想が当たらないからなのかはよく分かりませんが、新聞やニュースでは『数字を使って示せ』とはあまり言われなくなった気がしますね。その代わりとして『リテラシー』なる単語が出てきた気がします。その言葉はビジネスシーンでは『情報を適切に理解・解釈し活用する事』と理解されているみたいです。それもまた難しい気がするのですが、数字の話よりはちょっといいかなと思います。

   いろいろと文句じみたことをかきましたが、実はその数字で僕はかつて非常に苦しんだことがあるのです。
長くなるからそれは次回に書きます。






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