#エッセイ『老後が心配!』
多くの人が“できることな出来る事なら金持ちになりたい”と思っているのではないでしょうか?もちろん私もそうでした。ていうより今だってそう思っています。お金があれば生活は今より楽になるでしょうし、また、心にゆとりが出るのではないかと思うのです。では、今何か欲しいものがあるのかといえば、私の場合は物ではなく家のローンを返済したいです。何だかとても現実的過ぎてあまり夢のある話ではなくて恥ずかしいですが・・。(笑)
テレビでもネットでも世は投資がブームの様です。その原因の一つとして考えられるのは、10年ほど前からニュースでサラリーマンの世帯では老後の資金が年金と退職金を抜いてもあと二千万円ほど必要であるという問題が取り上がられた事なんかがあるのではないでしょうか。そもそもそんな報道が出てきたのも近年の少子化問題に端を発していました。未来の労働人口の減少により、”年金が本当に貰えるのか”という不安が多くの現役世代の国民から出てきて、そしてその答えは年金は貰えるが充分な額ではないという話になり、”じゃあ今度はその足りない分として二千万円が別に必要だ”という話の流れだったと記憶しています。二千万円といえば大金です。おいそれと用意が出来るような金額ではありません。日本人の多くはサラリーマンです。多くの人が月給とボーナスの中から食費・光熱費・マイカー・教育費と自宅のローンと固定資産税もしくは家賃を払っていきます。そんなことをしていれば当然毎月の給料なんて殆ど残りません。気が付けばボーナスだって消えています。多くの人にとっては”貯金ってなんやねん”という気持ちで過ごしているのではないでしょうか。もちろん私もそんな生活をずーっとしてきました。確かに日々の生活を平穏に続けるのは大変です。勤める企業によって賃金には差がありますが、それでもその差は知れているでしょう。雇われの会社員の給料では王侯貴族になるような給料は何処に行ってももらえません。多額の金銭を得たいのであれば自分で何か会社を立ち上げるか、一発逆転の宝くじくらいしかないのでしょう。こんなことをダラダラ書いても私自身の状況が変わるわけではありません。多くの人がそのようにやりくりして生活をしているのですし、もちろん私もそうやってこれからも頑張っていくつもりです。というより頑張らないとアカンのです。
私がサラリーマンになったのは今から二十数年前です。新入社員の頃はこれから会社で過ごすであろう未来の事を思って『果てしなく長い時をここで過ごすのかぁ・・・』と思いながら溜息なんかついたもんです。そんなことを考えていたら当時の年配の人たちに『目の前の事に夢中になって過ごせば時が経つのは瞬きをする間に過ぎるぞ。』なんて言われたものです。確かにそうやって過ごしてきた気もするのですが、振り返ってみれば今の自分には何が残ったのだろうか?とついつい自問自答をしてしまいます。サラリーマン生活も第四コーナーを回ろうかという感じです。そろそろ老後の事も心配になってくる時期です。『果たして家のローンは生きている間に返せるのだろうか・・・』とか、『その前に健康で老後を迎えることができるのだろうか・・』なんていう事が頭の中を過る毎日です。そもそも老後の二千万円問題は本当に二千万円で足りるのだろうか?昨今のインフレを考えるともしかしたら三千万円問題になっているのでは?と思わずにはいられない今日この頃です。
人生お金があれば全ての事が解決するのかといえば決してそんなことは無いという事は分かっています。ですがニュースやワイドショーでこうも老後の資金と投資の話が出てくればやはり気になります。テレビの中では新NISAがなんちゃらとか言っていますが、何だかもうついていけません。政府も心配なのでしょう。高齢化社会が今以上に進むと年金だけでは高齢者を支えられないと思っているのでしょう。おそらく私たち五十代の世代がリタイアし始めたらその時の若者が払う年金だけでは全然カバーしきれなくなり、今以上に税金を投入しないといけなくなるでしょう。そんな事になれば国も大変と思うからこそあの手この手で国民に『自助努力をしなされ!』というメッセージを密かに込めて投資を呼び掛けているのでしょう.。
思い起こせば私が高校生の頃は公定歩合が6-7%くらいあったので、定期預金も年5-6%の利子がついていました。当時の高齢者はとまったお金を持っていればその金利だけで過ごせるという人も結構いたのですね。それが1985年のプラザ合意で国際為替市場で円がドルに対して急激に高くなり、国内の景気が落ちることを恐れた日銀はその後のバブル経済の呼び水になってしまう政策として公定歩合を下げました。それによって日本経済は驚くほどの好景気に突入して行き、あの頃は”ジャパンマネーが世界を制す”なんて言われて、国民皆で豊かさを享受したものです。世の中(国内)のお金回りはよくなり確かに私たちの国は異常なほどの好景気に沸きましたが、その陰で今まで国民が手にしてきた定期預金の利子による利益は消えていたのですね。それは好景気の時にはあまり気が付かれていなかった様ですが、景気が後退してから、しかも不景気になってかなり時間が経ってからポツッポツといろんな人に気が付かれたという感じの様です。今の若い人に言わせれば私たちの世代は『とはいってもバブルの恩恵を受けてきたんでしょ!』といわれるのでしょうが、それは私より十歳以上上の世代の人たちの事ですね。そんな恩恵を受けてフィーバーした人たちは生まれで言えば1960年代前半より前に生まれた世代の人たちです。70年代生まれの私にとっては、バブル当時は親の庇護のもとにいましたので、社会全般的な豊かさがあった環境で育ててもらったという意味ではバブルの恩恵を間接的にでも受けていたのでしょうが、そんな私たちの世代が社会に出る頃にはもうバブルはとっくに弾けていました。就職活動の時には世にいう”就職氷河期”といわれて中々内定も出ず、ようやく職に就いても給料のベースアップもほとんど無く、新入社員の頃から砂を噛むような思いで過ごしてきました。それでも今日までやってこられたのはこの30年間日本の経済ではインフレが無かったからだと思うのです。むしろデフレ基調であったからこそ日々の生活を過ごす中で貧困を感じないでやってこられたのでしょう。
ちなみにデフレはテレビなどでよくデフレスパイラルというメカニズムで解説されていましたが、私が会社勤めをしてきた中で肌で感じたことはデフレの正体の一部はコストダウンだったのではないかと思うのです。もちろんこれもスパイラルの中で起きていた現象なのでしょうが、円高の影響で海外から輸入する材料の仕入れ価格が落ちたことにより、国内で生産される完成品の価格も落とせたという感覚です。そしてそこには人件費の据え置きもセットだったはずですが、それによって企業は購買欲の落ちつつあった国内市場で販売を促進し、売り上げが多少なりとも落ちても利益は確保出来た、という感覚です。もちろんその分仕事量も増えたという感覚はありました。要はこの失われた30年において日本は殆ど経済成長はしなかったのですが、それでも多くの国民が路頭に迷うような不況にまでならなかったのは、バブルの時から引張り倒してきた円高の隠れた遺産があったと思うのです。そういう意味では日本経済は強かったのですね。
ところがどうでしょう。この数年日本の円はドルに対して段々と下落してきており、気が付けばGNPも中国に抜かれたどころではなく、ドイツにまで抜かれ今では世界第四位です。円安がもろに影響しているのでしょう。日本政府も経済のテコ入れとしてインフレとそれに伴う賃金の上昇を目指しているようです・・。賃金が上がるのは良いのですが、でも私が給料を手にする時間はどんどん無くなってきています。退職金を貰って老後に大事に握りしめていてもインフレが起きたのではお金の価値が下がって、同じお金の量で出来ることがどんどん狭まっていく様な気がしてならないのです・・。 “インフレになる”という事だけでいえば、経済成長の裏返しでもあるのでしょうから、それはそれで健全な経済なのでしょうが、でも『待ってくれよ~』という気持ちは否めません。だからこその投資なのでしょうが、不思議とそれに対しても重い腰は上がらないのです。それはまだ私にとって目の前に迫った機危機と思えていないという事なのでしょう。
焦る気持ちはあるけど動かない・・・これは私の悪い癖ですね。分かっているのに動かない・・・。おそらく今夜もそんなことを考えながら布団に入るのだと思います。問題は未来に先送りをして・・・。