#エッセイ(会社)『頑張って来たんだけどなぁ・・3』(第二次ベビーブーム世代のステルスリストラ)

 いよいよここからが私自身の話になります。私の勤める会社ではこの春から人事制度が変わったのです。社内での役職者の呼び名が無くなったのです。社外に対して社員の役職が無いという事は不都合なので、ライン長以上は役職を残すという制度らしいのです。ものぐさな私は年明けに会社から出ているその説明がされている公文書を斜めに読んで、フムフムと適当な感じで理解をしていました。そして呑気に過ごしていたこの春の人事発令では自分の役職が消えていたのです。それはもうビックリしました。どうやら普段気にしていなかった職能は残っているから給料はそんなに変わらないとの事ですが、いうならいきなり平社員に降格になった気分です。私の会社は先程説明したような役職と職能の関係が常にリンクしているので、実は今まで私自身は自分の職能という事を気にした事が無かったのです。けれどもさすがにこれには堪えてしまいました。改めて人事制度改定の長い公文書を読むと、どうやら若い世代の社員の給料の伸びをよくして、我々“をじ”世代の給料の伸びが鈍化するような仕組みであるという事が分かりました。感覚的には梯子を外されたという気分です。いや、その表現はチョッと違うのかもしれません。これから先に登ろうとしている梯子を隠されたという感じかもしれません。そして若い社員の昇格はいこれから加速され、社内ではお互いの社員の名前を“さん”付けで呼び合い、上下のヒエラルキーを極力なくしていくという方向で動いているようです。中々難しい話ではありますが、冷静に考えると確かに良い試みなのかなとは思うのです。

 私たちの国は民主主義に基づいた資本主義経済の国家です。社会の在り方としては“自由”と“権利”が誰にでも生まれながらにして平等に与えられています。いうならば対等な“個人”という感じですね。ですが、いったん会社などの営利団体などに入るとそこは組織を上から下に貫くヒエラルキーで構成されており決して平等とは言い難い世界です。その世界はバリバリの資本主義による自由主義的な競争社会です。言い換えれば対等な個人間の世界が成り立たない世界です。その世界は外からの目も届きにくく、それこそハラスメントの温床地帯だったとは思うのです。そんな企業内にまで民主化という事を持ち込めるならそれはそれで素晴らしいとは思うのです。年功序列や、それに伴うような賃金体系の改革、確かにそれはそれでいいとは思うのですが、今まで我慢をしながら歯を食いしばってやってきた世代にとっては『なんのこっちゃ!』という感じにしか思えないのです。会社側からはやんわりと“お辞めくだい!”と言われている様にしか受け取れないのす・・・。そうです、決して口頭で言われることのない肩たたきにしか思えないのです。これこそがステルスリストラだと思うのです。“ステルスは戦闘機までにしておいてください!”と心の底から叫びたくなるのです。
 読んでくれている方はもうお分かりかと思いますが、私にも人並み、いや、もしかしたら人並み以上に会社内での承認欲求があったのですね。今まであまり意識していませんでしたが、私は自分が○○の△△という肩書が大切だったのです。この状況になって初めてそんなことに気が付かされたのも、何とも言えずに嫌でした。恥ずかしいから声にこそ出して言えないのですが、『だってあんなに頑張って来たんだぜ!』と叫びたい気分です。そして何だか谷底に落された気分と、給料が下落していく気分で本当にダメ社員の烙印を押されたような気分になるのです。サラリーマンの世界ではよく『頑張っていれば誰かが見てる!』なんて言いますが、サラリーマンとしてそれなりに歳を重ねた私にとってそんな陳腐な言葉はすでにもう意味を持たないのです。例えるならどこぞの大学の構内の壁に、全共闘時代に誰かがスプレーで落書して消えかかっている“造反有理”という落書きを眺めているのと同じ様な感覚しか持てないのです。さすがに発令を見たその日の晩は落胆しました。ですが、ここまで来てしまえばイジケている場合ではありません。自分と家族の生活もありますからね。
 おそらく今自分の中でしなければいけない事は、価値観を作り直すという事なのでしょう。会社に勤めるという事は生きるための算段と割り切る事が大切なのでしょう。(でもそこがなかなか難しい!)今まで自分の中で大きく据え置いていた“仕事中心”という柱の様な価値観を何にスライドさせるのか・・・。これを何に切り替えていくのか、そんな簡単に出来るものではないのです。だってそれしか見つめてこなかったからです。同じような境遇に置かれている同僚も沢山います。特に彼らとネットワークを築いている訳では無いのですが、姿の見えない彼らもきっと同じ気持ちを抱えていると思うのです。決して失業をしたわけではないのですが社会の枠からははみ出た様な気持ちになるのです。会社からは『別に辞めてくれてもいいんだよ』といわれているような気になるのです。

 最後に一言・・、こんな事で負けてたまるか!と思っても、この勝ち負けがどんな形の勝負になっているのか今の私にはもう冷静に考えられないのですが、少なくとも本当の意味で心が折れたら負けなのでしょう・・・。だからこそ今この瞬間をどうやって乗り切るのか・・!!
 でも、もし自分が天寿を全うする瞬間に今日の事を思い出したらどんな気持ちになるのだろうかとも思うのです。名もなき一企業の中でのチョットした待遇程度の与太話で悩んでいたと苦笑するのか、やはりあれが自分のすべてだったと思うのか・・

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