#エッセイ(映画・ドラマ)『未来の鏡』
少し昔のテレビドラマや映画を見ていると、今の瞬間を予測していたのではないかと思われる作品を見かけることがあります。最近私の中でそんなことを強く感じた作品は、映画『はないちもんめ』です。公開したのは1985年ごろで、私が最後にテレビでそれを見たのは映画の公開後の2,3年後の事だったと思います。その当時の日本ではまだ老人介護という事が世間一般に話題になっておらず、とても不思議な感覚で見ていたと記憶しています。ただ時折”ウチのおじいちゃんがボケちゃって・・・”という事を言って嘆いている人がいるという話は何となく日常の会話で耳にしていた記憶があるのも確かです。でも当時の私の生活の中ではそれは本当に他人事でした。自分の祖父母も一緒には住んでいませんでしたがいたって元気でしたし、また自分の生活圏である自宅と学校では、毎日若くて元気な人としか接しなかったので映画を見てもピンとこなかったのだと思うのです。
ところが月日が過ぎて日本が高齢化社会と言われるようになり、福祉や介護施設、もしくは介護保険という言葉を聞く機会が増え、多くの家庭で老人の介護が負担になりつつあるという事が認識され始めたころに”ふと”この映画の事を思いだしたのでした。確かこの映画のキャッチコピーは『おじいちゃんが壊れていく』というフレーズだったと記憶しています。よく覚えているシーンではボケてしまったおじいちゃんが夜中にお腹が空いたので、フライパンの上に卵を割らないで置いて温めようとしていました。そしてガスコンロの栓をひねるのですが、火が点火しておらずガス漏れを起こしているというシーンです。主人公のおじいちゃんはアルツハイマーにかかっており、その老人の突拍子もない行動のお陰で家族が振り廻されるという内容でした。その当時は”何なんだこの映画は・・・”という感じで現実味を持って見る事が出来なかったのですが、今になって思い返すと、”あれは日本の未来予知だったのか・・・”と思ってテレビを見た当時の記憶を思い出しながら絶句してしまうのです。芸能やファッションは時代の半歩先を行くという事がよく言われますが、この映画もまさにそうだったのです。
先日、実はもう一つそんなことをリアルに思わせる映画があるという事を知ったのです。その映画はジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』という映画です。昔からこの映画の事は知ってはいたのですが、先日NHKの番組を見ていた時にこの映画についてのちょっとした解説があったのです。この映画は90年代の後半に上映していたのですが、その当時はまだSNSなどのネット環境は世界に提供されておらず、物語の中では主人公の日常を隠しカメラで赤裸々にテレビで放送するという筋書きです。それは”現代の社会ではインスタやXで各個人が自らやっている行為そのものである”というのです。映画の中の主人公は自らの主体性を持って自分の姿を晒しているわけではありませんので、その部分においては少し違うような気もするのですが、今はスマートフォンのボタン一つを押せば世界の知らない大勢の人の日常生活や、その趣味もしくは主張など何でも見る事が出来ます。個人の生活や信条を晒すという行為においては映画の中そのものです。
ほかにも探せばこのような現象はいくらでもあるのでしょうが、不思議なもんおです。これは人間の頭の中で描くちょよとしたあり得ない欲望というものは、もしかしたら少し形を変えて、そして少しの技術の進歩でかなえてしまうという事なのでしょうか。また『はないちもんめ』のような作品は、人々の欲望の延長を考えるのというベクトルと逆の発想で、これから先の未来において起こりうるであろう現象を社会について問いかけるのでしょうか。そう考えると未来の生活環境というものは意外と予想がしやすいのかもしれません。今現在、人間が使える技術はどんなものがあるか?その使える技術が少し進歩すればどんな事が出来るかと考えてみたり、今自分が生きている社会がどうな状態でどんな傾向に向かいつつあるか?と想像すればもしかすると多くの人に未来予知が出来るのかもしれません。地震や津波そのたの天変地異を予想することは困難なのかもしれませんが、少なくとも大きな流れでの社会の変化はつかめそうな気もするのです。
最後に・・・
ハリウッドの娯楽映画『バックトゥザフューチャー』に出てくる敵役のビフは実はトランプ元大統領がモデルと言われていました。映画の中では彼の手に落ちたアメリカ社会は無秩序な力の支配による環境になっており、また貧富の差が激しく、無法的な社会環境になった設定で描かれています。もちろん映画の制作時にはトランプ氏が未来に大統領になるなんて監督だって露程も思っていなかったでしょう。しかしどうでしょう。彼が大統領を務めた後の米国社会は国民の間での分断があり、国際社会でもアメリカファーストの政策で同盟国が右往左往したというのも何だかあの映画が未来予想をしていた感じがしてならないのです・・。