自分の「人間くささ」を書こうとしたらとっちらかってしまいました
押田さん 湯川さん
返信が遅くなってごめんなさい。
お二人の「人間のやわらかい部分」「うまくやろうとしない」という話、人間の人間くささを肯定してくれて、とても良かったです。
職業倫理なのか、人間くささなのかというような話
私は年を取りまして、1981年生まれで、昭和56年生まれなんですけど、もう中年なんですが、最近体が衰えていて、胃腸が弱くなってるし、顕著なところでいうと髪の毛が抜け毛が多く、へたってしまっています。
これは年齢と関係あるわからないんですが、最近私はどんどん「自分自身の能力を向上させる」ということにモチベーションが持てなくなっています。「できることが増える」とか「スキルアップする」ということは、前提としてとても素晴らしいし大事だ!と思うのですが、自分としてはちょっとモチベーションが上がらないんですよね。やばいかな。
お二人も当然ご存知の通り、私は組織開発などを仕事にしているため、クライアントと「対話」というものをやったり、クライアントの対話をファシリテートしたり。そんなことをやる機会が多いのですが。最近思うのは「自分はどうなんだろ?」ということです。自分自身を棚に上げたり、安全圏内においてクライアントに「対話」することは、果たしてどうなんだろう?と疑問に思うのですね。
対話というのは、「自分の意見や価値観をいったん脇に置き」「相手の景色に立とうとしながら」「どこまでをわかり合えるのか、あるいはわかり合えないのか」を、お互いの意見を眺めながら話してみる、という行為とざっくり理解しています。
自分の主張の正しさを説得するのでもなく、相手の意見に全乗っかりするのでもなく、お互いに「相手の景色に立ち」「自分と相手の考えを等価に眺める」という、対話というのはかなり大人な、それでいてタフな行為ですよね。
そういうことを、相手と自分の間に線を引いて、安全圏内において自分自身を当事者として置かないのは不誠実な態度でもあるかもな〜??と感じているというのが一つ。当然ファシリテーションは技術でもあるし、求められる技術的倫理として線を引くことが重要な局面もあるということもありますけれど。
あとは、ちゃんと自分があるか?ということが一つ。
つまり、「自分という人間個人としてものを考えられているか?価値観はどうか?何をどこまでを許せる/許せないのか?どういう世界が好ましいと思っているか?そういうことをちゃんと持っているか?持っていることを自覚しているか?」ということと、それが他人によって変容する覚悟を持てているか、ということ。
自分を持ちつつ、半開きにして相手の浸透を許せるか、というね。そういう人間としての、なんていうんだろうな、「恥ずかしくなさ」のほうに意識が行ってしまうという。「うーん、もう自分はスキルとかじゃないな、少なくともスキルを向上すればどうにかなるものでもない問題に突き当たってるな」という感じがします。おじさんですね。
「君たちはどう生きるか」って話になってると思ったので蛇足
なんか上に書いた内容が、「君たちはどう生きるか」みたいな、なんかそういう内容になってるな、と思ったので、ちょうど映画つながりということで、蛇足的で恐縮ですが思ったことを書いてみます。
「君たちはどう生きるか」は、宮崎駿監督も「自分自身にもわけのわからないところがあった」と語るように、説明できない部分を多く残した稀有な作品だと言われています。
最初「なるほど!確かに『すごく面白くて、すごくわけの分からない映画』だった」と思ったのですが、よく考えてみたら自分にとって「ハウルの動く城」も「崖の上のポニョ」も「わけの分からない映画」だったんですよ。
ということは、「作り手側がすべて説明できる映画」も「作り手が説明できない映画」も、観客側(少なくとも自分のような不勉強な観客)には区別がつかない。ということは、「説明できない部分」というのは、あくまで作り手が密かに心に持っているものなんだ、と思ったのです。
(つまり、私が観て「意味わかんなかった」という箇所は単に勉強不足の可能性が高いということですが)。
「私自身にもわけの分からないところがあった」と宮崎駿監督が言うことが言葉通り本当だとしたら、これは作り手として相当怖いことだろうと思いました。「自分自身にも説明できないところを残す」ことは、もしかしたら自分にはわからないうちに、隠しておきたいような自分の無意識がドロっと出てしまってる可能性もあって、そしてそれに対してコントロールを手放すというのは、相当怖いだろうなと思うのですね。少なくとも自分だったら。そしてそれを「多くの人がわかる」ことで成り立つ商業映画の世界でやるというのは。
今回は、勇敢にもその恐ろしいことををやっている作品だということで、「君たちはどう生きるか」を私は膝を正して2回映画館で観ました。
面白かったから、というのもありますが、子どもがこの映画を観てどう思うんだろう?と興味があっのです。ということで、2回目は子ども(小学5年生男子)と一緒に観ました。
さあ、この「わけの分からない映画」を観て、彼はなんて言うかな〜と期待していたんですが、観終わったあと、子どもは「意味がわかんなかった」と言いました。
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