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社会人になって20年、「自分の仕事をつくる」という目標は、どうなっているのか?

2004年に大学を卒業し、無事に就職することができて、なんやかんやあって転職もして、4社を渡り歩き、社会人になって20年経ちました。

大学卒業時には私は何者でもなく、社会対して提供できる価値を持ち合わせてはいなかった。それから20年経って振り返ってみると、確かに私は「何者か」にはなれたように思います。

4社を経験し(一社につき数年働き、今の会社は10年近く働いています)、その経験が自分にささやかな「専門性」をもたらしてくれ、今に至っています。

ありがたいと思うと同時に、自分は「自分の仕事」を持てているのかについて、違和感を持っています。

「自分の仕事をつくる」に憧れた

2004年、ちょうど就職のタイミングで、「自分の仕事をつくる」という本に出会い衝撃を受けました。

「自分の仕事をつくる」とは、デザイナーであり、思想家であり、働き方研究家である西村 佳哲さんの著作で、ちょうど西村さんが「仕事のやり方」を探索していた時期に、様々な人や会社にインタビューした記録です。

刊行は2003年。インタビュー対象は、柳宗理さん、パタゴニア社、IDEOのデニス・ボイルさん、デザイナーのヨーガン・レールさん・・・といった今見ても錚々たる人たち。

仕事=会社で働く=つまらない日々の繰り返し という単純な未来しか想像できなかった自分にとって、そして、会社とは恐ろしいところだとビクビクしていた自分にとって、「自分の仕事」を持つ、という内容はとてもまぶしかった。

私の想像した未来は、半分当たっていて、半分違っていました。私の仕事とは、会社で働くことでした。でも、つまらない日々だったかと言えば、そんなことはなかった。「面白い」「楽しい」だけでは決してなかったが、退屈でもなかったし、良い出会いもありました。

でも「自分の仕事」と呼べるものを、私は持てていたのか?ということについて、未だ拭えないモヤモヤがあるのでした。

私にとって仕事とは「会社に属すること」だった

私の20年間は、会社のお陰でなりたっていた。仕事を覚え、仕事を回すことでサラリーをもらい、そして生活できていました。

でも、僕が惹かれる多くの仕事本には、まず「自分は普通の就職ができなかった」とか「どこの会社にも入りたくなかった」とか「会社が合わなくてやめてしまった」というような、いわば「非・就社」のストーリーがありました。

対して、私がやってきたのは、その真反対。

会社の名前の下において名刺を持ち、定まった会社の業務プロセスに習熟し、そして何より、会社の仲間ありきで成り立つ仕事を、回してきました。

つまり私は私個人の名前のもとではなく、自分で立ち上げたのではなく、すでにそこにあったものを活用していました。そういう意味では「自分の仕事」と呼べる成分は、少なかったといえます。

でも「一人ですべてやらなくて良い」というのはありがたい仕組みです。会社でやっていることを「全部一人でやれ」となったら、とてもじゃないがパンクしてしまいます。それに、大きな仕事や、大きなインパクトをもたらす仕事は、誰かと協力しなければできません。私は「会社で働く」ということを否定したいわけではなさそうです。

「自分の名前」で立つことはできなかった

私は「自分の名前」で仕事が評価されることを望んでいるのかもしれません。自分の名前で指名が来たり、社外から評価されたりするような、そういう状態になることを「自分の仕事を持てた」とイメージしているのかもしれません。

先ほど、多くの仕事本には「非・就社」のストーリーがあると書きましたが、会社に属すること=自分の名前で仕事ができない、という公式は成り立たないように思います。

会社員であっても、「その人の名前」で仕事ができている人がたくさんいます。NHKの「プロフェッショナル」や、TBSの「情熱大陸」に登場する人たちの中で「会社員」である人はたくさんいます。

・・・・

でも、こう書いてみて「なんだか虚ろな承認欲求だな」と思いました。「自分の名前で評価される」の手前に「何がやりたいのか」ということが、深められていないように感じました・・・。お恥ずかしいことです。

自分を疎外しない人生を歩みたい

「自分の仕事をつくる」は、いま、ちくま文庫になっています。そこには、2003年刊行時から時間が経っての再インタビューや、著者である西村 佳哲さんの文庫版あとがきも載っています。

あの本で僕がなんとしても言葉にしたかったのは、(略)「こんなもんでいい」というような、他人を軽く疎んじる働き方は、人間を互いに傷つけるということでした。
他人を疎んじることは、自分をも疎んじない限り出来ないことですから、そのような働き方を通じて、結局は自己疎外の連鎖が深まってゆきます。その人がそこに「いる」感じのしない働き手や仕事が、世の中で増えてゆく。それは僕には耐え難いことです。

「自分の仕事をつくる」

結局のところ「自分の仕事をつくる」という本も、「自分はこれを大事にしたい」という思いを探究するために、生まれた本だったのだと、今あらためて読んでみて、そう思いました。

私自身、ささやかながら20年間働いてきて、いや、働いてきただけじゃなく、ここまで生きてきて、思ったことや、望んだことや、うまくいかなかったこととか、こうだったらいいな、と思うこととか、ささやかながら、いろいろあります。ようやく一人前に持ててきた、とも言えます。

そういうことをまずテーブルに載せてみて、「自分を疎外しない人生」っていったいなんなのか、それを実現していくための探究、行動、もしかしたらそれが今あるものと摩擦を起こすかもしれない。

それが「自分の仕事をつくる」ということにつながるのかもな、と考えた次第でした。

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