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人生で何が終わったのか?ミッドライフ・クライシスを「トランジション」で読み解く
個人ブログ・ヤトミックカフェの出張版noteを書くことにしました。矢口泰介と申します。
ブログの方では、いろいろよしなしごとを書いてきましたけれども、ここ数年は、私自身の「ミッドライフ・クライシス」を観察し、それを考察する記事を書いてきました。
noteでは、それを引き継ぎつつ、私自身の経験を掬い取って、誰かへの贈り物にできるような記事を書いていけたらと思っています。
ミッドライフ・クライシスに苦しんだ3年間
私は2020年の後半から、ミッドライフ・クライシス(中年の危機)と思しき精神状態に陥り、その感覚と格闘してきました。
中年とよばれる人生の段階に来て、「自分の人生はこのままでよいのか」というような後悔や焦りが襲ってくる、いわゆる「ミッドライフ・クライシス」という現象が起きることは、よく知られています。
ただ、その内容には個人差があるようで、起きる年齢も、その感覚も、人によって違うようです。
私のように、仕事上のことで焦りを持つ人もいれば、健康面の不安が引き金になる人もいれば、家族のことがきっかけになる人もいる。うつ的になる人もいたり、アルコールやギャンプルに走ってしまう人もいたり・・・。
いったい、この「一般化できないが、確実に多くの人に訪れるこの苦しさってなんなんだろう?」と、考えてきました。
そして、私自身、この心理的危機に陥ってすでに3年近く経つのに、未だトンネルの中にいる感覚。出口はあるんだろうか?と思いながら。
「トランジション 人生の転機を活かすために」という本との出会い
そんなとき、ひょんなことから、「トランジション 人生の転機を活かすために」という本に出会いました。キャリアコンサルタントのウィリアム・ブリッジズが記したこの本は、とても示唆に富んでいました。
「トランジション」という言葉をご存知でしょうか。
キャリアチェンジにおいて、組織の役割が変わるときに使われる言葉ですが、この本では人生における重要な(後戻りのない)内的変化の意味合いで使われています。
「トランジション」とは心理的に変わることである。トランジションとはそうした外的な出来事ではなく、人生のそうした変化に対処するために必要な、内面の再方向づけや自分自身の再定義をすることである。
本書ではこういった「トランジション」のメカニズムをじっくりと説明してくれるのですが、執筆当時、70代になっていたウィリアム・ブリッジズさんが自身の人生を回顧しつつ、本書を改訂をつづけてくれたおかげで、人生における深い洞察を与えてくれる、驚くべき本になっていました。
ミッドライフ・クライシスとは、人生の諸タイミングで起きるトランジション
スフィンクスの謎かけ 「声は同じなのに、朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の動物は何か」
エディプスの答え 「それは人間だ」
当たり前ですが、人生にマニュアルはありません。一人ひとり違います。しかし、生きていると誰もが確実に避けられない「トランジション」のタイミングがあるといいます。
まさにスフィンクスの謎のように、ひとつは子ども時代の終わり。そして成人期における転機、そして人生の後半。
昔はこういったトランジションを「通過儀礼」という形で、システム化していたというのですが、そういった通過儀礼もなく、なんとなく平坦に人生が続いているように見える現代では、トランジションが目に見えない形で起きるので、私たちは混乱してしまうのでしょう。
現代人の職業生活は四〇年ほどである。しかしその中間点のどこかで、多くの人々はある感覚に襲われ、混乱期を迎える。ある人は漠然と、ある人は非常に激しく困惑しながら、「何かが変わった」と感じ始めるのだ。この時期に起こるのが、いわゆる中年期のトランジションである。
本書ではこのように、ミッドライフ・クライシスも、トランジションの文脈において、読み解かれています。
トランジションは「終わり」を受け入れることから始まる
トランジションには、例えば、離婚や病気などといったネガティブな入口で始まるものもあれば、出産や昇進というポジティブに見えるものもあるといいます。
最悪な状態と、ハッピーな状態。しかし、それらがトランジションである限り、それは必ず「終わり」から始まるというのです。
どんなトランジションも(1)終わり(2)ニュートラルゾーン(3)新たな始まりから成っている。
本書では、子どもを出産したばかりで、周囲からは「幸せな時期」で、重大な危機を迎えているとは見られていない女性が出てきます。
しかし彼女は自分でもよくわからない孤独やいらだちを抱えており、何回かのセッションのあとで、こう言います。
「私は赤ちゃんがほんとに大好き。だけどかつての自由や気楽さはもうなくなってしまった。好きな時に休むこともできないし、自分の立てたスケジュール通りに生活することもできない。もう自分の人生ではないとさえ感じるんです。
(略)
「これまで、こんなふうに考えたことはなかったんですけど、いま、私はハードルを一つ越えたのかもしれませんね。そして、もう、過去には戻れない。懐かしい時代は過ぎ去ったんです。
このように新しいステージへのトランジションには、どんなにその先の変化がポジティブなものであっても、必ず一つの「終わり」から始まっているといいます。
そして「終わり」に直面したとき、人はこれまで慣れてきたやり方を捨てられず、無意識に戻ろうとしてしまう、ということも書いています。
変わりたくないのも真実だし、変わりたいというのも本当なのである。トランジション状況は、このパラドックスを表面化させる。すなわち、人生のあらゆる状況が、肯定的な側面と否定的な側面の両方を持っていることを、われわれに見せつけるのである。
変化したいけど、したくない。もう新しい状況になじんだと言いながら、体はもとの生活に戻りたがっている。本当に、思い当たる記述ばかりでした。
私のミッドライフ・クライシスにおける「終わり」とは
これに照らし合わせると、自分のミッドライフ・クライシスで直面している「終わり」とはなんなんだろう、と考えますと、それは恥ずかしながら「若さ・青年期の終わり」なんじゃないかなと思いあたりました。
私はこれまで「自分は若い人間だ」ということを前提に生きてきた気がします。私はこれまで4度転職をしていますが、その「場所を変えていく」というフットワークの軽さは、「若さ」を象徴していたような気がします。
自分はチャレンジャーで、外にある大きなものに順応していく側である、という意識のあり様は、若さそのものです。
ただ、40歳を超えたいま、そういった無邪気さはもう通用しない、という気がするのです。何かに対する責任感を持たなくてはいけないし、すでに自分はチャレンジャーを受け止める側なのです。
ただ、そんなかっこいい感慨ばかりではありません。私は意味のある何かをこれまで積み上げてきたのだろうか?という疑いも、頭をもたげます。
できない仕事が多すぎるし、若い人のほうが優秀で、おまけに最近は仕事に体がついてこなくなってきた・・・。
ああ、本当に心がぐちゃぐちゃします。
手放すことでしか、新しいステージにたどり着けない
ミッドライフ・クライシスを、「トランジション」で読み解こうとしたとき、一つの問いが突きつけられます。
「今まさに手放すべきものは何か?」という問いです。
この問いに答えるのは簡単ではありません。
手放すとはいっても、「仕事を辞める」とか「異動する」というわかりやすく外的な変化が求められているわけではありません。
むしろ外的な変化を起こすだけでは無意味で、まさに本書にもある通り「人生の変化に対処するために必要な、内面の再方向づけや自分自身の再定義」が求められているのです。
職業生活における変化は単なる変化にすぎないことを覚えておこう。トランジションのさなかにあるということは、それ以上の何かが自分の内側で起こっているということである。つまりあなたは、自分の考えや思い込み、自己イメージ、夢を手放すべき地点に到達し、人生のストーリーを次の章へと進ませていく時期を迎えているということである。
おそらく「何を手放すべきなのか」を自覚すること自体が、一つの困難を伴っていると思いますし、自覚したとしても、手放すには相当の勇気がいることと思います。
この3年間、私は「自分の人生がこれまで無駄だったんじゃないか」という思いに苦しんできました。
その苦しさからすぐに解放されるわけではないと思いますし、そして、解放というのはなく、永遠に別の問題に突き当たる、ということになるかもしれません。
しかし、少なくともその苦しさに向き合うことは人生において意味があり、ミッドライフ・クライシスとは、これまでを振り返り、勇気を持つことで、未来に向けて変化のできる時期なのだ、という思いを持てただけでも、心が軽くなったような気がしました。