いつから、夏祭りが楽しみではなくなってしまったのだろうか
夏といえば祭り、祭りと言えば夏。
春や秋にやる祭りがあるにせよ、私にとって「祭り」という単語で想像するのは夏であり、季語的にも単に「祭り」と書くなればそれは夏になるらしい。
まぁそんなこたぁどうでもいいのだ。
昔、私は祭りが楽しみで楽しみで仕方のない少年だった。
母からも「あんたはお祭り男やねぇ」なんて呆れられるぐらいに祭りが楽しみで、戦隊モノのイラストが描かれた小口財布に2000円ぐらい入れて、友達数人とともに夕暮れで賑わいを見せ始める祭りへと出向いていたものである。
私の地元では、夏に週をずらして2つの祭りが開催されていた。
一つは地元市民が主となって開催される祭り。
もう一つは地元企業が主となって開催される祭りである。
規模的に大きいのは地元企業が主となっていた祭りだったが、この祭りはもう10年ほど前に色々な事情で無くなってしまった。
今でも残っているのは地元市民が主となって開催される方の祭りで、このnoteが投稿されるであろう日の数日後には開催されているはずだ。
私にとってはどちらも本当に楽しみで楽しみで仕方のない祭りだった。
下手くそすぎて全然すくえない金魚掬い、
毎回当たるのはよくわからないチープなエアガンばっかりのくじ屋、
祭りが終わっても舐め終われそうにないサイズのりんごあめ、
思ってたよりも値段が高くて一瞬買うのを躊躇しそうになるお面、
友達と祭りで遊んでる最中にすっ転んで必ず割れる水ヨーヨー。
今こうして思い返してみても、まるでほんの数分前にあの頃の祭りへ行っていたかのように鮮明な記憶として私の脳みそをハックする。
遠くから祭囃子が聞こえてきて、「変わった掛け声だなぁ」なんて思っていた記憶も蘇る。
そんな楽しい夏祭りを、…いつから楽しみではなくなってしまったのだろうか__。
今こうして思い返してみると、「昔の友達」という存在が出来始めてから、夏祭りを楽しみにしなくなっていったように思う。
例えば、小学生の頃に「昔の友達」なんてのは存在しない。
したとしても「幼稚園・保育園」ぐらいのもんで、それらの友達も基本的には同じ小学校に通う。
そして中学に入り、「友達」と言われる種類が徐々に多様化してくる。
部活における先輩後輩などの上下関係しかり(上下関係!!何とも嫌いな言葉だ!!)、別の学区から通う人たちもいた。
いつしか小学校の頃に遊んでいた友達たちとは別の友達と遊ぶ機会が多くなり、まさに「昔の友達」が出現してくる。
そして高校に入ると先述の如き多様化において、ますます「昔の友達」が増えてくる。
学年が上がるにつれ、祭りに行くと「昔の友達」がグループで楽しそうにしてるのを散見する機会が増えていく。
私も私で別の友達と遊んでいるのだけれど、この感覚がどうにもイヤな香りを放って私の心にまとわりついてくる。
最後に地元の祭りに行ったのは…定かではないけれど、確か高校生の頃は行ってない気がする。
中学3年が最後だったのだろう。高校に入ってからはまさに「昔の友達」に出会うのが、見てしまうのが…イヤだったに違いない。話しかけられても困
るし向こうも気まずいだろう。なんなんだこれは。
「夏祭りが楽しみではなくなった」とタイトルに入れたが、別に意識して「楽しみじゃない」と思っているわけではない。
あの頃の、少年yatoの純粋無垢かつイノセントな気持ちのごとく、「もう少しで夏祭りだ!」といった感情を抱かなくなってしまっていた、その正体について言及してみた次第だ。なんの需要もなかろう。なくてよろしい。正解だ。
今だったら、なんとなく地元の祭りに顔を出して焼き鳥をつまみつつビールでも飲みながら、夜風に吹かれてぶらぶらするのも良いかななんて思いつつ。
小学生の頃の、戻ることのできない夏祭りを回想するのであった。
おーわりっ!
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