私とミッシェルガンエレファント
チバさんが亡くなってしまった。
訃報のニュースを見てすぐ、私は汚くなったウォークマンからミッシェルフォルダを探し出し、お気に入りの曲の1つである「ダニー・ゴー」を聞いた。
音楽というのは不思議なもので、当時聴いていた曲を今になって聴くと、その頃の情景や風景が一瞬で頭の中をハックする。
あの時の自分を一人称ではなく、三人称視点でまるで俯瞰するかのように、当時の自分へとトリップできる。
そういう意味で言うなれば、『音楽』とは一種のタイムマシンではなかろうか。
ダニー・ゴーを聴きながら、当然ながら私も高校の頃のチャリ通学へとトリップしていた。
と同時に、私がいかにしてリアルタイム世代ではない「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」までたどり着いたのか…を思い出していた。
私とミッシェルとの出会いは、確か中学3年〜高校1年あたりではないかと思う。
中学卒業あたりぐらいまでの年齢になってくると、周りの友達も徐々に「流行りのJ-POP」から「流行りのJ-ROCK」を聴くようになってきていて、私もその影響を受けずにはいられなかった。
当時のJ-ROCKシーンといえば「9mm parabellum bullet」や「The HIATUS」、「ASIAN KUNG-FU GENERATION」、「BUMP OF CHICKEN」などがブイブイ言わせていて、友達からよくCDを借りたり自分で買ったりしていたものである。
私の特徴として、好きになったバンドやミュージシャンの「音楽ルーツ」について掘り下げていくクセがある。
大学で卒論を書き始める時に、ゼミの教授から「参考文献に書かれてある書籍も一緒に掘り下げていくと、より理解度が増すよ」というアドバイスをいただいたが、まさしくそれと同じだったなと今になって思う。
気になったバンドのwikipediaを見て、フロントマンがルーツとして挙げているバンド・ミュージシャンを片っ端から聴いていた。
ある日、あれは…アジカンの後藤氏だったろうか…いつもの如くwikipediaでルーツとしているバンドを見ていると、その中に「Thee」から始まる不思議なバンドがあることに気づく。
普通、バンドの冠といえば「The」である。それかTheをつけずにただ名前だけをつけるのが定例だが、そのバンドはTheの後ろにもう一つ「e」があったのだ。
なんて読むんだろう…?私は好奇心に駆られ、リンクされてあるそのバンドのwikiページへと飛んだ。
そこには、「ミッシェル・ガン・エレファント」と書いてあった。
ミッシェル・ガン・エレファント。良い名前だ。響きが良い。中学生だか高校生の私は、一瞬でその名前を覚え、我が家で恒例だった「週1回、TSUTAYAでCDを借りる日」の土曜日or日曜日に迷わずミッシェルを選んだ。
確か…とりあえずベストアルバムを借りたように思う。
1曲目はもちろん「世界の終わり」。
始まりなのに終わり。世界の終わり。それもまた、どこか洒落ているような…ちょっとニヒルなような、そんな大人の香りがした。
「すごくかっこいいじゃないか!!」と興奮した私は、もう一度ミッシェルのwikipediaへと飛んだ。
初めて閲覧した時には気づかなかったけれど、数年前にギターのアベさんは亡くなっていることを知った。
アベさんはドクター・フィールグッドを好きだったことも知った。
そして、ミッシェル自体は2003年に解散したことも、その時に知ったのだった。
まさしく、私はリアルタイム世代ではない。
そのため、ミッシェル・ガン・エレファント…もといチバさんは、私の中ではビートルズとか、レッド・ツェッペリンとか、そういうレジェンドバンド的な位置付けなのである。
リアルタイム世代の方からすると、おそらく「カリスマ」だったり「スター」だったりといった捉え方をされているのではと思う。
だが、先述のように…私の中ではレジェンドバンド的な位置付けだったから、いわゆる「歴史の偉人が亡くなった」というような…そんな感覚に近い。
そういえば、高校の頃にミッシェルの「シャンデリヤ」が弾きたくて「ハイタイム」のスコアを買ったなぁ…とか。
「blue nylon shirts」っていう曲が好きで、いつぞやか「ダニー・ゴー」と「blue nylon shirts」しか聞いてない時があったなぁ…とか。
哀しいという言葉を使わずに「哀しい」を表現しようと思ったけれど、やっぱり難しいものである。
最後にこれを言って、散らかった今回のnoteを締め括らせていただこう。
哀しい。