私はジグソーパズル
忘れもしません。
私が5歳の時のことです。
虐待されていた私の唯一の楽しみは絵を描く事でした。
保育園で卒園アルバムの表紙を描いていました。
青い空とお花畑、色鮮やかにごきげんで集中していました。
すると突然、隣に居たいじめっ子の男の子が私の絵に黒の絵の具でベチャッと落書きしたのです。
はああぁぁぁあぁ!!??
何してくれてんの!?
唖然、驚き、絶望、悲しみ、怒り。
色んな感情が同時に湧き、思考停止しました。
大袈裟なと思うかもしれません。
けれど私は生まれた時から両親に虐待され、この頃にはもう既に生きる気力もない動く人形だったんです。
絵を描く事だけが生きている意味だったんです。
その絵を修正の効かない黒色で塗られて衝撃を受けない訳がありません。
本当に殺意さえ感じました。
でも何も言い返さず、反応せず、自分の感情を抑えつけて何もなかったことにしました。
今まで両親に対してそうして来たように。
怒る場面で怒らない。
楽しむ場面で楽しまない。
笑う場面で笑わない。
泣いて良い場面で泣かない。
悲しい場面で悲しまない。
そうやって暮らしてきました。
表紙絵を描き直す事は出来ませんでした。
なので汚れた卒園アルバムを見るたび苦々しく悔しい気持ちを思い出すのです。
私は自分が感情のまま行動すると場を壊し、平和を乱すことを恐れて、私さえ我慢すれば皆楽しく居られると思って自分を犠牲にしてきました。
その結果、感情と行動がチグハグでぴったり合致せず、楽しんでいるのに涙が出たり、怒っているのに吐き気で具合が悪くなったり、悲しいのに笑いが込み上げたり、私という人間がジグソーパズルのようにバラバラになって正しくはまってなくて、なんとも歪でその事実に絶望感とやりきれなさを感じるのです。
そして今、バラバラになったピースを正しい位置に戻す作業をしています。
本当に元に戻るのか確証も自信もありませんがこの苦しいままで居たくないという思いだけが私を動かしています。