制限なんてない。人々の可能性を最大化する社会とは?
今朝noteを開いたら、
大好きなnoterさんルンナさんが
かつて某美術大学の「色盲は受験資格がない」という
制限があったことを語られていらっしゃいました。
この記事を読んで、私も自分の過去を思い出したのです!
今日はちょっと個人的なお話となりますこと、
お許しください。
今から35年前くらいなのですが
18歳でなくては大学受験できないということを体験したのです。
え?何それ?という方にちょっとご説明。
私は所謂「帰国子女」という部類に属する人間。
中学・高校を親の仕事の関係で海外で過ごしました。
海外の学校はご存じの通り、9月入学です。
ですので、私は17歳の6月に高校を卒業し、
その後日本に帰国しました。
当時の選択肢は
1)半年待って4月に大学に入学する
2)9月入学を実施している大学に入る
のどちらかでした。
35年前くらい前は、
2)の9月入学を実施している大学も数か所しかありません。
なので
まず2)にチャレンジし、受験に落ちたら
1)にしよう。
そう考えて受験に挑んだのですが、ここでさらに
「年齢制限」という壁にぶち当たります。
当時受験資格には
「昭和XX年4月1日~昭和XX年3月31日生まれ」
みたいなことが書いてあり
それはすなわち18歳でなければ、受験資格もないのです。
私は11月生まれなので、
受験する7月の段階ではまだ17歳なのです。
当時、「年齢制限」が唯一なく、
そして9月入学を実施している大学は
日本にたった1つしかありませんでした。
ルンナさんのnoteにも書かれていますが、
「XXXだとXXXが出来ない」
これは日本に、かなり多い制限でした。
規制や制限があって、
discipline規律的な日本人になったのかもしれませんが
個性が活かされていなかったのも事実ではないでしょうか?
その後、私は
『帰国子女』『17歳で大学に入学した女性』
(ここに性別が入るのも日本独特です)
というレッテルを貼られ、大学生活を送りました。
今、思い起こすと
このレッテルが良かったこともあるし、
これに苦しむこともありました。
今笑って語れること自体、幸せなことだと思います。
ですが、当時17歳の私にはちょっと苦しんだ時でもありました。
ルンナさんのnoteや私の過去を振り返り
日本が少しでも、
性別や国籍、年齢を超えて、
その人を「その人」として受け入れ
誰もがチャンスを持ち、活躍できる未来が待っている。
あなたは、あなたのままでいいのです。
「XXXだからXXXができない」ではなく
「XXXだから、さらにXXXができる」
ありのままの、あなたをきちんと受入れ、
制限の中に閉じ込めない。
そんな社会になっていることを強く、強く望みます。
個人的なnoteにお付き合いいただき、ありがとうございました。