<第2章:その10>「もう一度妻に会いたいんです」(上)
「庭に骨を撒いてもいいですか」
書類を書いていた私は、ゆっくりと顔を上げ、田中さん(仮名)の顔を見ました。はじめは冗談で言っているのかと思ったのですが、その言葉はまじめだとすぐにわかりました。
田中さんは闘病のため、疲れ果てた顔をしていました。
病名は、肺ガンでした。すでに医者からは、余命を宣告されているといいます。
そんな田中さんの目は、白目にまったく透明感がなく濁りきっていました。お客さまに対して失礼ではありますが、死んだ魚のような目をしていたのです。
そのときも、ひとりでは出歩けないために息子さんに連れ添ってもらい来店されました。でも、その言葉を発したとき、田中さんの目を見た私は、彼の中に吸い込まれそうになりました。
とても余命を宣告された人の目には見えず、耐えきれなくなった私は、石屋としての一般論で対応しました。
「常識で考えたら、いくら自分が所有する敷地内とはいえ、ご遺骨を庭に撒くことは許されません。どうして庭にお骨を撒きたいのですか」
田中さんは、持参した茶色い封筒の中から写真の束を取り出しました。そして、30枚ほどある写真を無言のまま私に差し出したのです。私はそれを受け取り、1枚ずつ、頭に焼き付けるように見ました。その写真のほとんどが、緑で溢れていたのを覚えています。
彼の家族、田中さん自身、そして今回、亡くなられた奥さんも写っています。
「妻が喜ぶのはお墓の中じゃない。この庭に眠ることだ」
そもそも私は墓石屋で、散骨屋ではありません。庭にご遺骨を撒くなら、なぜうちに来たのだろうか?私が言葉を選んでいるうちに、今まで黙っていた息子さんが口を開きました。
「親父、石屋さんも困っているだろ。庭に骨を撒くなんてことはダメなんだよ。あきらめろ」
「どうしてダメなんだ。自分の家の庭をどうしようが勝手だろう」
「ちょっと待て。俺も住んでんだぞ」
息子さんが声を荒げました。一息ついて田中さんは息子さんに、
「わしに時間がないことは十分知っているだろ。このまま母さんをどうするんだ。自分がよければそれでいいのか。この、親不孝者」
親子喧嘩になりそうでした。というか、もう親子喧嘩になっていて、この場は何とか納めなければと、私は田中さんに話しかけました。
「言われてみれば、確かに田中さんの土地だし、家も庭も田中さんの自由です。でも、家をお建てになったとき、建築基準法などにそって家を建てましたよね。同じように、墓地埋葬に関する法律という、お墓やお骨に関しての法律があるんです」
田中さんは、そっけない態度で返答したが、法律と聞いて少し顔色に変化がみえました。
「その法律によると、ご遺骨を許可なく好きな場所に埋葬することは禁じられています。それに、もしお隣さんが庭に骨を埋めていたらどう思われます」
「確かにそう言われると……」
田中さんの言葉は、少し勢いが収まってきました。
「奥さんのご遺骨を、田中さんが庭に埋めたことによって、もし警察に捕まるようなことがあったらどうします。それこそ奥さんは悲しむと思いますよ」
田中さんは黙ってしまいました。
「ほら、親父。やっぱダメだって。お墓の法律があるんだって。あきらめなよ」
息子さんは、少し笑みを浮かべながら田中さんに語りかけていました。私は、息子さんは、普通にお墓をつくることに賛成なのか聞いてみました。
「いや。僕は正直な話、墓をつくるとか、庭に骨を撒くとか止めてほしい。そもそも葬式とかも好きじゃないし。庭とか、お袋への想いとか、そんなの僕ら受け継ぐことできませんから」
「僕ら、と言いますと」
「ああ、僕の他に兄貴が二人いまして。ただ転勤族なんで、このあたりに住んでいないんすよ。だから、僕が兄弟代表という訳です」
「そういうことですか。で、お兄さん二人ともお墓には反対ですか」
「もちろん。二人とも、将来こっちに戻れるかどうかわからないし、僕だってこの先どこに飛ばされるかもわからない。こんな状況で、お墓つくってどうすんの。もし墓をつくるなら、親父が生きている間に勝手にやってすべて片付けてほしい。さっきも言ったけど、僕らは親父の想いとか受け継げないから」
来店当初、冷静そうに見えた息子さんも相当熱くなってきて、パイプ椅子に深く腰掛けていたはずが、いつの間にか体は前のめりになり、頬は紅潮してきました。すると、黙って息子さんの言い分を聞いていた田中さんが口を開いたのです。
「骨を細かく砕いて、粉状にしたら撒いてもいいと聞いたことがあるが……」
またふり出しに戻ってしまいました。
「いや、粉状ならいいとか、固形はダメとか、そういう問題じゃありませんよ」
「どうしてもダメかね」
「とにかくご遺骨を庭に撒くことだけはダメですよ。もし息子さんが転勤になって、家を手放すことになったら、庭に撒かれた奥さんのご遺骨は、土建業者によってどこか知らない山へ捨てられますよ」
しばらく沈黙が続いた後、田中さんが話し始めました。
「はじめはね、庭をイメージしたお墓をつくろうと考えたんですよ。でも、墓地に行ってみると日光は当たらない。隣に大きな墓石も立っている。どう考えても無理だった。どんなお墓をつくっても、うちの庭のようなお墓はできない気がしたんです」
田中さんは寂しそうにうつむいて、もう一度私に訊ねてきました。
「無理ですかね」
私は、その場を収拾させるため、庭を見せてほしいと提案したのです。
「庭を見てもらうのは構わないが、来てもらえるなら、できるだけ早く来てほしい」
「わかりました。その前に、一つ質問させてください。お医者さまにはいつが期限だと言われていますか」
「実は、医者から言われた期日はもう過ぎています」
<つづく。続編の「中」は12月16日(月)配信予定>
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう
父の店が倒産
無償ではじめたお墓そうじ
お墓は愛する故人そのもの
・第1章
墓碑は命の有限を教えてくれる
死ぬな、生きて帰ってこい
どこでも戦える自分になれる
お墓の前で心を浄化する
祖父との対話で立ち直る
・第2章
心の闇が埋まる
妻から離婚届を突き付けられて
妻の実家のお墓そうじをする
ひきこもりの30歳男を預かって
心からの「ありがとう」の力
先祖と自分をつなぐ場所
お墓を建てることは遺族の使命(前編)
お墓を建てることは遺族の使命(後編)
お墓のシミが教えてくれたこと
壊されるお墓