岡崎城下の中心で歴史を紡ぐ
愛知県岡崎市の專福寺は、旧岡崎城下の中心地で歴史を紡いできました。徳川家康との交流や三河一向一揆など歴史の教科書にも出てくるような表舞台だけではなく、市井の人々とのかかわりの跡も残っています。37代目のご住職、本多弘さん(63)にお話をうかがいました。
城郭伽藍の太鼓堂
――こちらは岡崎の市街地ですね。
「名鉄の東岡崎駅から歩いて10分ほど。北へまっすぐ、乙川にかかる明代橋を渡って、国道1号線を越えてすぐ、和菓子で有名な備前屋さんの手前にあります。お城の隅櫓のような太鼓堂がありますので、目印にしていただければ、と思います」
――太鼓堂とはどんなものですか?
「二階部分に太鼓があるお堂です。城郭伽藍といいまして、三河一向一揆で拠点となった安城市にある本證寺さんの太鼓堂は有名です。江戸時代、寺の近くを東海道の二十七曲りという、防衛を目的にした曲がり角の多い街道が通っていたんですけど、岡崎城下に攻め込まれたら太鼓を鳴らして通報することになっていた、という話もあります」
住職の名前が町名に
――お寺ができたのはいつごろですか。
「開創は平安時代初期で、13代住職の時に真宗に改宗したと伝えられています。
三河一向一揆のころ、22代目の住職だった祐欽(ゆうきん)は、岡崎城に出入りして、家康と世間話をしたり、お茶をたてたりと、交流があり、一揆の時には家康側と一揆側の調停役を買って出たと言われております。でも、調停は失敗に終わり、家康の怒りを買って、祐欽は大阪へ逃げました。その後、浄土真宗の再興に尽力した家康の叔母、妙西尼の嘆願で、最初に岡崎に戻ることが許された僧侶が祐欽のようで、1580年ごろに專福寺は再興されたと言われています。
現在、寺の住所は祐金町(ゆうきんちょう)といいます。漢字は違いますが、町の名前の元になった方だそうです」
――ひとりの僧侶の名前が町名で残るとは、すごい歴史ですね。
「專福寺は寛文10(1670)年に全焼する火事に見舞われましたが、その後は災害を逃れ、戦時下の岡崎空襲でも周辺が焼け野原になった中で奇跡的に專福寺は焼けず、太鼓堂などが残っております。
寺に良質の資料が大量に残っているとして同朋学園仏教文化研究所によって調査をしていただき、冊子にまとめられています。專福寺は旧岡崎城下の中心の伝馬町(現伝馬通)と東海道に近いため、必ずと言ってよいほど、旅をした本願寺関係者の宿舎になっていたようです。そのため座敷は一般寺院としてはとても広く立派で、明治時代には天皇陛下がお泊りになりました。その座敷は明治時代末に岡崎の別院に移建されて座敷として使われていましたが、残念ながら空襲で焼失してしまいました」
想像できなかった“墓じまい”
――この秋、「岡崎伝馬はなえみ墓園」をオープンさせました。きっかけがあったのですか。
「30年ほど前、先代住職のときに、墓地の工事をしました。お墓があっち向いたり、こっち向いたりしていて、整列しておらず、通路も決まっていないような状態でした。江戸時代には、近くに遊郭があって、各地から岡崎に集まってきた遊女の方が亡くなると、專福寺で供養していました。小さな無縁墓がたくさんあって、石が崩れて字が読めなくなったような墓石もいっぱいありました。
無縁墓を片付けさせていただいて、お墓を並べて整理をしたら、余剰地ができたんです。門徒さんの新家ができたら、お墓を建てるのに必要だろうと思っていたのですが、結局、ほとんど空いたままです。お墓を建てるどころか、ここ10年くらいはしまう人が多くなってきました。30年前には『墓じまい』という言葉もなく、余程のことがなければ相続していくもんだ、と思っていたので、今みたいなことになるとは想像できませんでした。
そんなときに、矢田石材店さんのはなえみ墓園のお話をうかがって、余剰地を遊ばせておくのもどうかと思い、役員さんと相談してつくることにしました」
――專福寺で取り組んでいることは何かありますか。
「ご法座っていうんですけど、月に一度はお寺で必ず教えにあっていただく機会を設けたいと、定例法要などを開いておりますが、昔に比べるとお寺へお参りしていただく方が減ってきております。何とかしたいと、スタンプカードをつくって、1年間に集めたスタンプの数でちょっとした景品を差し上げたり、大谷派の同じ組の15カ寺が協力して、各寺院の報恩講でスタンプを集める『報恩講巡り』というようなこともしたり、危機感を持って試行錯誤をしています」
山門も本堂の正面から現在の場所に移された
子どもも来てくれるお寺に
――みなさんの反応はいかがですか?
「若い人が、といっても60歳を超えている方ですが、自分はお寺に行こうなんて思わんかったし、親に 任せっぱなしで、お仏壇の飾り方も、線香の焚き方もさっぱり分からんけど、と言いながら、お参りに来るようになった方もいらっしゃいます。はなえみ墓園でも、お墓参りを通して、お寺を訪れる人が多くなって、ご法座に足を運んでくれる人が増えてくれるといいなあと思っています」
――これからどんなお寺にしていきたいですか。
「東京でサラリーマンをしている長男がお寺を継いでくれるという話が出ております。息子と一緒にやるようになったら、子どもさんがお寺に来ることのできる行事を、始められたらいいなあと考えています。そういう機会が増えれば、お寺やお墓参りに来る機会が自然と増えて、次の代に続いていくのではないかと、願っています」
永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
随時、月曜日に更新する予定です。