「お寺で楽しんだ記憶」を心に
知多半島の阿久比町にある谷性寺(こくしょうじ)はにぎやかです。お寺の行事以外に、境内や本堂などに出店が並ぶマルシェをはじめ、音楽、映画上映、人形劇、舞踊、ヨガなどのイベントや勉強会、相談会などが開かれます。のどかな田園風景が広がる街で、竹林に囲まれたお寺が人を引き付けています。矢野晋空住職(49)にお話をうかがいました。
落城に栄枯盛衰を嘆いて
――谷性寺の歴史を教えていただけますか。
「菅原道真の子孫といわれる新海氏が築いた柳審城が、阿久比町内の宮津地区にあったと考えられています。天文12(1543)年に水野氏に攻められて落城し、生き残った城主が世の栄枯盛衰を嘆いて建てたお寺が、谷性寺の前身だと伝わっています。
この地区には永禄元(1558)年に十一面観音を本尊とした善生寺があったけれども、取り壊されたという伝承があり、寛永3(1626)年に雲谷寺(阿久比町)の住職が再興し、後に常通山谷性寺と改名されたそうです。
浄土宗知恩院派に属し、本尊は阿弥陀如来です」
――谷性寺のホームページを拝見すると、いろんなイベントが開かれています。毎週末なにかありそうな雰囲気ですが。
「月に1、2回くらいですね。騒がしいお寺だと思われています(笑)」
尺八説法の縁で演奏会
――はじまりはどんな経緯ですか。
「先代が尺八の奏者で、“尺八説法”と名付けて各地で公演をしていて、いろんな方とも共演するじゃないですか。そのご縁で、仲間が本堂で小さな演奏会をしたんです。30年くらい前のことです」
――そこから広がったんですね。
「仲間の中にいろんな方面につながりのある方がいて、2日間のフェスを開きました。その方が起爆剤になって、尺八、琴、三味線など和風だったのが、インドやアフリカなどいろんな民族系の楽器とか、現代的なジャズとかとのセッションもするようになりました。
本堂で演奏するのは音の響きがよいから気持ちいいみたいです。雑音がないということをよく言われます。だから最初は“音楽の場”という要素が強かったですね」
――音楽だけでなく、マルシェや映画上映会、ワークショップ、人形劇、保育活動などもあります。
「音楽のイベントに付随して、出店者さんがいたり、そこから友引の日曜日に『こくしょうじ縁日 TOMOBIKI SUNDAY』として開いているマルシェにつながったりとか。結婚式をしたいとか、勉強会や瞑想会、ボードゲーム会を開きたいとかという要望があり、お寺を使ってもらっています」
イベントとしてより洗練
――来るもの拒まずという感じですか。
「私たちがやれる範囲であれば、そうです。
先代である父は、あまり細かいことを気にする人じゃなかったし、本人が尺八の演者として加わっていたので、場所を貸すだけという感じでした。私がかかわるようになってからは、お寺が軸になって物ごとを進めるようになりました。その方が、利用される方たちも安心してやりやすいんじゃないかなと思います。
そういう意味では、今の奥さんと出会ったことが大きいです。結婚する前からいろんなイベントを企画して、企画力や組織力に長けていまして。私なんかは『来てくれた人が楽しめればいい』という感覚で、緩くやっていたんですけど、イベントを継続するためにそれだけではいけないと気が付きました。谷性寺を維持して、来られる方たちのために、イベントが洗練されてきたという感じですね」
――お子さんのころから、にぎやかなお寺で育ったんですね。
「ここは空き寺だったのですが、私が3歳の時に父がお寺に入りました。父は大学で出会った先生が浄土宗のお坊さんで、その方の影響で出家したそうです。
私も少し尺八を習っていた時期もあったんですけど、そこに楽しみを見いだせませんでした(笑)。でも、演奏のお手伝いでミキサーやスピーカーなどの機材を触る機会があったり、昔やっていたヒップホップのダンスが足をくじくようになって続けられなくなった時にDJをする機会があったりして、こっちだなと、音楽の機材を扱う方に興味を持ちました。お寺にはプロ向けの機材がそろっています。音響をお手伝いしたり、機材を現場に持ち出してオペレーションなどをしたりしています」
いろんな仕事の経験が糧に
――お寺を継いだきっかけは?
「若いころは継ぐつもりはありませんでした。双子の兄は高校生くらいで『お坊さんはやらない』と決めていて、次男の私はお寺の手伝いをしながらアルバイトをしていました。
27歳の時に資格を取ろうと思い、3年後に成満したら、檀家さんや周りの方がすごく喜んでくださったんです。それがきっかけで継ごうと決めました。一度は空き寺になっているお寺なので、跡継ぎがちゃんとやってくれる、と思っていただいたのでしょう」
――アルバイトの経験はプラスになっていますか。
「絶対にアドバンテージになっています。あの経験がなかったら……とよく思います。
若いころは道路の舗装や型枠大工、水道屋さんとかしました。マイクロバスの運転手や、檀家さんの家業のお手伝いで伊豆から水槽車で活魚を運ぶこともしました。
DJをやっていたご縁で、結婚式場の披露宴の音響は長い間しました。BGMを選んで、花束贈呈やケーキ入刀のタイミングで場を盛り上げたりして、演劇みたいな感じで、とてもやりがいがある仕事でもあり、それと同時にブライダルの業界って礼儀作法にすごく厳しく、婚礼の仕事をすることで冠婚葬祭の心得が培われたと思います」
会話で不安に寄り添いたい
――お話の幅も広がりそうですね。
「インターネットを通じて申し込まれた葬儀を時々しています。そういう方たちは本当に困って、ネットにたどりついて、不安を持ちながら、依頼してきます。私が接してお話することで喜んでくださる。
ネットの利用者は、ご家族に不幸があると、なにが分からないかも分からない。どうすべきか相談して、言いなりになって、火葬して終わってしまうのが、不憫でなりません。
最初にお寺に連絡してもらえれば、いろんな選択肢をお伝えできます。正しく、亡くなった方を見送るお手伝いができるっていう、自信というか自負があります」
――イベントもプラスになりそうですね。
「お寺は仏事でしか人が集まらないイメージがあるじゃないですか。だから、仏事じゃないときにお寺に来て、かしこまらず、気楽に来てもらって、お寺を楽しんだ記憶を持ってもらうことで、種をまいた感じがします」
「今がちょうどいいくらい」
――谷性寺の将来について、どうお考えですか。
「イベントについては、今後、これ以上のことはあまり考えていないですね。今がちょうどいいくらい。あまりイベントをお寺に詰め込みすぎると、本来のお寺としての格式みたいなものがなくなってしまうことも考えられますし、知らない人が大勢入ってきて檀家さんに不安を与えないようにしなければならないと思います。
そして、檀家さんじゃない方を受け入れることで、法務に影響が出てしまっては、これまでお付き合いのある檀家さんに対して申し訳が立たない。そういうところにも配慮しながら、今くらいのペースを維持するのがベストかなって思っています。
ただ、柔軟な考え方は続けていきたい。これが当たり前、お寺とはこういうものだ、という定型的なものはあまり好きじゃない。十人十色だし、常に同じものはないと思っています」
永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
随時、月曜日に更新する予定です。