『心が強くなるお墓参りのチカラ』 ~はじめに~
愛知県で墓石の施工などを手掛ける矢田石材店の矢田敏起社長は、2012年に本を出版しました。『心が強くなるお墓参りのチカラ』(経済界)。お墓を通じて、家族の絆、先祖供養の大切さを伝え、「お墓参りこそ最高の人間教育」と説き、「命のつながりを知ることで、あなたの生き方は一瞬で変わる」といった想いや、そこに至った自身の半生などをまとめたものです。発行から10年以上が経ち、改めて、みなさんに読んでいただければと、この場で再録することにしました。少しずつ連載します。月曜日に不定期(2週間おきくらい)でリリースする予定です。
初回は「はじめに」。
子どもにチカラを与えるお墓参り
「お墓参りに行くようになってから、子どもたちの兄弟げんかが減った気がします」
これは、ある女性からのご報告です。
もともと、お子さんが「ありがとう」を言わない、けんかが多い、病気がち、というご相談をいただいていました。
私のアドバイスは、「お墓参りに行ってくださいね」に尽きるのですが、たいていの場合は、それで事足ります。では、なぜお墓参りに行くようになって兄弟げんかが減ったのでしょうか。
のっけから言いきってしまいますが、子どものいじめやけんかはなくなりません。恐らく戦争も。人間が有史以来、戦争を繰り返してきた歴史からも明らかです。
そして、私自身の経験からも……。
「私はケモノでした」
詳しくは後述させていただきますが、私には弟をいじめ続け、傷つけてしまった過去があります。母を亡くしたさみしさや、自分のつらさ、弱さ、心にポッカリと空いた隙間を、他の者への暴力という形で埋めていたのです。
この気持ちは、なくなりません。私が人間である以上、他者を傷つけたくなる衝動は消えません。今でも起こり得る事実です。
しかし、私はもう人に暴力をふるうことはないでしょう。なぜならば、心が強くなったからです。他者への暴力は、自分自身への弱さの裏返し、そして、異質なものを認めようとしない人間の本質です。
人が強くなるにはどうしたらよいのでしょうか?
私がもっともおすすめする方法は、「お墓参りに行く」ことです。
なぜお墓参りに行くことが、人を、心を強くするのでしょうか?
私は、誰でも正しい心、悪い心の二面性を持っていると思っています。そう考えると、いじめやけんか、人を傷つける行為自体はなくならない反面、他人に対して親切心も存在し続けます。
では、どうすれば善の状態でい続けられるのか。そして、人の傷みがわかる人間になることができるのでしょうか。
そのためには、想像力を身につけることが不可欠です。人を殴った時、自分の痛みとして想像できなければ、いつまでも傷つけてしまいます。
想像力を身につける有効な手段のひとつが、お墓参りなのです。お墓参りで手を合わせるとき、単なる墓石ではなく、亡くなった故人や先祖を想うからです。
私にとって、それは亡くなった母であり、祖父でした。
墓石に手を合わせ、大切な人、身近な人を想うことで想像力が養われます。
また、お墓参りによって現代社会で分断された家族のきずなを再び紡ぐこともできます。お墓に対し、手を合わせ、拝むことを続けるうちに、自分とお墓、先祖とのきずながしっかりと認識できるようになり、守られているという感覚も得られるようになります。これは、常に見られていることの裏返しで、悪いことができにくい精神を育むことになるのです。
常に守られていることを認識できると、人は強くなれるのです。
また、お墓参りによって、人の命は有限であること、命の尊さを知ることができます。未来ある子どもたちが、これからの世界で強く生きてゆくには、お墓参りを習慣化して、人として心を強くすることが必要不可欠になってくるのです。
生きる目的・自分の存在意義を教えてくれる
成人した大人、悩み多き世代のストレス解消にもお墓参りは非常に有効です。
先日、就職に失敗し続ける若者と知り合う機会がありました。彼は就職活動に敗れ、精神的にも肉体的にも疲れ果てていたのですが、私はまず先祖のお墓参りに行ったほうがいいと促しました。第4章に詳述してある基本的なお墓そうじのスキルを伝え、1日かけてお墓そうじをしてみなよ、と送り出しました。
数日後、彼は再び顔を出し、
「もう一度やりたいことに向かってがんばってみます!」
と笑顔で挨拶に来てくれました。お墓参りに行き、夢中でお墓そうじを繰り返すことにより、心のモヤモヤが消え、自分自身の本当にやりたいことが明確になったのです。お墓には自分自身の親、その親、そのまた親、先祖代々が祀られています。その方たちと会話し、自分の存在とはいかなるものか、自己対話を繰り返すうちに心が澄んでいくのです。ウソをつく必要がない墓前では、素直な気持ちで自分の内面と対話できるのです。
日本を支えてきた団塊世代の方々は、故郷を捨て、家族のために身を粉にして働き続けてきました。その反面、親、兄弟とは距離を置き、家族からも理解されない場合があります。団塊世代、そして団塊ジュニア世代は、お墓参り、先祖供養について著しく拒否反応を示されることがあります。
自分自身、故郷を離れて親たちから目をそむけてきたという負い目があるのでしょう。また、「今さらお墓参りなんて……」と思うかもしれません。
しかし、今だからこそ、お墓参りなのです。自分というものを分析すれば、所詮は父と母のハーフ。祖父母のクォ―タ―でしかありません。
自己の存在、自分が今いる価値、存在肯定にはお墓参りが最適なのです。お墓参りは、自分が今いる場所を再確認する最高の経験なのです。
人生のゴール=「死」を素直に受け入れる
お墓とは、人生のゴールです。お墓に入るとは、死そのもの。誰もが最終的には死に至るのです。
人生の終着駅、死を前提として、いかに生きて行くか。
あなたが死んだとき、傍にいてほしい人は誰ですか?
誰に涙を流してほしいですか?
あなたの遺骨をお墓に納める人は誰ですか?
あなたのお墓参りに来るのは誰ですか?
自分の死後を考えはじめると、今の人生、生きることそのものがひらけてきます。
子ども、孫に拝んでもらえる人は、肉体が滅びても死にません。
反面、そうでない人は、肉体が滅びたら即死んでしまうのです。
先日、以前お墓を通じてご縁をいただいた方から電話をもらいました。
「1週間ほど前に体調を崩しましてね、入院することになりました」
「そうですか、大変でしたね」
「ええ、まあ。あのときはまだ見えていた目もほとんど見えなくなりました。一歩、お墓に近づけた気がいたします」
体調を崩され、目が見えなくなったというのに、お声はなぜか嬉しそうでした。
「あとは妻のもとに逝くだけです。子どもや孫を一緒に見守ることができます。あとのことはよろしくお願いします」
「ええ、わかりました。お大事にしてください」
そう言って電話を切りました。数週間後、息子さんからお亡くなりになったと連絡をいただきました。
死は誰にとっても恐ろしいものです。
私とて同じです。
しかし、人はこの世界で生まれてから、今まで手に入れた執着から少しずつ解放されるたびに、死の恐怖から逃れられるのです。
人生を未練なくやりきることができたとき、死を受け入れることができるのです。
この世界での執着を完全に手放したとき、次の世代を応援する力が手に入り、見守る存在に変わるのです。
人は必ず死にます。そして先祖になるのです。であるならば、子どもや孫を守り、導く先祖になりたい。そのためには、お墓参りに来てもらえるような存在でなくてはいけません。
子どもや孫から尊敬されるような人物になる。人を敬うことができる人を育てる。双方を達成した人が、本当の意味でお墓に入り、先祖となることができるのです。
お墓参りの効果・効能
ここまで、世代ごとにお墓との関わりをお伝えいたしました。人はすべからく、お墓を意識して生きるべきなのです。
・お墓とは、子どもにとってチカラを与えてくれる存在
・大人にとっては生き方を確認する手段
・老人にとっては目指すべき場所
これだけの効果・効能がある以上、お墓参りを人生に有効活用しない手はありません。ただ漠然と義務的にお墓参りに行っても仕方ありません。
本書では、たくさんの事例をご紹介しながら、どうしたらお墓参りを人生に上手く活用できるかお伝えします。守らなければいけない作法やルール、効果の上がる参拝方法もお伝えいたします。そしてお墓そうじについても細かく解説しています。
お墓参りの効果が格段にアップしますので、ご参考ください。
もし、読み進める最中、お墓参りに行きたくなってウズウズしてきたら、遠慮なくこの本を閉じ、墓地に向かってください。あなたが生涯にわたって赴くお墓参りの回数が、1回でも多く増えることが私の本望です。
平成24年8月吉日
「お墓で人間教育」を提唱するお墓職人 矢田敏起
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