<序章:その3>再録『心が強くなるお墓参りのチカラ』
崩れていく家
葬儀が終わり、私たちには再びふつうの日常が戻ってきました。しかし、もはや、以前の日常とは違います。私たちには、母がいないのです。
実は母の亡くなる半年前に、一家は祖母を失っていました。祖母と母、私たちを可愛がってくれていた、そして私たちのいちばん頼りにしていたふたりが相次いで姿を消し、つらい日々が始まったといったほうがいいでしょう。
とくにつらいなと感じたのは、食事をはじめとする家事でした。母が亡くなった当初こそ、近所のおばさんや母の友人が家事を手伝いに来てくれていましたが、そうした生活が長続きするわけではありません。
だんだんと家を訪れる人の数も減り、間隔も開いていきました。
それと正比例するように、私たちの生活は荒んでいったのです。
父は仕事で毎日出かけます。帰宅するのは夜の8時、9時。それから夕食をつくり始めます。
疲れた体で、休む間もなく子どもたちの夕食づくりですから、いまから考えるとほんとうに頭の下がる話だったのですが、腹を空かした子どもたちには何よりも父のつくる食事の遅さがこたえました。見よう見まねでつくる料理ですから、ひと品つくるのにも30分以上かかります。それから別の料理をつくり始めるのです。
ですから、夕食を食べ終えるまでに2時間ほどかかるのはざらでした。
でも、これは父が9時くらいまでに帰ることのできる日の話で、もっと遅くなる日には、私たち3人は近所の居酒屋に行くのです。それは父の行きつけの店でした。父から頼まれている居酒屋のご主人は、私達にご飯とみそ汁、お総菜などを出してくれました。
私たちが食事を終えるころ、父が居酒屋に姿を現すのが常でした。私たちは父と入れ替わりにお店を出るのです。もう日付の変わる時刻の夜道を、小学4年生の私は2年生と4歳の弟を連れて家に戻りました。
家に着いて、直ちにしなくてはならないことが私にはありました。それは着ていた服を脱ぐことです。なぜならその服には、タバコとお酒の嫌なにおいがべったりとついているからでした。
脱いだ服は洗濯機に放り込みましたが、その洗濯機が回るのは週に何回あったでしょう。洗濯機はすぐに服や下着でいっぱいになり、入りきらない汚れ物が家じゅうに散乱するようになりました。たんすの衣類がなくなると、私はそこらに落ちている服を着て学校に出かけたものでした。
玄関にはごみの山が築かれ、家の中にはどこにも脱ぎ捨てたままの服、下着、壊れたおもちゃ、捨て散らかしたごみが散乱するようになりました。
そんな私たち兄弟を見て、学校の先生や同級生のお母さんが声をかけてくれました。
「大丈夫? ご飯、食べてる?」
この言葉、最初はとてもうれしかったものです。自分たちのことを気にかけてくれていると、声をかけてもらうたびに泣いていました。でも、しだいにそのことに慣れてしまいました。そして、声をかけられないと、なんで、今日はやさしい声をかけてくれないんだと思うようになったのです。
私は、すっかり世間に甘える子どもになっていたのでした。
遊んでいる仲間たちの種類も、そんな中で変化が出ていました。どちらかといえば、モノを壊したり、人のモノを盗んだりすることを得意がる友達が増えていたのです。
家の中も外も荒れていきました。
父にも変化が現れました。次第に早く帰宅して夕食をつくってくれる回数が減り、いつのまにかすっかりなくなりました。たまに早めに帰宅しても、私たちを寝かしつけた後、居酒屋に出かけました。末の弟は、父がいなくなったと知ると、泣きながら外に出ていくようなこともあったものです。
それでも私は父を尊敬していました。帰りが遅くなるのは、私たちのために働いているからだと信じていたのです。父は働き者だと、ずっと考えていたのです。
でも、それは違いました。ひょんなことから、真実を私は知ってしまったのです。
学校で写生大会があったときでした。私たちのグループは私の父の工場を訪れることになったのです。
私たちの町は石を墓石や灯篭などに加工する石材業が盛んで、伝統産業にもなっていました。その町の小学校なので、毎年の写生大会では、石材工場団地を訪れることが恒例でした。
私は石材工場団地に着くと、友だちを父の工場に案内しました。そこで働く父の姿を描くと先生にも伝えてありました。
しかし懸命に走って飛び込んだ工場の中に、父の姿はなかったのです。職人さんたちだけが、黙々と石の加工の仕事をしているだけです。私は顔見知りの番頭さんに、父がどこに行ったのかを尋ねました。
すると想像もできない答えが返ってきたのです。
実は、母が亡くなって以来、父は会社に顔は出すものの、すぐに職人さんたちに仕事を任せ、外に出かけてしまうということだったのです。
行き先を聞くと、初めは言葉をはぐらかせていた番頭さんも、やがて、工場近くの喫茶店かパチンコ屋、さもなければ競艇場だと告げました。
その話を聞いて、私はどうしたらよいのか、わからなくなりました。やむを得ず、先生には「父は石の配達に出かけていて、いまは不在です」とうそをつきました。
私は父を描くはずだった画用紙に、職人さんたちの姿を書きました。その絵はなぜか展覧会で入賞してしまいました。
その絵を父に見せると、絵をちらっと眺め見たあとで、ごみ箱に捨ててしまったのです。
そのうちに、父は休日にも家にいることがなくなりました。
学校への行き帰りに通る道にパチンコ屋がありましたが、その駐車場で父の車を何度か見かけたものでした。
<つづく>
「再録『心が強くなるお墓参りのチカラ』」は、月曜日に不定期(2週間おきくらい)でリリースする予定です。
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
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