<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(後編)
もう一つ、お墓を建てることに関連した事例です。
仲の悪い父と息子がいたのですが、いつも仲裁役であった妻であり母である女性が、ある日突然、亡くなってしまいました。
そこで、お墓をつくろうということにはなったのですが、息子さんは洋風のお墓にしたいと主張するし、お父さんは、いや伝統的な和型がいいと言い張ります。
どこのご家庭でも、和型だ洋風だという争いはあり、たいていは最後に和洋折衷になって落ち着くものなのです。ただ、この父子の場合にはそもそもお互い相手が気に入らないものですから、自説を譲りません。
他家に嫁いだ娘さんがひとりいて、お母さんの代わりにとりなしたりしていたのですが、とうとう父親が怒り出したのです。
「俺は、もう知らん。勝手にやれ」
とお墓に関しては身を引いてしまったのです。
息子さんのほうも、「親父は関係ないから、意見なんか聞く必要はない」と私どもに発注して、どんどん、お墓づくりを進めていきました。
しかし、石を刻んでお墓をつくっていく過程で、お父さんが私たちの仕事を見に来るのです。何も言いませんが、ずっと眺めているのです。
私たちは、発注者の息子さんと仲たがいをしているお父さんですから、何かケチをつけに来ているんじゃないだろうかと、はじめは思っていたのですが、そうでもありません。
ふつう、施主様のご家族が見えるときには、お茶を差し入れしてくれたり、お茶菓子を持ってきてくれたりするのですが、それもありませんし、休憩のときに私たちが、お茶でも一緒にいかがでしょうと言っても、いいですと言うばかりです。
ちょっと気まずい雰囲気のまま、作業が続いていきました。
お姉さんが来たときに、
「いつも、お父さんが来ています。でも何も話してくれないし、何だか私たちが、いけない工事でもしているみたいですが、大丈夫でしょうか」
と打ち明けたのですが、お姉さんも、お父さんからは何も聞いていないというのです。きっと息子さんが差配して作る洋風のお墓だから、気に食わないんだろうと、私たちは想像していたのですが、お墓が完成したとき、その想像が間違いだったとわかりました。
お墓が完成して納骨の日は、雨でした。お父さんもお姉さんも、むろん息子さんも参加しての完成の式が終わると、我慢できないようにお父さんがお墓にぬかずいて、泣き出したのです。
お母さんのお墓に向って、「お前のために、あいつがお墓をつくってくれたぞ」と号泣しました。
お父さんは、ほんとうは息子さんがお母さんのためにお墓をつくってくれるということが、とても嬉しかったのです。でも、自分が手を引いたら、息子もつくるのをやめてしまうんじゃないか、そうなったら自分がつくろうと、そう心配して見に来ていたのでした。
実際には、最後まで息子さんがお母さんのために動いて、ついにお墓が完成したわけです。そのことに感極まったようでした。
このお墓の建立が契機になって、長い間、仲が悪かったこの父子は和解をしたようです。今では、一緒に暮らしています。
だれか家族が亡くなって、その人を供養するために、残された人たちがお墓を建てます。このお墓を建てることが遺族にとっての成長の糧になるのです。
この父子の場合も、亡くなった母にとって父と息子の仲の悪さが最後の気がかりだったわけでしょう。その気がかりが、お墓を建てるということをはさんで、けんかしながらでも解消に向かう手だてとなったのです。
すべてがお母さんの望んだ形になったわけです。お墓を建てることが、お母さんから夫と息子へのプレゼントだったなと、私は考えています。
お墓は単に石ではなく、そこには建てられる方の心の投影があります。人が手を合わせて拝む対象でもあります。ときには子どもが成長する手立てともなるものです。
お墓参りをすることで人生の危機を乗り越えたり、人生そのものを変えた方々は、意外に多いのです。何か心に迷いや悩みが生まれたら、ぜひ、墓所に足を向け、目をつむって静かに手を合わせ、祈ってみてください。
そのこと自体が、ご先祖からいまのあなたにプレゼントされた、最良の果報かもしれません。
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう
父の店が倒産
無償ではじめたお墓そうじ
お墓は愛する故人そのもの
・第1章
墓碑は命の有限を教えてくれる
死ぬな、生きて帰ってこい
どこでも戦える自分になれる
お墓の前で心を浄化する
祖父との対話で立ち直る
・第2章
心の闇が埋まる
妻から離婚届を突き付けられて
妻の実家のお墓そうじをする
ひきこもりの30歳男を預かって
心からの「ありがとう」の力
先祖と自分をつなぐ場所
お墓を建てることは遺族の使命(前編)