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<第2章:その10>「もう一度妻に会いたいんです」(下)

「中」までのあらすじ>
 自宅の庭に亡くなった妻の骨を撒きたい、という田中さん(仮名)が来店した。自身は肺ガンで余命宣告を受けている。法律で埋葬できないことを説明し、付き添いの息子さんにも反対されたが、譲らない。翌日、墓地と、自宅の庭を見に行く。田中さんは海外勤務が長く、“仕事人間”だったため、妻への償いのために、家族団らんのできる庭をつくった、という話を聞く。それでも庭への散骨はできない。数回の話し合い、打ち合わせを重ね、お墓をつくることになり、プランも決定。田中さんの検査入院が終わったら、正式に発注を受けることになった。

数日後、私のパソコンに、はじめて見る送信者のメールが届きました。

 送信者 田中浩則(仮名)
 件名 石屋さんへ

 おひさしぶりです。
 残念ながら、父が永眠しました。
 お心遣いありがとうございました。

私はパソコンの前で腕を組み、数分間は目を開けることができませんでした。しばらくして、事務方の女性に声をかけられました。
「どうしました?昼寝?」
「いや、施主さんがお亡くなりになってね。どうしたものかと考えていたんだ」
「ああ、田中さんね。この仕事どうするんですか?」
「息子さんが喪主だろうけど、お墓をつくることに反対だったからね。多分お墓はつくらないと思うよ」
「残念でしたね」
そういわれて少しさびしい思いもしたのですが、吹っ切れました。
数分後、再び彼女に声をかけられました。
「例の田中さんから、またメール来ていますよ」

 送信者:田中浩則
 件名:お墓の件

 父が亡くなり、母だけでなく、父への想いも含め、お墓をつくりたいと考えています。こだわりの強かった父の代わりを、私自身、やり難さを感じております。
 お会いしたときもお話させていただいたように、気持ちも前向きでないことが、石屋さんに対し失礼かと思いますが、ご容赦願います。
 つきましては一度こちらに出向いていただけないでしょうか。
 お忙しい中、よろしくお願いいます。

私は早速電話をし、再び田中家を訪れました。以前訪れたときとほとんど変わらないリビングには、御子息3人とその家族が勢ぞろいしていました。
一つだけ違うのは、部屋の隅に置かれた御遺骨と遺影。遺影は、窓越しに庭を見ることができる角度で置かれていました。
ご仏前に手を合わせ、ひと通り挨拶を済ませた私に対し、三男の浩則さんが声をかけてくれました。
「石屋さん、悪かったね。で、さっそくだけど、親父が検討していた墓石ってこれ?」
そう言って、浩則さんは茶封筒から図面を出しました。
「そうですね。何回かご提案させていただき、最終案はこのお墓になります」
「本当にこれですか」
浩則さんは少し首を傾けてもう一度聞きなおした。
「そうです。この墓石が、お父さんの望んだお墓です」
浩則さん兄弟、他の親族としばらく顔を見合わせ、お互い頷いた後、口を開きました。
「じゃあ、このお墓そのままでお願いします」

数日後、墓石は完成しました。法要のすべてが終わり、田中さん御夫婦の御遺骨はお墓に埋蔵されました。御住職さまを見送った後、後片付けをしている私に、浩則さんが声をかけてきました。
「石屋さん、親父は本当にこのお墓でよかったのでしょうか」
そう言って浩則さんが手を置いたお墓は、周辺のお墓と何ら変わることのない、ふつうの和型墓石といわれる3段のお墓だったのです。
「親父のことだから、庭にこだわって、デザイン的なお墓をつくるものだとばかり思っていました」
「どうしてでしょうね。何か思うことがあったんじゃないですか。そういえば……、浩則さんは、どうしてお墓をおつくりになろうと思われたのですか? 確かお墓は要らないっておっしゃられていましたよね」
「ああ、そのことですか」
そういうと浩則さんはお墓をチラッと見ました。
「実は、あの家を処分することにしたんです。あんな庭、維持できないし。荒れ果てて無茶苦茶になるよりはいいかと。だからこのお墓はその償い。せめてお墓ぐらいはね。親父とお袋が戻ってくる場所がなくなっちゃいますしね。僕らも親父たちと話す場所もほしいし……」
浩則さんは少し間をおいて続けました。
「石屋さん、親父とお袋はあっちで会えましたかね」
「さあ、どうでしょう。こればっかりは。でも会えないよって言って文句を言われたことはありませんから。きっと会えると思いますよ」
「ははは、そうかもね。俺もいつか行くわけだし」
そう言って浩則さんはお墓をあとにしました。
「田中家之墓」と刻まれたお墓の花筒には、仏花ではなく、あの庭で咲き乱れていたお花たちがこれでもかと活けられていました。

<おわり。「上」「中」はこちら。「第2章」完。第3章につづく>

愛知県で墓石の施工などを手掛ける矢田石材店の矢田敏起社長は、2012年に本を出版しました。『心が強くなるお墓参りのチカラ』(経済界)。お墓を通じて、家族の絆、先祖供養の大切さを伝え、「お墓参りこそ最高の人間教育」と説き、「命のつながりを知ることで、あなたの生き方は一瞬で変わる」といった想いや、そこに至った自身の半生などをまとめたものです。発行から10年以上が経ち、改めて、みなさんに読んでいただければと、このnoteの場で再録することにしました。少しずつ連載します。月曜日に不定期(2週間おきくらい)でリリースする予定です。


前回まで
はじめに
・序章
 母が伝えたかったこと
 母との別れ
 崩れていく家
 止むことのない弟への暴力
 「お母さんに会いたい!」
 自衛隊に入ろう
 父の店が倒産
 無償ではじめたお墓そうじ
 お墓は愛する故人そのもの
・第1章
 墓碑は命の有限を教えてくれる
 死ぬな、生きて帰ってこい
 どこでも戦える自分になれる
 お墓の前で心を浄化する
 祖父との対話で立ち直る
 お墓はいちばんのパワースポット
・第2章
 心の闇が埋まる
 妻から離婚届を突き付けられて
 妻の実家のお墓そうじをする
 ひきこもりの30歳男を預かって
 心からの「ありがとう」の力
 先祖と自分をつなぐ場所
 お墓を建てることは遺族の使命(前編)
 お墓を建てることは遺族の使命(後編)
 お墓のシミが教えてくれたこと
 壊されるお墓

矢田 敏起(やた・としき) 愛知県岡崎市生まれ。高校卒業後、自衛隊に入隊する。配属された特殊部隊第一空挺団で教育課程を首席で卒業後、お墓職人となるため、地元有力石材店で修業をする。1956年に創業された家業の石材店を継ぎ、「人生におけるすべての問題は、お墓で解決できる」ことを見出し、「お墓で人間教育」を提唱する。名古屋の放送局CBCラジオで、平日午前の番組『つボイノリオの聞けば聞くほど』に2012年から出演を続けており、毎週火曜日に「お墓にかようび」というコーナーを持ち、お墓づくりや供養に関する話を発信している。建て売りで永代供養の付く不安の少ないお墓を提供する「はなえみ墓園」を2020年に始め、愛知県内30カ所(2024年12月現在)となっている。2022年にお寺の本堂を使った葬儀をサポートする「お寺でおみおくり」を始め、2023年にはお墓じまいなどで役目を終えた墓石の適正な処分や再利用を進める「愛知県石材リサイクルセンター」を稼働させた。

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