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「相棒」になった金メダル

心を込めたものや経験、場所などについてお話してもらえませんか。
そんな問いに答えてくれたみなさんにご登場いただく企画『ココロ、やどる。』の初回は、2004年アテネオリンピックの女子マラソン金メダリスト、野口みずきさんです。いまは陸上競技の普及活動、趣味や家事など日常の生活を楽しんでいるそうです。走ることを極めた選手時代から、ずっと変わらない心の持ち方を、語っていただきました。(文・松本行弘、写真・滝沢美穂子)


金のポーチで一緒に旅

「メダルですね」
心が宿るものとして、野口みずきさんが挙げたのはアテネオリンピックの金メダルだった。やっぱり、という選択。打ち込んだ競技の成果としての想いがどれほど込められているだろう。でも、理由はそれだけでなく、察したこととは少し違う。

「『相棒』のような存在になっています。そんなふうに思うようになったのは引退してからですね。
イベントや講演などに呼んでいただいたとき、金メダルを持ってきてほしいとよく言われて、持っていくんです。そうすると、子どもたちがメダルを見て目を輝かせてくれる。子どもってシンプルに、思ったことを表現してくれますよね。歓声をあげたり、ビックリしてくれたり。『すげー!ちょうだい!』なんて言う子もいて、一所懸命に努力したから取れたんだよ、みんなも努力してみてね、みたいに話のきっかけにもなる。できるだけメダルに触ってほしいと思っているんです。すごく遠慮して人差し指で恐る恐るという子がいたと思えば、ガキ大将みたいな子がガッと触る。金メダルを取ってから19年も経っていますから、小中学生にしたら生まれる前の出来事。私のことを知ってもらえる、欠かせない存在になっています」

2004年夏、オリンピック発祥の地ギリシャのアテネでつかんだ金メダル。その後、しばらくは箱の中で大事にしまったままだったという。いまは、金色のポーチに入れて出掛ける。

金メダルと金色のポーチ

変色は「オンリーワン」の味わい

「一緒に旅をしている相棒です。ちょっと表面の色が変わってきた部分もあるんですけど、それでかえってメダルに味が出てきている。私、ヴィンテージが好きで、そんな感じ。メダルもいろんな人たちと触れ合うことでパワーをもらっているんじゃないでしょうか。きれいに残ったままっていうよりは、オンリーワンだから、これはこれでいいかなと思っています。個性あふれる子どもたちに囲まれていると、メダルも笑ってうれしそうにしている気がします」

こんなふうに、ものに“表情”を感じたり、イメージを乗せたりするのは、以前からだったという。現役時代の相棒はシューズだった。

現役時代の“相棒”

「ランナーとして、命の次に大事だと言ってもいいくらいのもの。皮膚の一部というか、体とつながっている感じですね。大事なレースの前日には、寝る前にベッドのサイドテーブルにシューズとユニホームを置いて、明日はよろしく、と心の中で語りかけていました。いま、同じように感じているものは食材です。料理は練習と同じように、毎日続けていくことなんですが、食べてくれる人の喜ぶ顔を想像したり、食材のことを考えたりしてつくるのと、イヤイヤやるのでは、出来上がりがぜんぜん違うような気がするんです」

喜んでいる野菜の顔が見える⁈

引退後に結婚し、夫の中国赴任に同行して上海で生活したとき、料理学校に通った。
「選手時代は寮生活や合宿が多くてあまり料理をする機会はありませんでしたし、一人暮らしを始めても週末にちゃちゃっとつくるくらい。一日3食をつくるようになったのは上海のころからです。
料理をつくることに興味を持ち出すと、ほかの人につくってもらったときに気づくんです。帰国してから、よく行くスペイン料理屋さんがあるんですが、カウンターから厨房が見えて、店主のおっちゃんが料理していると食材が喜んでいるように感じます。プロの料理人の方だから当然なのかもしれませんが、実は夫が週末とかに料理してくれるときもそう。すごくていねいで、準備しているキッチンを見ると、きれいに切ったピーマンだったり、長ネギだったり、ナスだったりが並んでて、野菜がめっちゃ喜んでる。
変ですかね、私(笑)。
夫のおかげで、時間をかけて出汁をとったりして、料理をするときにはあまり近道はしないようにと心掛けています。
練習も近道はありませんでしたから」

練習も、日常も、「ていねいに」

一つ一つをていねいにこなしていこうという意識は、現役時代の練習と共通するという

「ウエートトレーニングでも、ていねいにゆっくりと気持ちを込めてやると、しっかり身についている、っていう感覚があるんですよ。逆に惰性に流されてやっているとダメだなと。そう考えるようになったきっかけは思いつきません。意識したこともありませんでした。もともとそういう思考なんでしょうか。スポーツ選手時代のそういう感覚を、日常の生活の中でも感じています。洗濯物を干すときもパンパンって広げて。ていねいに日々を過ごせたらいいじゃないですか」

2004年アテネオリンピックの女子マラソンで先頭を走る野口みずきさん(本人提供)

大切なのは「気づく」こと

「走った距離は裏切らない」「足が壊れるまで走りたい」。現役時代の言葉から垣間見えるハードワークは、こんな気持ちが原点なのかもしれない。世界の頂点に駆け上がったアスリート。理想を描き、そこに向かって突き詰めていく姿勢は、日常生活でも変わらないのだ、と思ったら……

「私は抜けちゃうことがあります。ずっと気が張ったままなのは大変ですから(笑)。ていねいを保てればいいんですけど、なかなかそんなのは無理ですよ。
洋服をきれいにたたんでおくはずなのが、ぐちゃぐちゃになっているのを見て、あの時は気持ちに余裕がなかったんだなあと思えば、それはそれでよし。その時にダメだと思ったら、たたみなおせばいい。
気づくことが大切なんです。気づいてちゃんとやればいい。
その繰り返しで自分は成り立っているのかなあ。
選手時代、絶対にこの練習をやってやる、みたいな完璧主義者的なところがあって、けがをしたり、納得いく練習ができなくて、泣いたりもしました。
でも、実はそればっかりではなかった。できなかったらしかたない、神様が休めと言ってくれているんだ、みたいに、すぐ気持ちの切り替えはできていました。
ダメなときは好きなヒップホップミュージックを聴いて、ストレスを発散していました。意外ですか?」

肩肘を張らない自然体で、とことんやるのが、野口みずき流のようだ。

音楽や絵画、食育などいろんな分野にも興味を広げている野口みずきさん

野口みずきさんの経歴 女子マラソンの2004年アテネオリンピック金メダリスト。小柄ながら強い筋力を生かしたストライド走法で、2時間19分12秒の日本最高記録を持つ。2002年名古屋国際(現在の名古屋ウィメンズ)でフルマラソンに初挑戦して初優勝。2003年大阪国際を当時日本歴代2位の記録で優勝。同年夏の世界選手権パリ大会2位。2004年アテネオリンピックで優勝し、2005年ベルリンマラソン優勝時に日本記録をつくった。その後、けがと闘いながら、2007年東京国際で優勝。2008年北京オリンピック代表に選ばれたものの、左足の肉離れで辞退。2012年ロンドンオリンピックの代表には届かず、2016年リオデジャネイロオリンピック代表を目指して出場した3月の名古屋ウィメンズは23位で、翌月に引退を発表した。名城公園ランニングステーション名誉館長、岩谷産業陸上競技部アドバイザー。解説や講演など陸上競技の普及活動に携わりながら、「食育実践プランナー」「パーソナルリンパケアリスト」などの資格も取得している。1978年、三重県伊勢市出身。


 石材店は心を込めて石を加工します。
 主要な加工品である墓石は、お寺さまによってお精入れをされて、石からかけがえのない存在となります。
 気持ちや経験などにより、自分にとって特別な存在になることは、みなさんにもあるのではないでしょうか。
 そんなストーリーを共有したい、と連載『ココロ、やどる。』を企画しました。
                        有限会社 矢田石材店

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