<序章:その7>再録『心が強くなるお墓参りのチカラ』
父の店が倒産
自衛隊を除隊してから 、いよいよ本格的な石屋修行です。
これも、自分の家では修行にならないので、別の石屋さんに、3年ばかり弟子入りしました。また、夜は職業訓練校の石材科に通い、石の加工などイロハのイから勉強しました。
見ていると石屋の適性と言いますか、石との相性のいい人悪い人がいることがわかりました。
墓石は比較的向き不向きが少ないのですが、彫刻や灯篭関係になると、センスの有無が決定的なポイントになります。ごく一般的な灯篭、雪見灯篭などをつくるにしても、美的センスや、目に見えていないものをイメージする能力、右脳の力がないとできません。今削っているところが、全体の中でどういう位置関係にあるのかわからないと、きれいな曲線がつくれなかったり、アンバランスな出来の悪いものになってしまいます。
私自身はあまり美的なセンスがないのですが、一緒に仕事をしているすぐ下の弟は、右脳タイプの特徴である左利きで、もともと絵もうまかったのですが、イメージ力も高く、造形力がありました。たとえば猫の姿を石で掘るときも、イメージをもとにダーッと石を削っていくと猫になるのです。
しかしイメージ力のない人だと、どんなにいい彫刻家について2、3年修行しても、全然ものになりません。
さて、修行が終わってから、矢田石材店に戻りました。
父が山から仕入れた石を加工して職人が墓にするのですが、私も先輩職人について、加工の仕事に携わりました。
ところが数年ほどして、事件が起こります。何と父が大きな借金を背負って、会社が工場ごと競売に掛けられてしまう、という事態になったのです。一切合財がなくなったのです。
借金は、過剰設備と石の買い付けの失敗でした。そもそも石を山から買うのは、よい石を掘り出す宝探しという面もあるのですが、むしろ一種のギャンブルに近かったのです。その一か八かのギャンブルに、スッテンテンになるまで負けたような失敗でした。
というのは、父は一時、いちばん値の張る石を出す山を買い切ったこともあるほど、大きな商売をしていました。山の状態がいいときはそれでよかったのですが、あるときからいい石が出なくなったのです。それでも父はそこにお金を出して、買い続けたわけです。
売り物にならない石ばかり買っていれば、石屋は当然ながら破産です。まさにその落とし穴に父ははまってしまったというわけでした。
当時、私は28歳くらいでしたが、一気に何もかもなくなりました。しかも結婚していました。働かなくてはなりません。
しかし、よその会社に入って働こうという気持ちにはなりませんでした。墓石屋を続けたい気持ちが強かったし、迷惑をかけた人たちに残った借金を返済したいと考えました。
でもすべては競売に掛けられて、徒手空拳です。
何から始めたらよいのだろう。
そのときに思い付いたのが、お墓そうじでした。
<つづく>
「再録『心が強くなるお墓参りのチカラ』」は、月曜日に不定期(2週間おきくらい)でリリースする予定です。
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう