矢田石材店も、此処に在り?
愛知のお墓といえば、「はなえみ墓園」の矢田石材店!なんだけど、もちろん扱う石はお墓だけではない。
いろんな石の加工の依頼にこたえている矢田石材店はこのほど、会社にゆかりのある仕事をした。自衛隊の駐屯地に大きな記念碑をつくった。
陸自豊川駐屯地に記念碑
つくったのは、陸上自衛隊豊川駐屯地(愛知県豊川市)でこの春に廃止となった部隊「第10特科連隊」の記念碑だ。
第10特科連隊は大砲(FH70)を扱う部隊。愛知県東部の三河地区18市町村の防衛警備、災害派遣を担当し、今年元旦の能登半島地震では発生翌日に現地入りした。
1957(昭和32)年2月に姫路駐屯地(兵庫)で創隊され、大久保駐屯地(京都)を経て、1960(昭和35)年に豊川へ移った。
自衛隊の組織の見直しにより、今年3月21日で廃止となった。創隊から67年。その存在を残すため、豊川駐屯地内に記念碑がつくられることになった。
記念碑は、駐屯地内にあった重さ約8tの石(タテ165cm、ヨコ170cm、高さ105cm)を工場へ運び出し、前面と後面に石板がはめ込めるように削って加工。大きな石を、駐屯地内の芝生広場の石碑などが集まる一角に戻し、2枚の黒石板(タテ50cm、ヨコ90cm、厚さ3cm)を前後にはめ込む工事だった。
『鬼滅』文字で「十特通り」石柱も
駐屯地内の道路から記念碑へ向かって数本の桜が新たに並べて植樹され、「十特通り」となった。その名称の石柱(迷彩服に合わせてグリーンの石材を使用)も矢田石材店が請け負った。
3月13日、来賓を招いて開かれた式典「第10特科連隊編成解組式」の時に、記念碑が披露された。前面の黒石板には、「第10特科連隊 此処に在り」の文字や歴史が、後面には「世のため人のため 尊き使命を自覚し…」と彫刻されている。第10特科連隊の原田1等陸尉から「この文字のフォントは『鬼滅の刃』で使われているものと同じです」など、記念碑の豆知識も紹介され、笑いを誘った。部隊の長い歴史を示すような、存在感のある記念碑と一緒に、参加者は和気あいあいと記念撮影を楽しんでいた。
「思い出の場所」感慨深い仕事
「この記念碑をつくった広場は、駐屯地を一般の方に開放したお祭りで使う、楽しいイメージがある場所です。自衛官も記念撮影をよくここですると思います。そんな思い出が残っています」と矢田石材店の矢田敏起社長は話す。高校を卒業後、家業の石材店を継ぐために修業を始めるまで、自衛隊に入隊し、最初の3ケ月を豊川駐屯地で過ごした。第10特科連隊の中につくられた臨時教育隊で、自衛官となる基礎的な訓練を受けた。
その後、千葉県の第一空挺団に配属され、退職して矢田石材店を受け継いでからも、第10特科連隊の経験者を採用している。「自衛官になり、最初にお世話になった部隊の、最後にかかわる仕事ができて、感慨深いです」。発注元の自衛隊はもちろん、工事をした矢田石材店にとっても、想いが込められた記念碑だ。感謝。
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